自分を生きるたくさんのヒント

親ガチャハズレでも関係ない!一つ一つ丁寧に手放して、誰かが少しでもハッピーに生きるヒントになったらうれしいです^_^

日帰り温泉施設に行くと思い出す

2021-10-28 16:36:00 | 家族
思春期の頃、ご近所さんで集まって近くの日帰り温泉施設に誘われることがよくあった。

我が家は、私の塾通いを口実に毎回お断り。

実際は塾がない日も、健康ランドに行くことはなかった。

何のことはない。母が皆とお風呂に入るのが嫌なのだ。

生まれ育った環境や、これまでにしてきた経験によってそういうものって生まれるから仕方ないとは思うけど、
うちの母のそれはまたちょっと違うもののように感じられた。

なぜなら、大人になってから、法事などで田舎に行った際、温泉に泊まってもわたしとお風呂に入ることが断固拒否だったから。
わたしと一緒になりたくないから、部屋のユニットバスでシャワーを浴びて済ませていた。

思えば、小学校の頃運動会などで成長の早い私の、同級生をみては、「あの子は胸がゆっさゆっさしていてみっともない」
「あの子はもう生理が始まったんだって。、はやすぎる」などと同級生の悪口を言った。

そんなな、個人差あるだろうよ、、、と子供の私はその悪口の理不尽さに震えた。

初潮がきたら、わたしもみっともないと思われる。身体が女に近づいたら、みっともないと言われる、、、
本当に恐怖だった。

その恐怖はやがて高校生になり、友達と友達のママと健康ランドに行った日まで続いた。
なんだ、普通の親子ってこうで良いんじゃん。女同士だもの。
友達と友達のママのおかげで、わたしは温泉に入れる子になった。

いまでも温泉に行って、思春期の女の子が普通にお母さんとお風呂に入っているのをみると、なーんだ!これが普通じゃん!と、安心するとともに、思春期のわたしが顔を出して心のうんと奥の方がズキンとする。


子供が本当に小さなこどもであることにこだわったのか知らないが、わたしは今でも性的虐待であったとおもっているのだが

とにかく、ことあるごとに父とお風呂にいれられた。家族旅行に行った時など、家族風呂に父と入れと命じる。
嫌がると「家族じゃないの!」と、、、

彼女はまだ、幼児だった弟と二人で。

余談だがちなみに、わたしは弟がずいぶん大きくなってから
母が脱衣所で「まだ出るかしら?」といいながら、嬉しそうに授乳するように乳首を咥えさせていたのみてしまったことを覚えている。弟はすでに幼稚園に通っていたと思う。

気持ち悪い、、、、本当に嫌だった。

母はわたしとお風呂に入ることを拒否するのに、なぜ、父とお風呂に入るように強要したんだろう?
いつも泣いていた。父が帰ってこないように願った。いたずらこそされなかったけど、胸が膨らんできたねなどといわれたときは力があればこの風呂に沈めてやるのにと本気で思った。
嫌だった。本当に嫌だった。あの頃、わたしは写真の中で一枚も笑っていない。
本当に嫌だった。

海外だったら逮捕されるような出来事なんだと知ったとき、わたしは我慢ができず、この時のことを母に訴えた。

「あれは性的虐待だった。わたしは、あんなに嫌がってたのに。何のためにあんなことを強要したのか?せめて、今、心から謝ってくれと。」

母はあざわらうかのように鼻を鳴らして

「嫌って言えばよかったじゃないな。良かれと思っていたのに」

とのたまった。

この家は狂ってる。

家族構成のご紹介

2021-10-28 15:29:00 | 家族
私が、長年関係修復というか、改善?に努め、相互理解を願ったけど結局は無理だった

家族についてご紹介させてください

我が家は4人家族でした
です。

両親共に地方出身
父はサラリーマン、母は専業主婦でした。

我が家で1番問題があるかもしれない弟(いずれくわしく、、、、)は、
子供を授かり結婚。
両親から聞く話では、立派にやっているとのことでしたが(嘘に決まってる)
案の定、その家庭内でモラハラ父と同じモラハラ、家庭内暴力を、繰り返しているようです。

このあたりのことは、また今度、改めて、、、

わたしは、子なし既婚の40代です。
40を、超えてやっと自分の人生を取り戻しました。
もしかしたら、心の傷はあまりに深く、本当はちっとも取り戻せていないのかもしれない。
でも、少なくとも、わたしは毎日びくびく生活する必要がなくなり、これまでの支配からは解放され、とても穏やかに暮らせています。

ここまで、すごく長かったけど、結果としてわたしにはこれだけの時間が必要だったわけで、決して無駄な時間だったとは思いません。



こんなモラハラに対して何も思わないの?

