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空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)2……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

「その時、市民は軍と闘った~韓国の夜明け 光州事件」

2018-06-13 09:45:58 | 日記

昨夜、刑事ドラマの最終回を見ようと思って、テレビを付けると一日ひにちを間違っていました。

チャンネルとあちこち回してみると、

アナザーストーリーズ「その時、市民は軍と闘った~韓国の夜明け 光州事件

を、見ました。以下は、NHKの資料から、

1980年5月18日、日本のとなり、韓国で発生した「光州事件」。 民主化を要求する市民に対して軍は武力を行使、5月27日までの10日間で、死者・行方不明者は200名以上におよび、韓国の現代史上最大の悲劇と言われている。©東亜日報


 1980年5月18日、韓国・光州で市民と軍が衝突した!戒厳令の名の下に繰り返された軍の暴力。怒った市民は銃を奪い、バスやタクシーに乗り込んで押し寄せた。それはまさに市街戦だった。当時、韓国政府はその事実を隠蔽。真相を隠すため、道路を封鎖し、情報を遮断し、力で市民を鎮圧していった。その時いったい何が起きたのか?韓国に「民主化」の夜明けをもたらした光州事件、明かされる38年目の衝撃の真実。

当時は軍事独裁政権だった韓国。暴動の鎮圧を名目にやってきた軍は、学生風の若者を見つけるや木製の棒で殴りつけ、容赦なく暴行を加えた。©5.18記念財団

 韓国の伝統家具を作る職人だった、当時20歳のキム・コンヒュ市民軍に加わった1人。友人と楽しい休日を過ごすはずが、突然不条理な軍の暴行を受け、意識が変わっていった。
 
当時、空挺部隊の指揮官だった元少佐シン・スンヨン。光州事件で市民に武力を行使したことで、長く軍人として罪悪感を抱いており、近年、重い口を開き始めた。

昨年夏、韓国で公開された映画も、光州事件を扱っていました。

私は順天に居る時、日本から来た時間の許す方を、光州事件の現場に案内しました。

しかし、1987年6月に起きた韓国・6月民主抗争に細い糸でつながっている事を知りませんでした。
『6月民主抗争(6がつ みんしゅ こうそう)は、大統領の直接選挙制改憲を中心とした民主化を要求するデモを中心とした韓国における民主化運動の名称で、1987年6月10日から「6・29宣言」が発表されるまでの約20日間にわたって繰り広げられた。この民主抗争の結果、大統領直接選挙制改憲実現などの一連の民主化措置を約束する「6・29宣言」を全斗煥政権から引き出すことに成功した。』

6月18日(月)午後11時45分から再放送があります。是非ご覧下さい。(BS)

昨日の米朝会談も、進んだようには思えません。
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