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主婦バスガイド花子でございます!

主婦、保育士、着付け教授、バスガイドと、只今人生進行中の花子のdiary

道内最古の知内温泉?

2013年12月03日 | 渡島総合振興局
12の館めぐり続きます
知内町へ移動し、目的は「脇本館」
雷公神社も、さぶちゃんの実家もパス!
うちの本家もパス!

武田信広を追うようにエゾに渡った「中野館」の佐藤親子
その父、孝行が知内町、脇本村。小田西村を支配していたとか・・・
その後、南条氏が館主となり、佐藤親子は中野館へ移ったという節。
もっと詳しいことは、ネットで検索してね・・・笑

場所も特定できず
・脇本神社の左、津軽海峡に面した断崖の上?


・湧元小学校裏の高台?
小学校は廃校になっていました


高台からの眺めは、こんな感じ!


その後は、かつて砂金掘りで賑わった千軒岳を眺めながら「知内駅」へ
「道の駅しりうち」と、同じ敷地です



先日「よしおかかいてい」駅の最後の見学・・・とニュースで流れていました


新幹線開業にむけての建設現場を、すぐ近くで見ることができます



道の駅しりうちの・・・


奥の扉を開けたら・・・
(サブちゃんポスターいっぱい!)

駅です!


外から見ると、こんな感じ




これ、何年前のポスターだろ?
はりかえた方が良いと思うけど・・・
札幌延伸決まってるし


道の駅では、生しいたけとトマト、そしてクッキーを買いました
これ読んだら、買わずにいられないでしょう~




そして、道の駅を出てすぐにKちゃんがこんなポイントを発見!
「青函トンネル出口展望台」


新幹線が開業したら、立派な望遠カメラレンズを持った人ですごいことになるんでしょうね


その瞬間をとらえる為に、スーパー白鳥の時刻表(上下)も置いてあります!
親切です。
この春から縁があり、何度か青函トンネルを利用していますが、今度からはなんとなく情景やこの旅の思い出がめぐり楽しい列車旅になりそうです!
Kちゃん、ありがとう~
デジカメ、最大に拡大しましたが・・・ぼけちゃいました~


さてさて、楽しみにしていた入浴タイムです
「開湯800年」て、すごくないですか?


興味のある人は大きくして読んでみて!
1247年の鎌倉時代に金山の発掘作業員が温泉を発見!、松前藩主が夫人と利用したお湯。



建物は、新館もあり立派でした。
前に、多分2~3回は両親や親戚と来た事があり(あまり記憶にない)
その時は、もっとひなびた印象だったので・・・・ん~



玄関には「日本秘湯を守る会」の提灯が・・・
日帰り入浴は大人430円でした
宿泊施設がありました


名物岩風呂は、入浴者が多く写真は撮れませんでしたが・・・
こちらの女性風呂は誰もいません。ので・・・
前日の湯ノ岱温泉い似た、赤いお湯
こちらは、かなり熱めのお湯でした(源泉は65度??)





露天風呂にも入ってみます






ただ、こちらの小浴場と岩風呂は、一度服に着替えてロビーの前を通らなくてはならず・・・
かなり面倒臭いです

メチャ古いんです・・・
依託者「佐藤昌介」ですよ!!!


ザブンとカラスの行水後は、「やごし本舗」のゲンコツ(これ、好物。幼少の頃のおやつ)をかじりながら松前へ!!


cherryおまけ
知内町マンホールアート


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またまた故郷木古内へ・・・

2013年12月02日 | 渡島総合振興局
かなりディープすぎる道南旅も最終日
ほんとはね、七飯の松並木を久しぶりに通って沿道のパン屋で朝食用のパンを買い
新幹線の駅を見て・・・あそこで温泉入って・・・

で、8時開店のパン屋に合わせてホテルを出発したんですけど・・・

Kちゃんが「そういえば、知内駅もなくなるんだって」
「見ておきたいね。そういえば、知内温泉って道内で一番古い温泉って聞いたんだけど」
「行く?」
「だったら、12の館全部制覇する?」
「する!!!」
で、いきなり行き先変更!