2021-10-28 13:26:00 | モラハラ
「このご飯は美味しいなぁ!おかわり貰える?」

と、父が珍しく白米をおかわりしました。

母は嬉しそうに父のお茶碗を受け取り、気持ち少なめにご飯をよそう。(夜の炭水化物を控えていたので)

「いやぁ、しかい美味い!やっぱり『つや姫』は美味しいなぁ」
かきこむように、もりもりとご飯を食べながら父はご機嫌です。

(当時、父がどこかからつや姫をいただいて絶賛していたこともあり、我が家ではつや姫をよく炊いていました。)

母が打ち明けました、、、

「違うのよ!それ、岐阜のお米なの。お米屋さんに勧められたの。美味しいわよね」

次の瞬間、父は顔を真っ赤にして

「岐阜の米なんか食えるか!クソまずい!!」と激昂して茶碗をぶん投げました。

美味しいって、おかわりまでして食べてたじゃん???

母は黙って割れたお茶碗を片付けていました。
何で黙ってるの?美味しいって人一倍食べてたじゃん??

気がおさまらない父は、食卓の物を次々とぶんなげ不貞腐れました。

①お米がおいしいからおかわりした
②そのお米はつや姫だと思ってたら岐阜のお米だった

「お米の味がわからない自分」に腹を立てていたのでしょうか?

おかわりするほど美味しいって思える新たな銘柄を知ることができたのだから、別に良くない?

こんなことは、めずらしいことではなく、我が家では日常でした。

父の機嫌次第で(もちろん、母も同様です)良いもの、悪いもの、良いこと、悪いことが決まり、その執着(自分が認めたものへの異様な賞賛、、、)といったら、しつこすぎてうんざりするほどでした。
何が正しいことで、何が間違ったことなのか?小さな頃からさっぱりわからない家でした。

母はなぜ耐えていたのか?これって、立派なモラハラなのでは???



小春日和に、、、

2021-10-28 10:51:28 | 日記

こんちには!

はじめまして!

昨今、「親ガチャ」という言葉が話題になっています。

批判的な意見の人もいるだろうし、

わかるわかる!って人もいるのだと思います。

その「わかる」は様々で、そこにはそれぞれの想いが込められていると思うのです。

お金に苦労した人は、親がお金持ちだったらきっと人生違ってたと思うだろうし、虐待を受けて育った人は、親がまともだったら、、、と願わない日はないと思います。隣の芝生は青いという諺があるくらいだから、人の心理としてどうしても比べて悲観してしまうこともあるのかもしれないと思います。

各家庭には表から他人には全く窺い知ることのできない、信じられないようなことが起きていたりするものです。

殺人事件の約6割は親族内の犯行と言われるくらいだから、、、、、

 

わたしも、親子関係には悩み疲れました、、、、、

私が親の文句を言うと、「そんなことないよ!」と一生懸命諭してくれる友達、「そんな風に言わずに親を大切にしなさい」と叱ってくれる友達たくさんいることをわたしは誇りに思います。

みんなには、そんな風に思える親がいていいなって、、、そして、よかったなって。こ

 

でも、わたしが、ある日、親との関係をまた思い悩み、私の親がわたしに放ったある一言を告白したとき、友達たちは、わたしの親を庇うことをやめ、一緒に泣いてくれました。

やっと理解されて、やっとわたしは親元から逃げる決意ができました。

長かった。本当に長かった。

もっと早く、、、とか、いい歳こいて、、、なんて思う人は一生理解できない問題だと思うけど、同じように悩み、苦しんでいる人が絶対にたくさんいると思ったからこのブログを立ち上げました。

親との関係で悩んでいる人、いくつからでも絶対に間に合います。1秒でも早く、自分の人生を生きましょう。