♪ハモネプ、観ながら、人間の能力拡張について考えてみたよ♪
個人的なネタ帳みたいなブログがあり、そこでも先日メモ的に書いたのですが、エンハンスメントというコトバが気になっていて、それで最近よく見聞きします。
エンハンスメントとは、「健康の回復と維持を超えて、能力や性質の改良(※)をめざして人間の心身の仕組みに生物医学的に介入する」こと。※改良という語には留意が必要。
8月と9月に、関連した催しが二つ、東京で開催されています。ひとつは、東京大学主催のシンポジウム。もうひとつは、日本生理学会若手の会主催のサイエンスカフェです。
どちらも盛況だったようです。人々の関心の高さを感じると同時に、この科学技術がアニメやSFの中での話ではなくなりつつある(すでに、なくなっている)のだなと認識を新たにしてます。
以前から、「攻殻機動隊的世界」には興味があり、ここでも何度か言及してますが...。
いや、もっとリアルな議論なんですね、現状は。
論争にもなっているらしく、それをタイトルにしているこちらの書籍はぜひ読んでみたいと思ってます。
というわけで、この世界の先端をほとんど知らないワタシですが、二つの催しに参加された方のブログやレポートを読んで感じたことをいくつか書いてみます。
ちなみに「エンハンスメントとは」でググると、南山大学社会倫理研究所のこちらのページや、東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」のこちらのページが、上位にヒットするようです。
まずは、こういった報告をじっくり読んでから書いてみようよ<自分とも思うのですが、面倒なので読まずに書いちゃいます(いずれ読みます)。
あっ、それと全く関係ないですが、宝石ジュエリーの基礎用語に「エンハンスメント」がありますが、「宝石自身が持っている潜在的な美しさを引き出す行為」らしいです。
さらに、これまた関係ないですが、昨晩(08/09/22)のNHKスペシャルでは、まさに「宝石エンハンスメント的」美の競演がルポされてましたね。世界一の美女を作り上げたディレクターが、「完璧な女性像のもとは石だ」とか、ワケのわからないことを言ってました。いや、あれは彫刻ですからネ。(と、余談ですけど、「マイ・フェア・レディ」っていう邦題は、どう考えても軽すぎだな)
と、本日も脱線が絶好調ですが、そろそろ本題へ。
はじめに、東京大学主催のシンポジウムに登壇されたある研究者の方のブログですが。
整形やコンタクトやストレートパーマの「エンハンスメント」と、脳科学の「エンハンスメント」をごっちゃにしていますね。これは脱線? それとも故意?
もちろん、ワタシはこのシンポジウムに参加しておらず、主催者等からの詳しいレポートもアップされてないので、そこでどういった議論がなされたのか不明で推測の域を出ないです。
しかし、顔や身体、眼球、髪などのパーツをエンハンスメントするのと、精神の座である脳をエンハンスメントするのは、まったく違うのですよというのが、反エンハンスメント派の主張だろうから、こういったやり方で、議論を混乱させても仕方が無いのかと思う。自身も弁明?されておられるが、無駄な拡大解釈だと思う。
さて、脳をエンハンスメントする際の倫理というか、境界について、ワタシ的に考えておきたいことはふたつ。ひとつには、可逆性があるのかということ。ふたつには、人間性が確保されるのかということ。
パーツをエンハンスメントするときは、難無くクリアできるふたつの事柄だけど、さて、脳はどうなのだろう。
(ちょっと脱線だけど、審美歯科はすでに日常的な行いですが、これ可逆性がないね。永久歯は一度抜いてしまったら二度と生えてこないもの。だから歯医者って苦手なのね...)
ズルいとかズルくないとかの不公平話なら世の中に無数にある。「エンハンスメント」の倫理学がそこに拘るなら、とたんに興ざめだ。っていうか、そんなんじゃ人の欲望は止められないよねって思いまする。
もうひとつのサイエンスカフェの方は、詳しいレポートがアップされていました!
脳と機械を直結するBMI技術は身体観や人間観を変える~「日本生理学会若手の会 サイエンスカフェ 身体と機械の境界」レポート@Robot Watch
ふーむ。
BMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)@Wikipediaってすごいですね。まさしく電脳化@Wikipediaの第一歩なのですなぁ。
「攻殻機動隊」の脚本家として知られる櫻井圭記氏が登壇予定だったらしいですが、都合により欠席だって。
さて、内容。
まぁもっとよく考えねばなりませんが、思いつきで思うのは、BMI/BCIもしくは電脳化って「エンハンスメント」ってことで括れるのかなぁってこと。
タイトルが指摘するように人間観を変えるのであれば、「人間のあるべき姿:理想像」というものが崩壊するわけで...。
つまり、エンハンスメントという概念は、そもそも「理想像」がなければ成立しないのだけど、BMI/BCIによっては、凡庸な人間が考える凡庸な「理想像」なんて、無残に打ち砕かれるわけですな。
っていうか、BMIがあっても無くても、全人類の心の中で、理想像や人間観が統一を果たしているかのような前提で話を進めるのは、欺瞞じゃね?エンハンスメント派も、反エンハンスメント派も。
というわけで(?)、話の中では、NTTコミュニケーションの方の話が、かなり興味深い。たとえば。
人間は外からの情報を感覚器で受けて効果器で返すことができる。だがBMIを使うと、感覚器と効果器を介することなく中枢にアクセスすることができる。
とか
ハプティクスとは広義での触覚である。触覚において入力と出力は分けることができない。
とか。
あーそうか、こういうのもコミュニケーションなのか、って思う。
それから哲学の研究者が語る未来のイメージも、別途考えたい事項。
たとえば人間の振る舞いをよりミクロなレベルで説明するようになると、刑罰に関する法システムは、犯行は動機や責任能力ではなく、脳の特性から評価されるようになり、刑罰よりも脳の治療を重視するような発想になるかもしれないという。
これ以前ワタシも考えたの。そうなった方がむしろ被疑者の人権を守ることになるかもしれないと...。拒否することもできるようにしておけばいいし、どうでしょうか。
脳や人格そのものが、ハッキングの対象となるような未来は、個人的にはご免被りたいですが、それ以上の人権侵害が起こりそうな状況ならば、決断するかも。
さて、最後にこれも言っとかねば。
レポートでは最初のプレゼンターが脳の可塑性(かそせい)というコトバを紹介しておられます。
一般に脳の可塑性(かそせい)とは、脳損傷後に失われた機能を代償、機能回復するメカニズムを指しますが、ここでは新しい道具を操ることによる脳の機能の変化をも「脳の可塑性」の一種として紹介しています。
そして、未来の新しい道具は...と続けているのですが、BMI/BCIによって、脳そのものの機能は回復するのでしょうか。
というか、そもそも道具の使用は、脳の可塑性ではなく拡張性ではないかしら。そういった延長線上で、BMI/BCIは、外部に拡張する脳であり触覚であるのでしょう。
可塑性だけならば倫理的なハードルは低くなるように思います。それは、つまり一個人の自己内に留まるので。
でも、おそらくそうではないところで考えられる不具合、つまり、外部へ与える影響(悪意ある攻撃なども含めて)が、ワタシにとっては最も懸念されるハードルになります。
講師を務める福士珠美氏(JST社会技術研究開発センター)は,脳科学委員会や同調査検討作業部会に業務として毎回傍聴に来ているようで,私よりも情報豊富だと思うので.