ついでに、前日スルーした「男子トラピスト修道院」へも


ここの売店のソフトクリームが美味しいそうで、Kちゃん・・・
食べたかったみたい!笑
前日だと、時間が早すぎてまだ売店が開いていなかった

「ルルドの洞窟はいけないからね!遠いからね!」
なんども念を押される私・・・



三木露風「赤とんぼ」「野ばら」の歌詞は、露風が4年間文学講師として滞在中につくられたもの








ジャーーン!
トラピストスペシャルソフトクリームです。
クリームとコーンにトラピストバターが入っています!


そして、あのトラピストクッキーをスプーン代わりにしてクリームすくい食べるのが、正しい食べ方。笑
(現在、冬季期間中ということでソフトクリームの販売はしていません)


トラピストの丘を下ると・・・こんな景色!
思わず、車を停めて撮影です


さぁ、再び私の故郷木古内へ
「まさかまた、今日も同じ道通るとは思わなかったねぇ~」と

駅前の末広庵です
「孝行餅」で有名な和洋菓子屋




「孝行餅」以外にも、いろんなご当地スイーツが!

「Ya!キーコ」というチョコ菓子
キーコは木古内のマスコットキャラクターで「木古内駅新幹線観光駅長」なんですって!
木古内町で飼育されている「はこだて和牛」をイメージ!
なんと、デザインは山本寛斎???


裏は、こんな感じ・・・
正直、このお菓子のコンセプトがわからない・・・
ん~
ま、いいか・・・


そして木古内町には「中野館」

武田信広の後を追うように、ここの館主佐藤親子もエゾに渡り中野館を築いたと・・・
場所は定かではなく色んな節があります
看板も標柱もありません・・・

・木古内営林署向かい側
・中野神社
・木古内高校

町で発行してい観光マップを頼りに近くまで行ってみます・・・
杉がある、小高い丘へ行き着きました。
地元の老人が庭仕事をしていたので聞いてみましたが「わからない」
パークゴルフ場の馬車を一生懸命教えてくれました・・・ありがとう。涙

多分、この当たりかなぁ~
周りの写真だけ撮っておきました


近くにある木古内高校(グランド)です


そのあと前日の「禅燈寺」方面へ向かうんですが、途中「戊辰橋」があるとマップで見つけ渡ります

・・・ところが・・・
橋のどこにも「戊辰橋」の名前がありません。
ここも戊辰戦争の激戦地です!

下の流れは「木古内川」です


にしても、かなりさびれた橋です・・・


反対側から見ても・・・この通り
観光マップに記入するのなら、ちゃんと橋も整備した方が良いと思います。
駅ばかり立派にしてもね~
故郷、がんばれ!


せっかくなので・・・
列車は来ないけれど、また禅燈寺により仁王様を激写
このお腹・・・笑
親しみがわきました!



私も「イナバウアー」のポーズでお返ししました・・・


さて、お次は知内町です

cherryおまけ
木古内マンホールアート「咸臨丸」


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エセ鉄子の部屋@禅燈寺

2013年11月26日 | 渡島総合振興局
まずは「渡島鶴岡駅」に行きます


ここでトイレを探しますが・・・
あるはずがありません・・・

でも、うろちょろした甲斐があり・・・
「山形庄内藩上陸地碑」を発見しました!



実は近くにある「禅燈寺」
なんと、境内を列車が通過するとのことで、9:16分に通過する列車を狙ってやってきました(この時間に間に合わせるよう、宿を出発しました)

山門をくぐると・・・


こんな感じです!(線路の向こうにお寺の建物)


ところが、待てど暮らせど・・・列車が来ません
トイレには行きたいし・・・
じーーとしてたらもれてしまう(失礼)ということで、あちこちうろついた甲斐があり(また)

開拓使判官松本十郎の碑をみつけました


ン~~、詳しいことはコチラ↓↓↓を、お読み下さい


そして「仁王像」も有名らしいです
大正時代に函館在住風間荘慶により造られたものだそうです

ひへ~~~っ、怖い!




