華灯り

コラム⑤ 神様の意に添わないことをすると、不運になる

無事に新潟に戻りました。
道中、ずっと眠っていたのに
まだ眠くて、新潟の病院に着いてから
また寝ていました。

東京で執刀してくださった先生、
もう一人の担当の先生、
看護師さん方、
看護補助の方々、お一人お一人に
お礼のカードを書き、多嘉良に
渡して貰った。

移送サービスの車の中には看護師さんと
救命士のお兄さん
(移送サービスの会社所属の有資格者)
がいらっしゃるのだけど、運転手さん含め
多嘉良に途中のサービスエリアでの
お昼代やお茶代を、封筒に入れて
お渡ししてほしいと言ったら、
もう用意してあった。

しっかり毛布にくるまれ、
車椅子すっ飛ばしてストレッチャーで
最初から最後まで、運ばれるだけの
バケ猫…。

湯たんぽやホッカイロ、めぐりズム、
携帯で音楽も聴いていて、
何の不自由もなし!

いたたまれず、最初に
「具合が悪くなることは、ないので
どうか移動中、寝ててください」
と看護師さんと救命士さんに言って
おいた。
そう言われても、そんなわけには
いかないだろう。お二人。
運転手さんが一番大変だね。

多嘉良は、普通に車で追って来る予定が
追い越して、先に帰り
病院で待っていた。

多嘉良は、実家で自分のパンツを
お母さんに洗われるのが嫌なため
自宅で洗濯・乾燥をして来た。
私も、お母さんに洗って貰ったら
悪いよなあ、と気になる。
お母さんは、洗濯物を持っていらっしゃい
と言ってくれていた。
*病院でもランドリーあり。

夕ご飯前に、娘と多嘉良のお父さんお母さんが来てくれて、少しお話できた。
本当は、家族というか親族しか会えないんだけど、みーさんも来た。

個室だから良いけど、2人部屋以上は
面会禁止。
個室にも、入れるのは2人まで。
で、未成年者だと本来はダメなんだけど
当直の先生に聞いて、娘と会うことを
許可して貰った。

私の症状が、というのじゃなく
コロナの影響で、面会が難しくなっている。

-----𖤣𖤥𖠿𖤣𖤥-----

前ブログで書いていたコラムが好評だったので、たまに書きます。

神様の意に添わないこと、とは
保育園で習うような、基本的なこと。
人の悪口を言わないとか、
意地悪をしないとか。

だから、盗っ人だったり詐欺師だったり
すぐに暴力に走るような人は、不運から
抜け出すことはない。

無碍に動物を殺めたり、
人の体を傷つけたり、命を奪うと
挽回が難しくなっていく。

食べて、生きるためなら動物さんの命を
頂くことがあるだろうけれど、きちんと
感謝しなければ、
そして、食べるだけで
働いたり学んだりせずに
無為に過ごしているだけでは、
やっぱり運が下がっていく。

人に何かされて、許せずに殺めてしまう
出来事も、世の中ではあるけれど。
その先で、人の救いになる行いを重ねて
いかないと、
闇のような生から抜け出すことは
出来ない。

運が悪い、という人は
自ら運が悪くなるよう、つくり出して
いる部分がある。

人を羨み、努力をせず、
誰かに当たり散らしたり
陰口を叩き、毒気を吐いている。
それに気づかないか、気づいても
改善が出来ない。
努力が出来ない。

1日に1つで良いから、
誰かのためになることを続けると
変わっていける。
それも、大切な近しい人のためではなく、
全くの他人に対して。

草が萎れていたら、
お水を撒いてあげる。
それだけで、
そのエリアの一瞬の善だけで、
草からの僅かな感謝が
運を上げてくれる。ほんの少し。
その積み重ねと、繰り返し。

自分を真に大切にすることを、
してみる。
甘やかしたり、怠けるのではなく
筋トレするとか。
体に悪いことを、やめてあげるとか。
体を冷やさないとか、簡単なことから。

ちょっとで良いから、始めてみて
変わっていく実感を得られたら良い。
幸せに、更になっていくから。

今ある幸せにも、感謝を。
日々、目の前のことに感謝し
先のことは心配しないこと。

不運や不幸について、生まれつきのことを
不幸に見做さないようにしてほしい。
例えば先天性の病や障害。
それは不運でも不幸でもなく、与えられた
環境と取るべき。

その状態から、得られるもの。
感じることで誰かに何が出来るのか。
自分に出来ることは、何か。

親(家)にお金がなくたって、
それを不幸にしないこと。
自分が親を幸せにしてやろう、
と思えたら強くなれる。

とは言え、どうにもならない環境や
状況も、存在する。
赤ちゃんの内に、虐待されて命を落とす
ようなこと。

この世での、「不幸」だと皆が思う。
でも、赤ちゃんは親を助けに来ている。
体や心を犠牲にして、親の底知れない
怒りや悲しみを、打ち消そうとして
一旦、この世界に降りて来ている魂
であったりする。

彼らは、人間というより天使であり
天使のまま、また神様の元に戻る。

難しいのは、犯罪被害に遭ってから
生き延びて、傷ついた状態から
立ち直れない時。
あるいは、大切な人を犯罪で喪った
ご遺族。
無念を抱えて、動けない状態。

それでも人生を、諦めずに
同じ苦しみを抱えた人々のために、
何か出来たら
違う視野が生まれて来る。

苦しみは、神様に預けてしまって良い。
抱え込まずに。
この世で起きる、酷いことは
人間の所業であっても、
人間にはどうにも対処出来なかったりする。戦争も同じく。

だから宗教が、生きるに当たり必要で
歴史の上で生まれて来たのだろうけれど。
救いは芸術でも良いし、魔術でも良い。

どんなものにしても、やっぱり誰かの
ために、愛を以て為して生きることが
出来たら、必ず幸せになる。
宗教も芸術も、魔術も自分のためではなく、人のために。



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