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主婦バスガイド花子でございます!

主婦、保育士、着付け教授、バスガイドと、只今人生進行中の花子のdiary

長万部かなやの新メニュー

2007年10月20日 | 渡島総合振興局
前回の仕事で一番嬉しかった事は・・・
長万部「かなや」で昼食だったこと!

すっごい久しぶりの「かなや」
十勝川温泉にご一緒したドライバーさん情報で、新メニューが増えたこと
中でも”海鮮あんかけチャーハン”が一押し!とのことで・・・
迷わず、”海鮮あんかけチャーハン”を頼む。
どう?
カニのむき身がたくさんで・・・
ホタテもえびもゴロゴロしてて・・・
大盛りで・・・
もちろん味も言う事なし!


ちなみに、この”豚角煮あんかけ”も新メニューです。
ドライバーさんが頼んでいました。


あ・・・
”カニクリームコロッケ”も、一人一個ずつ食べました。
この後・・・まんぷく過ぎて・・・仕事になりませんでしたase


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函館⇒札幌回送

2007年09月23日 | 渡島総合振興局
昼過ぎに、函館APでアウトして札幌回送です。
途中、中山峠の下りで渋滞にあい家に着いたのが21時になりました・・・

函館バイパスからは大野平野が広がり函館山がお見送り~


やがて大沼トンネルを抜けると・・・小沼と駒ケ岳が!


駒ケ岳は見る角度により形が変わって見えます


観光バスのガイド席からはこんな風に見えます


八雲町には、こんな看板がありました。
北海道新幹線早期着工・・・


長万部を過ぎても、海上に駒ケ岳が浮かんでいます


羊蹄山と尻別山の夫婦山が見えなくなるころ・・・


だんだんと日が暮れてきました・・・
まだ18時前なのに・・・確実に冬が近づいています


昆布岳と秋の空


今日もたくさん働きました。
ふぅ~

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鹿部~八雲へ

2006年11月06日 | 渡島総合振興局
この前の鹿部の続きをチャチャッと書きます。

朝、温泉宿を出発してすぐにお客様が「いや~、今朝食べたタラコが美味しかったので買いに行きたい」と言うのです。
で、近くの加工場に連れていきました。
ま~、買うわ買うわ・・・
こじんまりした小さい店なのでお客様は入りきれずに外にはみ出してました。

バスが発車して一言。
今のお店、ただ今を持ちまして年内の営業は終了だそうです。皆様、半年分の売り上げにご協力下さりありがとうございました。店主に代わり厚く御礼申し上げます・・・
車内は大爆笑でした。


また、この日の朝食は朝イカのお造り食べ放題だったんですが・・・前日は物凄い突風・・・で、宿に入る前に~
あ~~~、残念ですが、この風じゃ~朝方イカ釣り船も出港出来ないかもしれませんねぇ~~~~・・・・
(お客さん、皆、肩を落す。なかには「え~~~?」と言い出す方も」
いや、でも朝イカの代りに、今が旬のあのブランド!戸井町のマグロがならぶかも知れませんよ」と言うと
いや~~~、そっちの方が良い!!」と・・・

翌朝、聞いてみました。
テーブルに並んだのはマグロかどうかって・・・
朝イカだったそうです。
あらま~、お客様!私は朝からマグロづくしでしたわよ!
なんちゃって!
花子も朝から、透明なイカ刺しを食べました!


なんか、この町の風景は花子が幼少期を過ごしたあの町によく似てるんです。
 
寒風にさらされながら昆布取りをしていました。
鹿部の昆布は江戸時代にも最高級品とされました。


その後は、大沼公園そして八雲町へ・・・
なんと今回の幹事さん、初日にバスに乗り込むなり「いや~、ガイドさん!今回はチップはないけど、お昼ごはんはあるからねぇ~」と・・・ドテッ
で、前日の昼食は長万部の「かに飯」
そして、この日の昼食は旅館で握ってもらった「おにぎり」でした。それを、八雲町の『梅村庭園』で食べようって訳です。

で、『梅村庭園』て?何さ~?どこさ~?って感じの乗務員二人・・・・
ベテランドライバーさんも何とか調べて・・・また、乗務員が宿泊した宿にPCがあったので検索して出かけたものの・・・道がかなり狭い。
どうやって大型バスが通るんだ!って道ばかり・・・
で、やっと庭園の前に着いたかと思うと『バスは公民館前に移動して下さい』と・・・
その公民館の近くを通りやっとの思いでたどり着いたのに。
結局、町内をうろうろグルグルまわって公民館前についたら出発の15分前。
あ~~、おにぎり弁当でよかった~とつくづく思いました。
そのおにぎりがですね・・・なんていうか?作り手の愛情が伝わってくるようなおにぐりなんですよ。ほら、おにぎりを握って自殺者を思いとどめさせたって有名なおばあちゃんがいるでしょ?そのおばあちゃんのおにぎりって見たことないけど、きっとこんなおにぎりなのかな~って!

