空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)2……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

弾丸ドライブin大分

2017-11-21 19:13:53 | 日記

昨夕は、ヨメさんの見舞いに行き、鳴尾駅まで歩きました。

連絡バスまで時間がたっぷりありますので、駅の待合室でゆっくり読書。

15:54の各駅停車に乗り、乗り換えずに御影まで行きました。

駅の南へで、線路に沿って三宮方面に歩きました。


“沢ノ井”が、ありました。

神功皇后が朝鮮半島に出兵した帰りに化粧のため姿を映した所、その姿が鮮やかに映し出された為、「御影」の地名がついたと伝説になった井戸です。
また南北朝時代には、この泉の水で酒を醸して後醍醐天皇に献上した所、たいそうよろこ(嘉)びその酒を納めた、との言い伝えもあります。(東灘ジャーナルさんの記事を引用)

    

この道は、阪神電車の高架が美しいです。

大きな道に出ると、フェリー乗り場への連絡バス停が見えました。

①.16:33 ②.16:55 ③.17:23 ④.17:55の連絡バスがあります。

私は、①.16:33に乗ることができました。同行のメンバーは、それぞれの事情でバラバラ。

先に手続きをしました。

私が買った阪神電車版は、乗る日の予約をして購入しなければいけなかったのですが、

同行の4人が個室を取り、券を5枚購入し一枚回してくれました。

私の予約はしていませんでした。

窓口のお兄ちゃんは、「阪神電車版は、予約が先なんですが」ここで混乱しました。

船会社に面倒をかけました。改めて事情を話し、再予約を窓口でしました。

18:00に乗船可能になりました。

個室の4人を置いて、先に乗船しました。

    

なかなか良い雰囲気で入りました。

ツーリストクラスは、18人部屋です。一人60cm190cmほどのマットが、個人のスペースです。

私はすぐに大浴場で入浴です。さっぱりしました。

19:00出港しました。

個室に入っている4人に連絡を取り、お邪魔しました。

今夜は、レストランに行かないで、個室で小宴会です。

持参した芋焼酎をしっかりいただきました。


ツーリスト部屋に戻ってみると、ここでも宴会が行われていました。

ほとんどの方が、大分や九州にルーツのある方でした。

私も、ビールを少しただきました。

22:00に、スタッフの方がお越しになり消灯になりました。

歯を磨き、ぐっすり休みました。


今朝は、05:00に船内放送がありました。

昨日用意した巻き寿司と稲荷寿司が残っています。

大分駅前で時間繋ぎに食べる予定です。

定刻の06:20に接岸です。


フェリーですので、車と乗られた方はそのままお車で。

ツアーの方は、迎えのバスが待っています。

私たちのように、大分駅前まで行く者は、バス乗車です。160円。


大分駅前に着くと、私は07:30に手続きのできるニッポンレンタカーの場所確認に行きました。

お店は開いていません。トイレも、駅の中のみです。

唯一駅に向かって右端に、ファミリーマートがあります。

座って購入した物をいただけるコーナーに椅子が4脚ありました。

私は、しばらく食べていない生野菜と味噌汁を買い、ポットの湯で暖かい味噌汁を食べることができました。


07:30にレンタカーの手続きを始め、08:00には移動していました。

昨夜の小宴会で、まず“日出城址”に行くことになっていました。

ここの有名人は、滝廉太郎です。



お城の周りを歩いて見ました。

    

    

ここは、舌びらめが有名のようですね。

郷土の偉人「帆足萬里」

「豊後の三賢」の1人にして日出町の碩学 

帆足萬里(ほあしばんり)は、三浦梅園、廣瀬淡窓とともに「豊後の三賢」と称され、江戸時代後期の儒学者・政治家として大いに手腕をふるった偉人です。

 萬里の墓は、日出藩14代藩主・木下俊方の命により、帆足家の菩提寺である龍泉寺西方の小高い丘に、別府湾を見下ろすように日出城に向けて建立されました。

 萬里の墓は大分県史跡に指定されています。

 また、三の丸に帆足萬里生誕の地(現・日出幼稚園)があるほか、南畑地区には萬里が開いた私塾・西崦精舎の跡地に建立された記念碑があります。》

城跡が、小学校になっていました。

    

    

城建設の時の人柱を慰霊する祠です。

    

     

      

続いて、杵築(きつき)城を訪ねました。

1394年の築城以来、600年もの間この町を見守ってきた杵築城。模擬天守とはいえ、城跡にそびえる三層の天守閣は在りし日のこの城の姿を偲ばせる。

室町時代初期、木付氏によって八坂川の河口にある台山の上に築かれたこの城は、北は高山川、東は守江湾といった天然の要害に囲まれた城であった。その後の天災、震災などで城も場所や形を変えながら、城主もまた前田、杉原、細川氏と入れ替わり、その後の小笠原氏、そして松平氏を最後に江戸の時代も終わりを告げ、杵築城は新たな城主を迎えることなく今に続く。現存するのは一部石垣など。

