空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)2……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

珠洲で唯一営業する銭湯に密着!

2024-05-22 20:04:34 | 日記

湯に浸かってほっこりする時間!!!

珠洲で唯一営業する銭湯に密着!

                      ~『銭湯を継ぎたい』ある移住者の決断~

地震で断水が続く珠洲市で、唯一営業を続ける銭湯『海浜あみだ湯』。
連日多くの住民が湯を楽しみに集います。

運営しているのは、新谷健太さん(32)。

社会の枠組みから逃れ自由に暮らしたいと、開放的な珠洲へ7年前に移住。
自給自足で生活し、自然と人間が一体化しているこの街に一目ぼれしたといいます。

新谷さん

新谷さん『サラリーマンは向いてないというかやりたいというのはなかった、組織の中で働こうとも思わなかった。大学時代に珠洲へ一度行ったんですが、人が尊重しあって自給自足していて、人間が自然と一緒に営みをはぐくんでいて面白さしかなかったです。なんでここにみんな住み続けるのか謎が解けました。』

 

        

移住してまもなくゲストハウスや飲食店など、次々と事業をスタート。
しかし、集まるのは移住仲間ばかりで、地域の人を巻き込めず道半ばで断念してきました。

新谷さん『僕らだけのコミュニティーになりがちだったので、
      もっと住民がふれ合いやすい環境にすればよかった。そこは反省ですね。』

新谷さんがなぜ今、銭湯を運営しているのか。

実は、去年9月から取材は始まっていました。
海を臨む銭湯『海浜あみだ湯』は、築35年の大きな建物。
長年、地元の人の憩いの場所になってきました。

 

湯である常連に出会いました。35年通う紺谷澄子さんです。
家で独りになることが多い紺谷さんは、風呂上がりの会話を楽しみにほぼ毎日通っています。

紺谷さん『あみだ湯でみんなの顔を見るのが楽しみで。畑の大根が大きくなったとか、最近ひざが痛いとか、そんな話ばかり。お風呂30分、会話30分ですよ(笑)

 

しかし店主が高齢に・・・声がかかったのは移住者の新谷さん

あみだ湯の店主夫婦は高齢の方でした。薪を焚いて湯を沸かして風呂の掃除、接客に経理など、経営が難しくなっていたのです。廃業も考え、誰か継いでくれる人がいないか探していました。
そこで、『海浜あみだ湯』を若い世代の新谷さんに託したのです。

 

 

新谷さん『ちょうどその時、やることが他にあまりなくて。
こんな大きな建物をって…すごく悩んだんですが、何とかやってみようと。』

 

急きょ、あみだ湯を任されることになった新谷さん。
初めての番台など人々の対応に追われる日々が続きます。
それは、これまで自分のペースで生活してきた新谷さんにとって、自分の時間を人のために削る初めての経験だったのです。朝から晩まで続く多忙な業務に悩んでいました。

 

 

そんな中襲った、能登半島地震

1月、新谷さんが大好きだった街の景色は一変しました。

海岸沿いのあみだ湯に津波が押し寄せた

奇跡の地下水

珠洲市は全域で断水。しかし、海浜あみだ湯の建物に大きな被害はありませんでした。

蛇口をひねると…水が出たのです!
実はあみだ湯、昔から地下水をくみ上げて沸かしているんです。

水さえくみ上げられれば、今すぐにでも再開できる。


避難所の身を切る寒さに耐え、体を温めることもできない住民たちのために。
新谷さんは銭湯に住み込み再開することを決断したのです。

新谷さん『避難所で風呂にも入れず、何週間も絶望する人たちを見ました。珠洲の方々はもっと、僕らが計り知れないくらい悲しい。薄っぺらな希望とか「珠洲のために」とか、そんなことは口が裂けても言えないですよ。ただ、絶望を抱える人たちの悲しみや心の痛みに寄り添い続けたいと強く思いました。

地震から3週間後、『海浜あみだ湯』が復活

1月、銭湯には毎日500人ほどの住民が集う。

地震から3週間。多くの人が詰めかける中に、常連・紺谷澄子さんの姿がありました。

会えなくなった人たちと命の無事を確認し合う紺谷さん
紺谷さん「助かりました、これからも通いますね。」

これまで、限られた移住仲間たちだけで暮らしてきた新谷さん。
移住者の自分が地元の人と喜びを分かち合えた、かけがえのない時間でした。


珠洲の人々の安らぎの場所でありたい。新谷さんはこれからもお湯を沸かし続けます。

新谷さん『移住して7年になりますけど、僕のこと知ってる方は知ってるけどわからない方はわからないので、それは触れ合う中で時間をかけて信頼されていくものだと思います。銭湯に関わった責任でもあるし、命を確認し合っている姿を見て、地域のつながりを途絶えさせたくないなと思った。僕らができることは全力でやろうと思います。

でした。

 

 

いい湯だな (西 逈)

 聖徳太子の『憲法十七(じゅうしち)条』は、どこで構想が練られたと思いますか? 伊予の道後温泉へ遊行された時のことです。〽いい湯だな いい湯だな ここは松山 道後の湯。温泉に入って鼻歌を歌いながら、皆が気持ち良さそうにしている、病気にも効能がある。政治もそのようでなければならない、と。今の政治家に聞かせてやりたいですね。庶民の生活を安らかにすることが、為政者の仕事です。本来、政治の「政」という字は、曲ったことを正すこと、正直の「正」なのです。正しいという文字は、上下一体の形を現しています。上下和して正しく之を行うことを「政」(まつりごと)と言うのです。しかし、筋を通すが人の道、筋の通らぬ御政道。》

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いい湯だな (西 逈)
2024-05-23 12:36:19
 聖徳太子の『憲法十七(じゅうしち)条』は、どこで構想が練られたと思いますか? 伊予の道後温泉へ遊行された時のことです。〽いい湯だな いい湯だな ここは松山 道後の湯。温泉に入って鼻歌を歌いながら、皆が気持ち良さそうにしている、病気にも効能がある。政治もそのようでなければならない、と。今の政治家に聞かせてやりたいですね。庶民の生活を安らかにすることが、為政者の仕事です。本来、政治の「政」という字は、曲ったことを正すこと、正直の「正」なのです。正しいという文字は、上下一体の形を現しています。上下和して正しく之を行うことを「政」(まつりごと)と言うのです。しかし、筋を通すが人の道、筋の通らぬ御政道。

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