出発ぎりぎりに公民館のWCに走りました。
お???これはこれは「徳川さん」じゃ~あ~りませんか~~? 

何だか、この徳川さん・・・困った顔してますねぇ
ここ八雲町は、明治11年に旧尾張徳川の士族たちが開拓を始めたところなんです。で、多分、徳川慶勝の像でしょう。(もう、お客さんがバスにそろってたので名前を確認する時間がなかった)
また、地図を見ると割りと近いところに『木彫り熊発祥の地碑』というのがあるらしい・・・そのことをドライバーに伝えると「も~~、ここには二度ときたくない」と言った。ほんとに狭いドライバーさん泣かせの道。
お客様にお願いです。色んな行程を組む際は、観光バスの駐車スペース(待機場所)また、大型車両が通行可であるかどうかも頭のかたすみに入れて下されば嬉しく思います。
ちなみに大変苦労した『梅村庭園』です。

梅村庭園は、愛知県から移住してきた梅村多十郎氏が、屋敷の庭として造園したもので、現在は八雲町指定文化財として、無料で利用されています。

昨年の花子さん⇒ここ2005年11月6日



鹿部への旅

2006年11月01日 | 渡島総合振興局
おはようございました~!(過去形)
車掌さん、ヨロシクたのむねぇ~と、バスに乗り込んでくる。

今回もやたらとハイテンションなお客様だ・・・

そうです。この前のファイターズバスのお客様。一緒に鹿部にいきました!
バスに乗ったらまずおやつ・・・
私もいただきました。(色々入ってて嬉しくなります)

 
市内南区のお客様でしたので真っ直ぐルスツ村へ!
同じ道を翌日戻るということもあり、明日のお土産の品さだめ・・・

出発直前に一人の男性が私の所に寄ってきた。
ガイドさん、赤い靴の岩崎かよさんの話しはしますか?もしよろしければ、私・・・マイクで案内させてほしいのですが
あ~~~~、いくらでもどうぞどうぞ!!と、こいうことで出発と同時にマイクを渡す。
それが詳しいのなんのって!実際にルスツ村まで来て色々と調べたというのです。プラス、お年寄りですから話が長くて終わらない・・・
気が付くと、洞爺湖もすぎて豊浦の道の駅もすぐそこ!
どうやったら、赤い靴で50分も間がもてるんだ・・・・今後の参考にさせて頂こうと思う。さすが人生の大先輩!

でも・・・歌をあたしに振るのはやめといて。
話しが終わったかと思ったらいきなり、「赤い靴の歌はガイドさんが知ってますので唄ってもらいます」って!「知ってるなんて誰にも言ってないし、唄うとも言ってないわよ~!」知ってたし唄ったけど・・・・

てなことで、いちごの町「豊浦」に到着しました。
花ちゃん、とうきびたべるかい?」「アイスは?」と・・・良いお客様。まるで孫?娘?のように可愛がってくれて!でもとうきびにアイス・・・絶対お腹壊しますから・・・食べましたけど・・・
   
花ちゃん、嫌いなものないかい?お昼ごはんに“かに飯”用意したから一緒に食べようね」って・・・長万部に行って、お客様と同じ席で昼食食べるのって初めてかも?たまには、バイキングじゃないごはんもいいかも?ごちそうさまでした。


その後はいよいよ、鹿部町へ!
砂原町に入ると、噴火湾の向こう側にはっきりと室蘭のエトモ半島が・・・なんと!白鳥大橋まで見えるじゃありませんか!ここから直線で結ぶと最短で23キロ・・・早く『噴火湾大橋』 (勝手に命名)を架けましょうよ!←その話題でかなりお客様と盛り上がる。(内心は「ダメダメ!函館日帰りツアーなんて出来ちゃうから!」)

それにしても、鹿部は寒い!浜風がビュンビュン、バスにたたきつける。
かもめは強いな~、寒くないのかな?かもめは風邪ひかないのかな~?(花子はここで風邪ひいたよ↓↓)

鹿部といえば『間欠泉』ですよね。活火山駒ケ岳の麓に広がる温泉の町ですが、なかでも10~15分おきに103度の温泉が吹き上がる『間欠泉』は圧巻です。
何度か来たことはありましたが、実際にお湯が吹き上がる様子を目の当たりにしたのは初めて!かなりの勢いと迫力にビックリしました。この日は強風のために湯の高さ制限をしてたんですが・・・それにしてもスゴイ!これを見ただけで来た甲斐がありました。

お客様はマイタオル持参で『足湯』も楽しみながら間欠泉の見学。


『間欠泉』の向かいの駐車場には、鳥羽一郎さんの「北斗船」の歌碑がありました。ご案内した時にお客様が「いや~、その歌知らないなぁ~」と・・・私もすかさず「聴いた事ないですねぇ」←(ガイドさんが、これでいいのでしょうか?)赤い靴と違って、本当に知らないし唄えなかった・・・・
でも、一応PCで調べたら『ヒット曲』ということでした・・・。
『兄弟船』なら・・・♪波の谷間に~命の~~~~はなぁ~~~がぁ~~~~と、全員で合唱できたんでしょうが・・・。


