五代目桂文枝師匠は、多くのお弟子さんを育てられました。
その中のお一人が、桂 文喬師です。
なぜ落語家になったのか?
大学入学で落研に入部。先輩に連れられた落語会で当時の小文枝師に出会い、
追っかけを始めることになったそうです。
追っかけを長年続けた大学四年の頃、師から子どもさんの家庭教師を依頼されたそうで、無事に合格。
そのお祝いの席で、弟子入りをお願いしたそうです。
我らが雀三郎師とも懇意で、さんくす寄席で聞かせていただいたこともあります。
文喬師は、ボランティア活動にも積極的で、私の息子ともお知り合いになりました。
息子から今日の会を知らされて、参加しました。
前半は、講演会。桂 喬美さんは、長い芸歴。
漫才の名前は、「パピヨンズ」のちよみさん。
元ミヤコ蝶々さんのお弟子さんで、若い頃の芸名はミヤ蝶美・蝶子(ミヤちょうみ・ちょうこ)の蝶美さん。
講演の内容は、
《高校卒業後、女優志望でミヤコ蝶々主宰の『蝶々新芸スクール』に2期生として入学。芝居の稽古の一環として漫才を組む。藤本義一に認められ『笑の会』に加わる為にコンビ名を「宮蝶美・蝶子」と名乗る。1980年3月に新花月で劇場初舞台。その後も新花月などで修行。間もなくコンビ名を「ミヤ蝶美・蝶子」とする。
1983年7月 蝶美が破門されてコンビ解散。「芸道と家庭は両立しない」という強固な信念を持つ師匠の蝶々から、蝶美が破門された。結婚はまだ許してもらえた(師匠も黙認し漫才は続けられた)が、「先生、子供できました」と言った時は「芸能界を辞めて家庭に入りなさい」と破門される。》
長い芸歴から、ご自分にあった男女の差別を赤裸々に話されました。
文喬師の講演は、先に書いた先代小文枝師の思い出と、認知症にならないために。
休憩後、落語二席。
喬美さんの演目は、先代春蝶師でおなじみの「昭和任侠伝」。
マイクをお使いになったが、要らなかったのでは。
大きな声の上に、マイク。音が大きすぎて、聞きづらかったですね。
でも、ネタが今では新古典かな。懐かしい一席を聞かせていた。
文喬師は流石なもんで、三枝作の創作落語を、より素晴らしいものに仕上げてましたね。
さんくす寄席では、古典を聞きましたが、また聞きたくなりました。
都合をつけていきたいものです。
今日の会場、大阪府立大学I-siteなんば。
どうして行くか迷いました。
JR大阪まで行って、地下鉄乗り換えが普通ですね。
交通費を安くするためなら、JRのみで行く。
JR難波が、今宮、新今宮さてどれにするか。
JR吹田駅に行ってみると、踏切トラブルで15分ほど遅れてる。
この時点では、今宮から歩くつもりでした。
ようやく来た電車で大阪駅につくと、①関空快速、②大和路快速、③環状線。
①と③の差が、10分もあります。
①関空快速に飛び乗りました。
新今宮駅と会場の地図を見ると、駅の北側からの道を行くと今宮戎、その向こう。
駅の北側は、星野グループのホテル建築中。
交番があったので、今宮戎を聞くと、道沿いに真っ直ぐ。
大きな交差点を渡って、左。この交差点まで行くとスーパー玉出の看板。
今宮戎です。初めて来ました。
少し行くと廣田神社。
左に、南海電車が見えました。地図アプリで会場を探し、無事に到着。
帰りは、玉出で缶チューハイを買い、久宝寺経由で帰りました。
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