京山幸枝若というたら、「浪速しぐれ・桂春団治」。
この曲は、初代の幸枝若さん。
今の2代目幸枝若さんが、人間国宝の認定を受けましたね。
桃中軒牛右衛門は異色の浪曲師だ…
人間国宝に認定されることになった浪曲師の京山幸枝若さん
桃中軒牛右衛門(とうちゅうけんうしえもん)は異色の浪曲師だ。明治初めの1871年にいまの熊本県荒尾市に生まれ、父や兄たちを通し自由民権思想の影響を受けた。97年には亡命中の孫文と出会い、中国革命の支援に奔走する。宮崎滔天(とうてん)の名の方が知られているだろうか
▲激動の半生記「三十三年之夢」に、中国での蜂起失敗後、浪曲師への転身を決意し1902年、桃中軒雲右衛門に入門するまでをつづる。「夢の名残の浪花武士、刀は棄(す)てゝ張り扇」と歌う「落花の歌」に革命に挫折した思いがにじむ
▲浪花節とも呼ばれる浪曲は、デロレン祭文(さいもん)などといった大道芸にルーツを持つ。その社会的地位を上げ、中興の祖とされるのが雲右衛門だ。優れた芸質はもとより、台本を整え、豪華なテーブル掛けの演台といった現在のスタイルを確立した
▲九州で絶大な人気を博し、ついに東京の大劇場に進出。活躍ぶりは07年に「浪花節」が流行語になったことからもうかがえる。芸の革命の陰には、牛右衛門の少なからぬ助力があったという
▲「浪曲語り」が国の重要無形文化財に初めて指定され、京山幸枝若(こうしわか)さんが人間国宝に認定されることになった。同じ大衆芸能でも落語はこれまで4人、講談は2人が選ばれている。幸枝若さんの「夢でした」という言葉に真情がこもる
▲昭和初めの最盛期には3000人ともいわれた浪曲師も、いまは東西で60人ほどだ。今回の認定は後継者育成の弾みになるだろう。「日本中の人に浪曲を知ってほしい」。夢への道はまだ続く。
でした。
谷口 璽照さんのコメントです。
《服部三智麿 (谷口璽照)
名声の高かった桃中軒雲右衛門の客を奪ってしまったのが、服部三智麿という説教者。明治四十四年、富山県高岡市での出来事である。この節談説教、浪花節よりも歴史が古い。浄瑠璃説教・浪花節説教とも呼ばれた説教、芸風説教と軽んじられたが、これらの七五調の説教が多くの妙好人を育ててきたのも事実である。節談説教を習いたいという奇特な御仁がおられましたら、当方まで御連絡を。》