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私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

え~、二ヶ月前に解任ですか?

2018-04-09 09:27:14 | 日記

朝スマホが、ぴかぴかしてます。開けてみると、サッカー日本代表ハリル監督の電撃解任でした。

から、拾ってみました。

 

ハリル監督を電撃解任、好転しない現状に協会が断2018年4月9日1時53分

 

 日本サッカー協会が日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督(65)を電撃解任することが8日、分かった。

バヒド・ハリルホジッチ監督

 

 6月14日開幕のW杯ロシア大会まで70日を切る中、チーム状況が一向に好転しない状況に危機感を募らせた日本協会が、断を下した。

 

 3月にベルギーに遠征した日本は、W杯本大会で対戦するセネガル、ポーランドを想定し2試合を戦った。格下マリとは1-1で引き分け、ウクライナには1-2で敗れた。

 

 W杯に出場しない2チームを相手に、縦に速い攻撃偏重の戦いは機能せず、ほとんど収穫はなし。5月31日に予定されるW杯メンバー発表前最後の海外遠征で大きな不安を残した。

 

 ウクライナ戦後、日本協会の西野朗技術委員長は「現状は、この体制でW杯に行こうと思っている」と体制維持を明言していた。

 

 ただ、試合内容については「点差以上の差があったと感じている。こういうチームとやれたことが収穫。攻撃はもっとチームとしての形、約束事が必要だ」と厳しい指摘もしていた。

 

 W杯6大会連続出場の日本が本大会直前に監督を交代するのは初めて。


 

川淵氏「監督更迭。遅きに失した…まだ時間がある」2018年4月9日10時57分

 

 日本サッカー協会(JFA)相談役で、元キャプテンの川淵三郎氏(81)が9日、ツイッターを更新し、サッカーW杯ロシア大会に出場する日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督(65)の電撃解任について触れ「監督更迭。遅きに失したと言われるだろうけどまだ時間がある。どん底からのスタートだから上昇あるのみ」とエールを送った。その一方で「それにしても新監督、選手選考は悩ましいだろうなぁ」(コメントは原文のまま)と心配する心情ものぞかせた。

「川淵三郎氏」の画像検索結果

 

 川淵氏も過去、代表監督交代時に世間を大きく騒がせたことがある。キャプテン時代の2006年(平18)6月24日に、W杯ドイツ大会1次リーグ敗退で帰国した際「(五輪代表)監督はあくまで反町(康治氏)。スーパーバイザー的な立場、総監督としてオシムが…あっ、オシムと言っちゃったね…弱っちゃったね…なかったことにはならないだろうね」と当時、ジェフユナイテッド千葉監督だったイビチャ・オシム氏が次期監督になるとフライングで言ってしまい、その後、大きな議論を呼んだ。

 

 その川淵氏も、W杯本大会を前にしての代表監督解任、交代という日本サッカー史上、前代未聞の事態に黙っていられなかったようだ。


 

田嶋会長非情通告にハリル動揺「まさか」怒りあらわ2018年4月10日7時51分

「ハリルホジッチ監督と西野朗技術委員長」の画像検索結果

 まさかの解任に、日本代表を3年以上率いたバヒド・ハリルホジッチ前監督(65)は言葉を失ったという。日本協会の田嶋幸三会長(60)は9日、都内での会見で、フランスへ渡航し直接、解任を通告したことを明かした。激情家の指揮官の様子について「動揺し、怒りもあった」。3年にわたる関係は突然、終止符が打たれた。

 ホテルで会って、ホテルで別れ…。日本とハリルホジッチ氏の3年の月日は突然終わった。7日午後6時。極秘渡欧していた田嶋会長が、W杯(ワールドカップ)に向け欧州に残り海外組視察や、事前キャンプ地視察の予定を入れていたハリルホジッチ監督をパリのホテルに呼んだ。

 田嶋会長は「礼を尽くし、直接言うことを選びました」。向き合って電撃解任の非情通告。同会長によれば「ビックリしているというのが印象。まさかこれを言われるとはと動揺し、怒りもあった。どうしてなんだと聞かれたのも事実」。その場にいたのは激情家の、あの姿の指揮官だった。

