見出し画像

花日和 Hana-biyori

小説『彼岸花が咲く島』感想

李琴峰(文藝春秋)2021年6月刊、芥川賞受賞作

読書会の課題本で、どういう話か知らずに読んだ。最初は何かの宗教団体の話かなと思ってしまった。

〈あらすじ〉
彼岸花の咲く島の海岸に、記憶をなくした15歳くらいの少女が漂着する。少女はウタと名付けられ、彼女を通して島独特の生活や概念が見えてくる。そこは女が統治する独立国家のような島だった。

島民は「家族」を持たず血縁に対するこだわりが無い。成人すれば住居をタダで与えられ、子供が欲しければ養子をもらうのも普通だ。島はノロと呼ばれる女性の指導者たちによって治められており、島の歴史はノロにだけ受け継がれるという厳しい掟があった。

男はノロになれないだけでなく、「女語」(じょご)という日本語に近い言葉を話すことも学ぶ事もかたく禁じられていた。

島の少女ヨナに助けられ、少年タツとも親しくなったウタは、タツが女語を使い、島の歴史を知りたいと強く願っている事を知り、ヨナと共にある決意をするが…。

***

女性が統治する島の様子や掟を知るにつけ、なぜこうしているか理由はすぐに想像がつく。だが、思っていた以上に明確に「男は野蛮だから」といった理由が示されてちょっと驚いた。

いわば「家父長制のない世界」の話だ。男性優位の社会を一度否定し、ひっくり返してみたらどう思う?と問いかけてくる挑戦的なファンタジーでもあるように思った。

島はごく平穏に生活できる環境のようにみえるが、物語は外部からやってきた少女の目を通して語られるので、島民の大人たちが本音ではどう考えているのかわからない。

男性に歴史や女語を、つまり教育を受けさせない(学校は行ける)のは差別にあたるが、そういう世界を見せられると、改めてその差別は、時代や国によって程度の差はあれ、現実に男女逆で行われてきたことだと思い当たる。

一方で、ノロたちは命懸けで島民を守る責務をはたしており、それは我々の住む社会で長く男性が担わされてきた役割だろう。統治者であることの責任の重さも、ここで示されているのだ。

だからといって女が統治者になれば平和が保たれ、素朴な生活がいつまでも続くのか、というと疑問は残る。

特権階級に溺れそうになる女が絶対に出てこないとも言い切れない。もしそういう人がでてきたら、その人はどうなるのだろうか。

家族という枠に縛られず、子供が欲しければ養子をとれるのはよいとして、産んだ人や父親にあたる男性は子供に対する執着や情はまったくなしで割り切れるものなのだろうか?

また長い年月その体制をキープするために、歴史を隠しておくことはできるものだろうか。民間伝承的に伝わらないとはどうしても思えない。

歴史を学ぶ意味として、過去の同じ過ちを繰り返さないようにとはよく言われるが、ここでは、男性優位の社会があったことを隠すことで過ちを抑え込もうとしている。しかし、歴史を知ろうと知るまいと、不満や不公平感は出てくるのではないだろうか。

と色々疑問が湧いて突っ込みところはたくさんある。けれど、もしかするとそういう疑問を考えさせることが目的の物語なのかもしれない。

性別によって何かを制限されるのは不幸だ。制限するのは相手を信じていないから、という側面にも気付かされる。だからこそ、ヨナとウタが最後にくだした決断は温かみを感じるものだった。






  
  
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「読書」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事