現在では山上が城山公園として整備され一般にも開放されていて、市内のあちこちで発見された国東塔など貴重な石造物を野外展示している石造物公園もある。築城当時“木付”と命名されながら幕府朱印状に誤って“杵築”と記されて以来「杵築」に。また島津の猛攻撃に2か月も耐えたことから別名「勝山城」とも呼ばれている。

    

    

国東(くにさき)半島をドライブです。大分空港を右に見て、「道の駅くにさき」まで来ました。

その中の、“夢咲茶屋”という店の駐車場に入りました。

国東半島は、あちらこちらに案山子がいます。

    

人の列を見かけました。

なんと、“夢咲茶屋”の年に一度のお客様感謝デーで、11:00からランチが無料になります。

おにぎりとうどんが渡され、あと10種以上のおかずが食べ放題です。

うれしい、お昼代が浮きました。


国東半島の内陸部、両子(ふたご)寺と富貴寺の見学です。

紅葉を楽しみで訪れました。

両子(ふたご)寺です。

国東半島の中心にある六郷満山寺院で、開基は養老2年(AD718)仁聞菩薩によるものです。特に江戸時代より総持院として満山寺院を統括してきました。
山門に安置されている仁王像は国東最大のもので、その彫りの美しさから、国東半島を代表する仁王像であるといわれています。
護摩堂の本尊は鎌倉時代の不動明王で毎月28日の縁日には、護摩焚きがあり、特に厄除けなど諸祈願を行っています。また、奥の院本殿に祀られている十一面千手観音、両所大権現は古来より子授けの信仰があります。
境内一帯に広がる紅葉の数はたいへん多く、県内屈指の紅葉スポットとして春の新緑、秋の紅葉と名所になっています。近年では走水観音堂の名水、子宝参り、日本有数のパワースポットとして若者の参拝も増えています。

車を停めると、仁王さんと山門が下の方にある案内があったので、下ってみました。

    

    

    

ここの紅葉は、満足しました。


続いて、富貴(ふき)寺です。

富貴寺は、平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院です。
中でも国宝に指定されている富貴寺大堂は、宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつであり、現存する九州最古の木造建築物です。
堂内に収められた本尊の阿弥陀如来像も国重要文化財に指定されており、日本四壁画の一つとされる阿弥陀浄土変相図は、極楽浄土の世界を描いているとされています。。
春の新緑や冬の雪景色もさることながら、境内一面が紅葉に染まる11月下旬から12月上旬の景色は最高です。

私の写真です。

    

    

    


まだ、紅葉には時間がかかるようです。(観光写真をどうぞ)


次に田染荘(たしぶのしょう)というところを見たかったのです。

「田染荘(たしぶのしょう)」は、宇佐神宮の荘園の1つでした。
平安時代あるいは鎌倉時代から、集落や水田の位置がほとんど変わらずに残されており、中世荘園村落の姿を今にとどめています。2010年には、国の重要文化的景観に選定され、2013年には世界農業遺産に認定されました。
毎年6月の第2日曜日には荘園領主による御田植祭が行われ、昔ながらの苗植え体験は誰でも自由に参加できます。 ホタルの名所としても有名で6月にはホタルの乱舞が鑑賞できます。
また、ここで収穫されるお米「荘園米」は、大変おいしいと評判で、10月には収穫祭が行われます。

(参考写真)

 探したのですが、これに近いところを見つけることができませんでした。


続いて、国東の国指定史跡重要文化財「熊野磨崖仏」です。

鬼が一晩で積んだという、険しい石段を登った先にあるのが熊野磨崖仏です。
日本最大級の磨崖仏は、国指定の重要文化財で、平安時代の末期の作といわれています。
絶壁の右手に引き締まった表情の大日如来、左手に微笑んでいるかのような不動明王がそれぞれ刻まれているのですが、その姿は余りに自然で、まるで以前からそこにあったかのように周囲の風景に溶け込んでいます。
石段を更に登ると熊野神社、下ると胎蔵寺があります。


最後に、別府温泉竹瓦温泉に入りました。

建造された明治12年より改築を重ね、明治35年に木造瓦葺の共同温泉が完成しました。当初は竹屋根葺きの浴場であり、これが瓦葺きに改修されたため、「竹瓦温泉」と名称がつきました。
今や、別府温泉のシンボル的な浴場になり、造りも豪華な唐破風造の木造建築で、毎年入浴者と共に見物者も多く、特に若い女性や外国の観光客の方々に喜ばれています。
普通浴場と名物の砂湯があり、砂湯に仰向けに寝ると、砂掛けさんが温泉で暖められた砂を上手にお腹から足、肩と掛けてくれて、その心地よさは一度は体験の価値ありです。

    

17:30無事にドライブを終了しました。

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