ある日々

日々思ったこと

馬鹿でも無意味と分かる「中止」論

2008-06-12 18:52:45 | ニュース
アキバ歩行者天国、当面中止の公算高まる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080610-00000002-yom-soci
歩行者天国、一時中止へ=秋葉原殺傷事件で-東京・千代田区(時事通信) - goo ニュース

なんと愚かかつ無意味なことを検討しているのだろうか。歩行者天国を中止したところで何の意味もないことくらい、馬鹿でも分かる筈。それが分からないということは馬鹿にも劣るということだ。

仮に秋葉原の歩行者天国を中止にした所で、秋葉原の混雑・賑わいに大きな影響はないだろう。むしろ、今まで道路全体に人が広がっていたのが歩道に集中することになるのだから、歩道は今まで以上に混雑することになる。

そこに通り魔が突っ込んで行ったらどうなるか。
同様の結果になるに決まっている。

つまり、歩行者天国中止は、模倣犯の防止に対して、一切の効果を持たないということだ。効果の無いことをやって満足するのは労力の無駄に過ぎない。

こんなこと馬鹿でもわかる。

そもそも、秋葉原の歩行者天国がなくなったって、他に歩行者天国はいくらでもある。
日本中から歩行者天国がなくなったって、人が沢山集まる盛り場は幾らでもある。

模倣犯を起こしたいやつは、日本のどこでだって起こせるのだ。
例えば、ラッシュ時の新宿駅のど真ん中で刃物を振り回せば、今回より沢山の犠牲者が出るかもしれない。

秋葉原の歩行者天国を中止にしたところで、何の意味もない。
模倣犯の防止は、何かを中止したり、何かを規制したり、そんなに簡単にできるものではない。

確かに、殺傷力の高い刃物を、いとも簡単に、しかも多数入手できるという状態は好ましくないだろう。その意味で私は規制に賛成だ。しかし、規制してみたところで、普通に料理用の包丁は売られるだろう。1回の販売本数に制限を設けてみたところで、複数回購入すれば制限を破ることはできる。
所詮、規制の力など微々たるものに過ぎないことを思い知るべきだ。

まして、今回の事件のように、最初トラックで突っ込んできたらどうするか。
車を規制することなどできるか?

結局、キチガイが人を殺そうと思えば、何らかの方法は存在してしまうのだ。
その方法を制限することは多少はできるかも知れないが、効果はほんの誤差程度にしかならないだろう。

結局、こういう「テロ」をなくすためには、テロリストを「作らない」か「事前に殲滅する」ことを考えなくてはならない。

しかしテロリストの生まれない平和な社会というのは、所詮は机上の理想論に過ぎない。どんなに素晴らしい社会にしてみたところで、今回の事件の犯人のように、あらゆることを社会のせいにして逆恨みするキチガイは根絶できない。

とは言え、テロリストの素養を持った人間を事前に殲滅するというのはもっと非現実的だ。

つまりは、問題は極めてやっかいということだ。

歩行者天国開催の有無ごときで、何かを解決できると思っている人間は、本当に本当に馬鹿であり、猿にも劣る知能レベルといわざるを得ない。