以前に、須磨海浜水族園で日本初の水族館といわれている和田岬水族館の建物模型を見たことを書きましたが、その水族館がかつて建っていた神戸の湊川神社を訪ねました。
和田岬から湊川神社に移築した水族館は、「楠公さんの水族館」と呼ばれ明治35年に境内にオープン。そして、明治43年に閉館。その痕跡は見つかりませんでしたが、かつてここにインド風洋館造りの建物が建っていたんだと思いをはせました。
そして、本殿にお参りすると、その天井に奉納された天井画がたくさんありました。その中に世界的版画家の棟方志功の作品4点を発見!私は、この版画家のファンなのでとてもうれしかったです。
そして、この本殿の横に、かつて伊藤博文(日本初代総理大臣、初代兵庫県知事)の銅像(明治37年)が建っていたそうです。しかし日露戦争の講和条約の内容に不満を持った市民が暴徒化し、この像を引き倒してしまったそうです。
その後、明治44年に大倉財閥の大倉喜八郎が別荘のある大倉山に伊藤の銅像を再建した。しかし、昭和17年に戦時の金属供出のために、この像も出されてしまった。どちらも戦争による受難ですよね。
湊川神社に行った後、この大倉山に行きました。かつて伊藤博文の像が建っていた場所には、台座だけが残っていました。武田五一が設計したりっぱな石造り台座でした。
この日は、この他に神戸地方裁判所、旧神戸市電気局有馬変電所、旧橘小学校レンガ塀などレトロ建築巡りをしました。
和田岬から湊川神社に移築した水族館は、「楠公さんの水族館」と呼ばれ明治35年に境内にオープン。そして、明治43年に閉館。その痕跡は見つかりませんでしたが、かつてここにインド風洋館造りの建物が建っていたんだと思いをはせました。
そして、本殿にお参りすると、その天井に奉納された天井画がたくさんありました。その中に世界的版画家の棟方志功の作品4点を発見!私は、この版画家のファンなのでとてもうれしかったです。
そして、この本殿の横に、かつて伊藤博文(日本初代総理大臣、初代兵庫県知事)の銅像(明治37年)が建っていたそうです。しかし日露戦争の講和条約の内容に不満を持った市民が暴徒化し、この像を引き倒してしまったそうです。
その後、明治44年に大倉財閥の大倉喜八郎が別荘のある大倉山に伊藤の銅像を再建した。しかし、昭和17年に戦時の金属供出のために、この像も出されてしまった。どちらも戦争による受難ですよね。
湊川神社に行った後、この大倉山に行きました。かつて伊藤博文の像が建っていた場所には、台座だけが残っていました。武田五一が設計したりっぱな石造り台座でした。
この日は、この他に神戸地方裁判所、旧神戸市電気局有馬変電所、旧橘小学校レンガ塀などレトロ建築巡りをしました。