にしても列車が来ません・・・
しびれを切らし、Kちゃんが木古内駅に電話をしました
「20分くらい遅れてるって」

えーーー???
トイレーーーー!

なんとか気をまぎらわそうと、外で色んな写真を写します


いつの間にか雨が上り・・・虹がかかりました~!
ひゃっほ~


そこへ・・・
遠くの方から、列車の通過を知らせる「ファン」「ファ~ン」というような音が聞こえてきました!
Kちゃんは、動画を撮るのにすでに待ち構えています



私も・・・
そこへ・・・!!!!

ほんとに一瞬ですが・・・
わかりますか?




いや~、もう・・・
ダメかと思いました(どっちも)
何とか間に合いました(どっちも)

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故郷木古内町ってこんな町

2013年11月25日 | 渡島総合振興局
「木古内の坊の像ってどんなんだった?」
「ほら、学校にある二宮さんみたいなやつさ・・・」

「え?デカッ・・・」とKちゃん!
「一休さんみたい」って・・・ほんと

悪いことしてないのに、むしろ親孝行なのに
まるで反省してるよーな「木古内の坊」






同じポーズで写真を撮ってみました。


「木古内といえば”孝行餅”だよね~」
「親不幸餅ってあったら、売れるんじゃない?」
「売れるわけ、ないでしょう!!」

スミマセン・・・

明治の初め、木古内に親孝行な盲目な青年がいました。マッチ(つけ木)の行商をしながら父親と二人で暮らしていました。
松前~江差、ある時は遠く余市や小樽まで一日中歩き続け、帰りには必ず年老いた父親の喜びそうなお土産をかったり、お客さんからもらったご馳走を大切に持帰り、いつしか「木古内の坊」とよばれるようになりました。
ところが木古内の坊が亡くなり数年後、大阪の千万長者の家に子どもが生まれましたが、その子は手を握ったまま開きません。すると占い師が「これは木古内の坊の生まれ変わりなので木古内の土を塗るとなおる」と言いました。早速、木古内の土を取り寄せ塗ると不思議に子どもの手が開きました。木古内の坊は親孝行の報いで千万長者の家に生まれ変わったのだといいます

「末広庵」の孝行餅です


そして、すぐ近くに「みそぎの浜」があります
私の幼少時代の遊び場です(メチャ逆光)


よく、おぼれてたっけ・・・
なつかし~


「みそぎ」といえば「佐女川神社」


「みそぎ」は天保時代(200年くらい前?)から行われている行事
天保2年1月17日、社守が夢の中で「神体を清めよ」とお告げをうけました。
寒空の中、社守は神社の傍らを流れる川で身を清め、ご神体を抱いて海岸へ行きました。
そして川口をのぞくと大きなサメが身を横たえています。社守は、これぞ神のお告げのサメと信じ、抱いていたご神体をサメの傍らで清めて社殿に納めたところ、その年から豊漁豊作に恵まれました。

「みそぎ橋」と「佐女川」



今も選ばれた町内の男子4人が1月15日から神社にこもり、17日には裸になりご神体を抱いて一斉に海に入り、およそ15分間のみそぎを行っています



木古内銘菓(末広庵)「みそぎの舞」です


マシュマロの綿帽子をかぶった、おまんじゅう(和菓子)です


さて、最後は木古内駅
ここでもやっぱりトイレに走っています
あまりに慌てて、男子トイレに入ってしまいました。


この建物は2015年の新幹線開業で無くなるのかな・・・
新しい駅の建築が急ピッチで進められています


江差線の始発・終着駅でもあります






さぁ、次は・・・
いよいよ「エセ鉄子」による「江差線おっかけ旅」の始まりです!