 今から3年と少し前。アギーレ監督解任を受け、当時の霜田技術委員長(現J2山口監督)が、監督候補のハリルホジッチ氏に会ったのもパリのホテル。W杯ブラジル大会で惨敗した日本の分析資料を持参。改善点を次から次へと話したという。就任後はデュエル(球際の攻防)、体脂肪率改善を言い続けた。ある時にはJリーグと欧州を比較し「特にスピードはバイクに乗っている人とフェラーリくらい違う」と言ってしまう過激な物言い。もうあの刺激的過ぎる言葉も聞けない。

 スポーツとして野球にかなわない日本の現状を憂い、日本代表を強くしサッカーをNO.1のスポーツにすると誓い、ロシアに向かって一直線に進んでいた。身から出たさびという側面もあるが、最後に同会長から「少しでも日本が勝てるようにしたい」と言われた。つまり、あなたでは勝てないとクビにされた。

 W杯目前の解任はコートジボワールを率いていた10年以来、2度目。こういう運命なのか。フランス・リールの自宅では愛犬コスモがほえ元気だったが、対応したディアナ夫人は「(夫は)ここにはいない。話を聞くのは不可能だ」とだけ答えた。日本が好きで、自慢の庭の桜が咲いていた。だが、満開になる前にハリルの桜は散ってしまった。

 

西野氏は奇想天外「何するか分からない」/こんな人2018年4月10日7時51分 

 日本サッカー協会の田嶋幸三会長(60)が9日、東京・JFAハウスで緊急会見を開き、日本代表バヒド・ハリルホジッチ監督(65)の解任と西野朗新監督(63)の就任を発表した。W杯(ワールドカップ)ロシア大会(6月14日開幕)2カ月前のタイミングで荒療治を施し、96年アトランタ五輪で「マイアミの奇跡」を起こした西野氏に6度目の舞台を託す。契約は大会終了まで。新コーチとして、東京五輪代表を率いる森保一監督(49)の入閣も浮上。日本人の力を結集してチームを立て直す。

「西野朗」の画像検索結果

   ◇   ◇

 西野監督の下で仕事をすれば、ほぼ全員が「奇想天外な人」と言う。

 G大阪監督時代、試合中の途中交代に関し、リードして逃げ切る場合はA選手の投入が決められていた。想定通りの状況が訪れたが、告げられたのはB選手。まったく打ち合わせと違う采配に、周囲は「何をするか、分からない」と仰天した。

 裏を返せば自身の感覚を大切にし、貫く勇気は人一倍あった。「マイアミの奇跡」は前日に突然、服部を司令塔ジュニーニョのマンマーク役に指名。まったく未知の戦法だったが奇策がはまった。その際の戦いがのちに超守備的と批評され、G大阪では超攻撃的なスタイルで黄金時代を築いたのは、その低評価に対する反骨心があったからだ。

 20年ほど前から白髪染めは手放せない。それでも大阪の繁華街、北新地を歩けば女性が振り返るほどの人気だった。クールに見えるが、会話の最後はいつも「ありがとう」という言葉で締めくくる。記者もその魅力を知った1人で、02年にG大阪で初勝利を挙げた際に贈ってもらったサイン色紙は、今でも大切にしている。【アトランタ五輪、元G大阪担当=横田和幸】

 ◆西野朗(にしの・あきら)1955年(昭30)4月7日、埼玉県浦和市(現さいたま市)生まれ。早大時代から日本代表に選ばれ、日立製作所(現柏)でプレー。国際Aマッチ通算12試合1得点。90年に現役引退し指導者となる。96年アトランタ五輪では日本を率い、ブラジルを破る金星を挙げた。G大阪で05年のJ1優勝、08年のACL優勝など数々のタイトルを獲得し、柏、名古屋などの監督としてJ1最多270勝。


1次リーグ突破を目指して頑張って欲しいです。(palam)

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