8月6日(木) 広島平和記念日
猛暑日が続いています。
今日は広島平和記念日。1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイが、広島市上空約9,600メートルで世界初の原子爆弾リトルボーイを投下し、上空約600メートルで爆発しました。
一瞬でたくさんの無辜の民の命と日常を奪い去っていった悲しい出来事です。
優しさの向こう側にある静かな祈り。
今日が優しい笑顔の一日でありますように。
8月6日(木) 広島平和記念日
猛暑日が続いています。
今日は広島平和記念日。1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイが、広島市上空約9,600メートルで世界初の原子爆弾リトルボーイを投下し、上空約600メートルで爆発しました。
一瞬でたくさんの無辜の民の命と日常を奪い去っていった悲しい出来事です。
優しさの向こう側にある静かな祈り。
今日が優しい笑顔の一日でありますように。
8月5日(水)
昨夜は夕飯を食べた後、家人と夜ドライブに出かけました。
大抵は峠を越えて長野に入り、また群馬に戻ってくる3時間程度の周遊コース。
で、昨日は下仁田町~内山峠~佐久市~御代田町~軽井沢町~碓氷峠~自宅の通称「南廻り」。
この内山峠~佐久市では野生の鹿が数多くいるらしく、「鹿注意」の看板や標識がたくさんあります。
1種め。
2種め。
3種め。
全部峠を越えた佐久市側に設置されています。
いつも「今日は鹿さんに会えるかな」などと呑気に出かけていますが、トラックのドライバーさんなどは鹿と交通事故をしてしまうこともあるそうです。
実際に私たちも鹿には何度も遭遇していますので、ルートになさっている方々はかなりの頻度になるかと思います。
で、昨夜も鹿さんに会えました。
ドライブレコーダーの画像です。
珍しく群馬県側で遭遇。まだ鹿の子模様の残る若鹿でした。
きちんとカメラで撮ろうかと思ったのですが、すぐに山に帰ってゆきました。
おまけ。
同じく昨日、自宅近くの城跡の山で遭遇した子ダヌキ。
親はどこかに隠れていたのでしょうか。
この子たちもそそくさと山に帰ってゆきました。
今日が優しい笑顔の一日でありますように。
8月4日(火) 箸の日
先日、会社のお客様から家庭菜園の野菜をいただきました。
その中にちょっと見慣れない「赤カブかな」と思われるものがあり、私がいただくことになりました。
割ってみると中まで赤く、生で少し食べてみた食感も「どうもカブじゃない」ということで、調べてみたらロシア野菜で有名なビーツでした。
家人と「何を作ろうか」と相談した結果、ボルシチに決定。
ネットでレシピを検索して初ボルシチにチャレンジ。
で、できたのがこちら。
はい、見事に真っ赤ですね。
キャベツやジャガイモ、玉ねぎ。みんな赤く染まっています。
本来はサワークリームをかけていただくようですが、「酸味が出るものなら」ということでレモン汁で代用。
美味しくいただきました。どうやら成功のようです。ごちそうさまでした。
普段買わない野菜をいただくと、お料理の幅も広がってうれしいもの。
ボルシチはめでたくローテーションの仲間入りとなりましたが、問題はビーツをどうやって入手するかです。
缶詰もあるようですが、やはり「生」が美味しいでしょうし、悩みどころです。
今日は箸の日。
「箸を正しく使おう」という民俗学研究者の提唱で、わりばし組合が1975年(昭和50年)に制定しました。
日付は「は(8)し(4)」(箸)と読む語呂合わせから。とってもわかりやすいですね。
箸の持ち方がネット上で取り沙汰される昨今。
最近は年代を問わず変わった持ち方をする方が増えていますが、私は「正しい持ち方はきれいな持ち方で、合理的」と考えています。
子どもの頃、親からうるさく言われたおかげです。
でも最近はどうも箸の扱いが下手になってきたような気も。
またお豆さんで練習しましょうか。
今日が優しい笑顔の一日でありますように。
8月3日(月)
おはようございます。
半月ぶりの更新になってしまいました。
仕事が妙にバタバタしていたこととコロナ禍で、なかなかブログを更新する気持ちにもなれず放置状態。
また少しずつ書いていこうと思います。
ようやく長かった梅雨も明けました。
急な気温上昇で体力が奪われそうな感もありますが、徐々に体も慣れてゆくでしょう。
近くの城跡の山に咲いていたヤマユリ。
私のハンドルですが、実は父の好きな花でした。
農家でしたので里山に畑があり、どうやらその山のどこかから切ってきていたらしいのですが、夏になるとヤマユリの花が我が家に飾られる、というのが恒例になっていました。
一昨日の8月1日は父の月命日。
親不孝者で散々心配をかけ通しでおりましたが、ヤマユリの花を見るとやはり父のことが思い出されます。
頑固者で癇癪持ちで、すぐに手が出る。生前は父のことがあまり好きではなかったというのが正直なところです。
そんな父と過ごした時間は19年ほどしかありませんしたが、やはり「何もしてやれないうちに逝かれてしまった」という思いが強いです。
子どもでしたので長患いの父の思いに心を寄せることもあまりできませんでした。
もう少し優しい娘であればよかったと今更ながらに思います。
父は彼岸で何を思っているでしょうか。聞いてみたいことはたくさんあるのですが・・・。
今日が優しい笑顔の一日でありますように。
7月17日(金) 鷹乃学習 東京の日
なかなか梅雨が明けずにいますが、先日のヒグラシがそうであるように植物も夏を迎えています。
会社近くで咲いていた槿の花。
優しい色合いが好きです。
映画『利休にたずねよ』で、利休の恋した女性とのモチーフとして使われていました。
「一日花」と呼ばれるように、朝咲いた花が夕方には萎んで翌朝には地に落ちてしまいます。
花の命の短さと儚さに一層心惹かれるのかもしれません。
七十二候の「鷹乃学習」(たかすなわちがくしゅうす)。
鷹の子が飛ぶ技を覚え、巣立ちを迎える頃。獲物をとらえ一人前になっていきます。
野生のオオタカはなかなか見ることはできませんが、時代劇では鷹狩のシーンでよく出てきます。
オオタカも一時期は絶滅危惧種とされていましたが、今は環境がよくなったのか個体数が増えて指定を解除されています。
都会でも暮らしてゆける逞しさは、少しばかり羨ましさを感じます。
そして今日は「東京の日」。
1868年(慶応4年)のこの日、明治天皇の詔勅により「江戸」が「東京(とうけい)」に改称されました。
「西の京」の京都に対して「東の京」。初めは「とうきょう」ではなく「とうけい」と発音したそうです。
しかし、この年はまだ戊辰戦争の最中であり、公卿が遷都を反対するなど、東京が名実ともに首都となったのは廃藩置県が行われた1871年(明治4年)のことでした。
今や東京は日本の人口の1割が住む大都市です。
徳川家康が江戸に封ぜられ都市として整備していなければ、この繁栄はなかったかもしれません。
今日が優しい笑顔の一日でありますように。