鳥羽一郎さん、ごめんなさい・・・

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昨年の花子さん⇒2005年11月1日


孝行餅・おっぱいまんじゅう

2006年05月24日 | 渡島総合振興局
昨日はザンザン降りの雨の中、松前・江差に行きました。
お客様は地元の米農家の団体で9割が女性です。
ま~、賑やかな車内です・・・雨でも嵐でも関係ないみたいですね。

朝、ホテルを出発してのご挨拶の中で、前日の夜に函館の高校でこの春から寮生活をしている孫に会いに行ったというご夫婦がいましたのでちょっと話を聞いてみることに・・・
すると、話が延々に続いて・・・他のお客様も皆さんもご近所で、その子のことを良く知ってるものですから、更に話が長くなり・・・わんさわんさと盛り上がってしまいました・・・

私もついつい
めんこい、お孫さんだもの別れる時にテイッシュにくるんでおこづかい持たせたんでしょ?
なんて言うと、ギャーギャー笑いながら
そうそう、よくわかるね~ガイドさん!
別れる時になかなか、握った手が離せないでいたっしょ
いや~、なんでわかるのさ~~~?
ついでに、父さんも、本とは松前の桜なんてわざわざ遠いとこまで来て見なくてもいいのに、函館に泊まるっていうから、孫に会いたい一心で参加したんでしょ?
すると、ご主人・・・照れながら
んだ!!!
車内は大爆笑!!!
そんなことを話しているうちに、大事な七重浜の洞爺丸台風の慰霊碑も当別のトラピスト修道院も過ぎてしまい、早口でご案内・・・
やがてバスは、私の故郷(なんです)木古内町に・・・

なつかしいの何のって・・・
残念ながら海沿いに立派な新道が出来たので、花子が幼少の頃に住んでいた家の前は通りませんでしたが、最近この新道沿いに「木古内の坊」の銅像が建ったと新聞で見ていたので、町に入る前に「木古内の坊」の話をしてお客様に一緒に銅像を探してもらいました。
見つけた時は
「あ====!あった!あった!」って感じ。
ついでに木古内の坊の「孝行餅」の話をすると、「食べたい!買いたい!」のオンパレード。道の駅「知内」にあるかも知れませんと言うと、早速財布を出して降りる準備をしています。

「皆様、右をご覧下さい。私が生まれた町立病院です」って感じ↓↓↓
もちろん「寒中みそぎ」で有名な・・・花子が5~6歳のときにおぼれた津軽海峡も案内しました。
そうです・・・子どもですがら、対岸に見えるのは下北・津軽ではなくハワイだと信じてやまなかった、あの海です・・・・。

やがて、知内町に入り北島三郎さんのご実家をご案内。
その手前の道を右に入ると、花子のばっちゃん(おばあちゃん)宅があることも、しっかりご案内。
ちゃんと、知内公園にある「うば杉様」の紹介もしましたよ!
高さ25メートル、樹齢700年の杉の大木で「姥杉様」とよばれて大切にされている木ですが、幹に大きなコブが2つあって、昔から母乳の出ない人が信心すると良いと伝えられているものなんです。
知内の道の駅に行くと、ありましたよ!
木古内の坊の「孝行餅」と「おっぱいまんじゅう」
売店のお菓子の棚は、
私のバスのお客様が殺到し、ものの10分ほどで見事に棚がからっぽになり、お店の人に感謝されました・・・
みなさん、雨の中、傘もささずに売店に直行してましたからね~。
あの~~~、トイレは大丈夫でしょうか?

おっぱいです。あ、ちがった・・・おっぱいまんじゅうです

おっぱいを食べました。
いたッ・・・くはありません?ミルク風味でおいしい餡でした(笑)

そして、おなじみの「孝行餅」です

木古内の坊のお話しはこちらから・・・
 明治の初め、木古内に大変親孝行な盲目の青年がおりました。ツケ木(マッチ)の行商をしながら父親と二人で暮らしておりましたが、いつも大きな体にボロボロの服をまとい、背中にたくさんのツケ木を背負って、杖をたよりに町から村へ農村から漁村へと売り歩く毎日でした。そして一日中歩き続け、帰りには年老いた父の喜びそうなお土産を買ったり、お得意さんからもらったご馳走を大事に持ち帰る姿はたいそういじらしく、誰言うとなく”木古内の坊””木古内の坊”と呼ばれ、温かい目で見守られておりました。
 その後、この木古内の坊が亡くなって数年経ったある日のこと、大阪の百万長者の家に子どもが生まれましたが、どうしたことか、その子は手を握ったまま開きません。医者に見てもらったり、色々手を尽くしてみましたが、どうしても開かないのです。すると一人の占師が「これは木古内の坊の生まれ変わりなので、木古内の土を手に塗れば治る」と申しました。そこで早速木古内の土を取り寄せて塗ってみますと、不思議にも子どもの手が開きました。木古内の坊は親孝行のおかげで、百万長者の家に生まれ変わってきたのです。