空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)2……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

思い出の名画 - 風と共に去りぬ

2024-08-23 06:43:44 | 日記

大学生の頃、毎週3本立ての名画座通いでした。

大学の映画研究会が、割引券を配布してました。

いま吉本の劇場になってますが、当時は祇園会館と言いました。

 

今日の思い出の名画は、違う劇場で見た「風と共に去りぬ」です。

場所は、京阪電車森小路駅前にあった劇場でした。

原作は、河出書房の廉価版で読んでました。

満員でした。火事で逃げるときの馬車、ワイド画面だったのです。

今改めて見ると、1939年ワイド画面の映画は制作されていません。

映写機にワイドサイズになるレンズを装着していたのではと想像します。

日活の無国籍映画ファンだった私には、衝撃の一作でした。

KADOKAWA「世界名作シネマ全集1」より

 

 

【子規365日】■8月23日

筆モ墨モ溲瓶(しびん)モ内ニ秋ノ蚊帳     1901(M34)年

夏井いつき【子規365日】朝日文庫

 

正岡子規「仰臥漫録」角川ソフィア文庫より

《秋の蚊帳》の俳句

蚊が時に盛りかえしてくるので、秋も吊る。

・秋の幮(かや)主斗(ばか)りに成りにけり     蕪 村 

・秋の蚊帳まだあかるきにつられけり     万太郎

・幮の果ふたたび母と子となりて     かな女

横田正知編「写真 俳句歳時記 秋」現代教養文庫 より

 

 

谷口 璽照さんのコメントです。

風と共に去りぬ (谷口璽照)

 大谷の焼き打ちにあった蓮如さんが大津へお逃げなされる時、佐々木如光(道西とする談義本もあります)が大津の街道で、こんな声を耳にします。駕籠の中から「本願寺が焼き打ちにあったそうだが、お芽出度いことじゃ」という声が聞こえてきたのです。「こりゃきっと、叡山の身内の者に違いあるまい。おのれ、目にもの見せてくれんず」と、如光がつかつかと駕籠の近くに寄って、「何者ぞ。他人の難儀を見て芽出度いということがあるか。容赦はせぬぞ」と怒鳴りつけると、周章(あわ)てもせず狼狽(うろたえ)もせず、「このたびの焼き打ちによって蓮如上人は、地方の田舎(いなか)辺鄙(へんぴ)の人々を済度なさるであろう。してみりゃ芽出度いことと言わねばならぬ」という声を残して、そのまま駕籠は去っていったそうです。駕籠と共に去りぬ(マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』の洒落)。》

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風と共に去りぬ (谷口璽照)
2024-08-23 18:01:51
 大谷の焼き打ちにあった蓮如さんが大津へお逃げなされる時、佐々木如光(道西とする談義本もあります)が大津の街道で、こんな声を耳にします。駕籠の中から「本願寺が焼き打ちにあったそうだが、お芽出度いことじゃ」という声が聞こえてきたのです。「こりゃきっと、叡山の身内の者に違いあるまい。おのれ、目にもの見せてくれんず」と、如光がつかつかと駕籠の近くに寄って、「何者ぞ。他人の難儀を見て芽出度いということがあるか。容赦はせぬぞ」と怒鳴りつけると、周章(あわ)てもせず狼狽(うろたえ)もせず、「このたびの焼き打ちによって蓮如上人は、地方の田舎(いなか)辺鄙(へんぴ)の人々を済度なさるであろう。してみりゃ芽出度いことと言わねばならぬ」という声を残して、そのまま駕籠は去っていったそうです。駕籠と共に去りぬ(マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』の洒落)。
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