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おもいつき旅@木古内へ

2013年11月24日 | 渡島総合振興局
おもいつき旅、2日目の目的は「江差線」です。
効率よく、付近を見て回りながら「江差線」も制覇したい!
こうなったら、計画も念入りです。


朝7時には宿を出て、給油・・・
そして木古内めがけて走ります(Kちゃんが)

途中、コンビ二でコーヒーとおにぎりをかいます。
おやつは、Kちゃんに「八雲せんべい」をもらいます



そういえば「洞爺丸台風の慰霊碑、この辺だよね」
「あ、ここ!」
車の窓を開けてパシッ!


ビックリしたのが釣り人!
トドかと思いました・・・


「時間があったら、茂別館も行きたいんだけど~」
いつか、12の館を制覇したいという夢を抱いていた私・・・
12は無理でも、茂別・花沢・勝山は押さえておきたいなぁ~と・・・
そしたら「いいよ」って

※十二館
15世紀中ごろ、函館の東にある志海苔から海岸沿いに、江差の南にある上の国までの間に12の館がありました。
領主の多くは、奥州の戦いに敗れ道南に逃れてきた小豪族です。これらの拠点は、堀・土塁・木の柵などで囲んで砦とし「館」と呼ばれました。
館主は、出稼ぎの漁師や商人から産物の一部を税として納めさせたり、近くのアイヌの人達と交易をしたり・・・これらの産物は、商人の手により京都・大阪方面へ運ばれ「ニシン・サケ・コンブ」は”エゾの三品”と呼ばれ人気があったそうです。
しかし、和人の数が増えると、アイヌの人達と仲良くなれなくなり1456年~コシャマインの戦いが起きます。この戦いで大方の館は攻めおとされ、花沢館(上の国)と茂別館(上磯)の2つだけが残りました(ガイドブックより抜粋、アレンジ)

「茂別館」(安東家政)
1443年、津軽十三湊城主、安東太郎盛季が造った館。
今から500年ほど前のコシャマインの戦いで、豪族の館は次々と攻め落とされ、茂別館もすっかり取り囲まれてしまいましたが、アイヌの人達が射る矢は不思議と城に届かず、茂別館を落とすことが出来なかった=「矢不来」の地名の起こりとのこと(または、アイヌ語で「ヤンケナイ」陸揚げする川)

この戦いでは、上の国花沢館と茂別館の2つが残った・・・

地図を見ますが・・・
私のナビはほとんど当てにならず(当てにしてないKちゃん)
車のナビで近くまでいけました。

近くを流れる「茂辺地川」では、サケまつりも開催されていたよーです

「矢不来天幡宮」
ここで、ジョギング中の人に更に上まで車であがれるよーと聞いて、行って見ます


「矢不来天満宮裏参道」


雨が降ってきました
足元、べしゃべしゃになりながら、草むらを走り石碑を一つ一つ確認しますが「茂別館」とはかかれていません


元の社殿は、ここから少し離れたところに南を向いて建てられていたそうです。社殿を新築・上棟式を終えた晩に、お宮が一夜にしてぐるりと向きを変え南を向いたといいます。
また、茂別の館主が、ご神体が傷んでいたので修理することになりました。京都の名工に託し出来上がった時、全く同じ仏像が5体あります。「あまりに見事な木像なので4体を模作したので本物を選んでください」とのこと。
ところがその時、本物のご神体がチクリと目で合図をしたのだそうです。おかげでご神体は無事に戻ることが出来たそうです

そろそろあきらめかけた頃・・・
元の鳥居のすぐ近くにありました!




「天保11年」の文字が・・・


近くには「鮭卵・ふ化場跡」の看板と・・・境内には「鮭之碑」




そして「開拓使茂辺地煉瓦石製造所跡地」
ここで焼いた煉瓦は、元町公園の旧函館支庁書籍庫と金森洋物店に残されています。


さて、次は更木(さらき)岬をかわします
ここには「咸臨丸」があります

明治4年、旧仙台白石藩士達、およそ400人の移民を乗せた咸臨丸がこの付近で座礁したのです。船は沈没し、今もそのままだといいます。
咸臨丸はオランダ製の木造軍艦で、幕末に勝海舟が乗り込み太平洋を横断した船です




cherryおまけ
銘菓「咸臨丸」(木古内町・末広庵)




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