平成27年10月3日(土)に参加した、
JR東海主催 さわやかウォーキング
「清洲城と美濃路の古き街並みを訪れ「清洲越し」を偲ぶ②」の続きです。
美濃路沿いにあるお寺さんの一つ、瑞正寺へやってきました。
ここには日本一のものがあるそうなので、お参りしていきます。
日蓮宗 瑞正寺
左側に巨大な石塔が見えています。
この石塔は、この付近にあった刑場で処刑された罪人を供養するために建てられたそうです。
罪人を処刑するための槍刀を洗う池があったそうですが、その池を埋め立て、その上に石塔を建てたとか。
この石塔建立後、罪人は処刑される前に、この石塔に手をあわせ懺悔したそうです。
なんか恐いというより、もの悲しい感じがしますね。
お隣にあった痔の神さま。
飴茶庵。
立派な屋根神さまがありますね。
だいぶ道が狭くなってきました。
これも屋根神さまかな?
これもかな?
以前、屋根神さまの社の扉が開いていたことがあって中を見てみたら、秋葉さんと津島さんのお札が祀られていました。
一休庵。
こちらにも立派な屋根神さまがあります。
中に入ってみたいと思います。
これはお祭りの時に出される、山車の名前だと思います。
あ!
太陽食品のソースが売っていた。
買おうかと思ったけど、高かったので止めましたw
他にもお漬物や手ぬぐいなどが販売されていました。
お菓子もいっぱい^-^
通りへ出ましたら、また古風な建物がありました。
あの窓のようなものはなんだろう?
これ。。
のぞき窓のような。
あそこから鉄砲でもって敵を狙ったりするのかな?
問屋記念館へやってきました。
時間も大丈夫なので、見て行きます。
清須市指定文化財
元は山田九左衛門さんの住居。
住居部分と商用部分の併用になった住居で、典型的な問屋さんの住居構造になっているそうです。
中に入ってすぐ、野菜が沢山並べられていました。
良く見ると、全部偽者だったw
利便性が高そうな三口かまど。
真横に消火器w
奥へ続く通路には、沢山の瓦が埋められていた。
滑り止めでしょうか?
ウロコ?
鬼瓦で飾られた井戸。
商い道具などなど。。
住居の方へ上がらせてもらいま~す。
部屋から入り口の方です。
特徴的な電灯飾り。
部屋と部屋の間にある庭。
あの瓦の並びは、何かを模しているようですが、それが何だかわからないw
多分ですが、龍と鳳凰だと思います。
奥の部屋には、歴史的な資料の数々。
あのご老人は、81歳の野口道直。
没する半月前の姿が描かれたといわれています。
そしてこれが有名な「尾張名所図会」
尾張名所図会に描かれているこの絵は、明日のブログに出てきます。
一番奥の庭です。
左の方には、厠(トイレ)がありました。
奥の部屋から入り口の方へ。
細長い住居の造りは、昔の住居の特徴なのかな?
俗にいう「うなぎの寝床」ですね。
これはおじいちゃんの家にもあったんだけど、名前がわからない。
造りはしっかりした建物でした。
風通しも良好なんじゃないかな?
昔の人の知恵が詰まった問屋記念館でした。。。
長くなりそうなので、今回はこのあたりで。
続きはまたです。。。
今年4月の名古屋ウオーク熱田神宮~清州城~名古屋城~熱田神宮のコースで歩きました。懐かしいです。
あの時は、桜が満開で清州城、名古屋城も花見客で一杯でした。
「屋根神」ありましたね。初めて見ましたので写真を撮りました。美濃路は、町並みの風景がよく歩いていてとても気持ちが良かったです。
あしあとから見にきましたが、見ていて楽しい気分になりました
写真も1枚1枚丁寧に撮られてていいなぁ
突然のコメント失礼しました。
コメントありがとうございます。
名古屋を歩かれたのですね。
熱田から清洲の往復は、結構な距離になるんじゃないでしょうか?
美濃路は街並みもなんだか懐かしく、歩いていて気持ちが良いです。
昔の人がどんな生活をしていたかを垣間見れて面白かったです。
ご訪問コメントありがとうございます。
お褒めの言葉、ありがとうございます。
実際の場面がうまく表現できるいるかわかりませんが、
出来るだけ伝えられたらと思っています。