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寅の日記

Twitter @torajiroh9000

エルザの独り遊び

2021-02-09 20:57:01 | 
今日は母猫エルザ、99年の春に田舎の農業用倉庫の軒下で生まれたエルザ。
9月中旬の残暑が厳しい日に保護して連れて帰った。
名前は野生の猫(何故か野良は浮かばず)>野生のエルザを連想し=>エルザにした。

車で4時間の道のり、東京に入る前1時間半ほど走ったところでパーキングに入り休憩。
箱を開けて覗いて見ると小さく丸くなっていた。箱から出し助手席のシートに出して上げた。

車の中を動き回ることもなく静かに助手席の周りにいてくれた。
首都高の湾岸に入ると慣れと光に反応したのか背もたれに昇った程度。

無事家に着き部屋に放して上げた。自由になっても部屋の中を散策する程度。
それで油断して自由にさせていたら2階に上がり、開いていた押し入れに入り込み
屋根裏の点検口から屋根裏に上がってしまった。

屋根裏に上がって見たものの狭い処にはいり捕まえられない。
翌朝から色々試したものの捕まらず。そうこうしている内に温度がどんどん上昇していく。

ベランダにはしごをたてて軒先にある通気口の枠を外しお皿に水を入れ置いた。
水を飲みに来た時に首を掴んでやっとのことで捕まえた。

初日はそんなドタバタで始まったけれど、平日は朝7時過ぎから夜9時~11時ほどは留守番。
夜や休みの日は玩具で遊んで上げたが居ないときは?

エルザの様子を見ていると色々なもので独り遊びをしていた。


舌ブラシを渡したら気にいったのか良く独り遊びをしていた。


他にも色々なものを玩具にし独りで遊びをしていたようだ。
与えられたものより興味のあるものを使い独り遊びをしていたエルザ。

胸水で14年目の春を待ちきれず、2月23日に短い生涯を終えてしまった。
今は庭で5匹の子供たちと並んで眠っている。

人にこびない性格は子供達、特に娘の樹理に良く受け継がれ人嫌になった。

母さん猫の奮闘

2021-02-08 16:55:09 | 
今日は処分に困った猫の紙オムツを掛かり付けの病院に引き取って貰いました。
「ユニ・チャーム ペット マナーウェアねこ用Sサイズ 38枚」

粗相する猫ではなかったのですが、亡くなる1週間前ほどからなんとなく
部屋が臭う様になりシステムトイレを掃除してみたりしたものの変わらず。

立ち上がりモゾモゾしているので抱き上げると水滴が垂れてくる!
それから寝ているところにペットシート敷き様子を見ると動くのが
辛かったのでしょう汚れが!

それでもトイレに行こうと言う意識はあったようで歩き出したものの間に合わない。
ネットで紙オムツが売られているのを知りネット通販で買いました。

メーカーのHPには16枚もありました。でも、通販で取り扱っていたのは38枚。
2枚を使っただけで36枚も残って仕舞った。数が多くゴミ収集してくれないと思い相談した。

後はシステムトイレと猫砂。これらはゴミで処分しようと思ってます。
出来ればもう一度猫を迎えられればとの思いもあり里親募集を見てますが条件が厳しい。

今日も子猫の写真を見ていいたら、母エルザの奮闘が残っていました。
最初に見たのがこれ!疾風をジャケにしている?


写真は一ヶ月過ぎた日。別の写真を見て思いだした。


4兄弟が仲良くお乳を貰っている?疾風とシュワの位置が変。手前で並んでいるのがチョビと樹理、
横になっている白黒が疾風、エルザのお尻の方にいるのがシュワ。疾風はシュワの乳首を横取りしていた。

疾風は母猫のご飯のつまみ食いも最初だったですが、お乳も他の仔をどけて横取りすることもしばしば。
翌年の8月になっても母親を引き倒してすがる有様。エルザの悲痛な鳴き声にお腹を見ると乳首の周りの毛に血が!

思わず疾風を引き離し授乳禁止にした。生まれてばかりの時からお乳を貪欲に欲しがる疾風。
もういい加減しなさいとお腹から引き離した時のスナップが上の写真。

まだ一歳で体重も3キロ程の小さい体だったエルザ。育児に奮闘していた1枚です。

懐かしい子猫の写真

2021-02-07 22:34:11 | 
今日は余ったキャットフードを近所の方へ引き取って頂き処分しました。
18歳以上のフードをネット通販で一ヶ月分を買ったばかり殆ど手つかず。

近所のお宅で2年前に聞いた際に15歳だと聞いたので丁度良いかな?
お宅にあがって、改めて歳を聞いたら15歳!

ジャー駄目ですかね?と聞いて見たら良いと言ってくれたので引き取って貰いました。
毎日一つずつ片付ける感じです。

夜になってまた写真を見ました。
ここには母猫と4兄妹の看取りをアップしてきました。
実は兄妹は5匹だったんです。


5匹が揃った数少ない写真を見つけウルウル。
上から顔半分が多分チョビ、その下の黒い子がジジ、右隣が樹理、中央から右下の白黒が疾風、黒い後ろ姿がシュワ。

タイムスタンプは12日21時とあるので生後4日目に入るところです。
生後2週間前で目が開いたのに一番小さく(記憶では80g)のジジだけ目が開いていなかった。
目やにの様なものも酷かったので病院で診て貰いました。

特に問題はないけれど生まれたばかりなので体を温める様に言われた。
5月の中旬過ぎですからコタツなどの暖房器具は片付けてあった。

様子を見ていると目が開いたからか、他の仔達や母猫も箱の中で丸くなって寝ることが少なくなっていた。
見かねて寝る時に布団に入れて上げたのが間違い。寝返りで潰してしまった、朝起きたら体が四角で冷たくなっていた。

この仔がいればもっと賑やかだっただろうと思います。
三男の余りにも早いおわかれでした。

よく似ていて見分けが付かないのが長男のシュワと四男のチョビ。
顔を見れば明らかな違いがあるけれど、殆ど黒く腹と胸、靴下を履いた様な白い足先と同じ。


昨日アップしたトイレをのぞき込んでいる写真、シュワと樹理と書きました。
前後の写真からチョビと樹理の間違い。

二匹の違いは、
1.尻尾 シュワは長く先端でL字に曲がっている。(写真赤丸) チョビは日本猫に良く見られるくちゃくちゃで短い。
2.靴下 シュワは左後ろ足が先端まで黒い。 チョビは4本とも靴下を履いた様に先端が白い。(写真青枠)

知人の女性が娘さんと遊びに来た時、シュワの1本だけ黒い足を見て
「お母さんのお腹の中に靴下脱ぎ忘れ来ただね」母親ならでは気づきだと感心した。

性格は結構違ったけれど写真では分からないですね!
特にシュワは避妊手術に連れて行った病院前から逃走。

10日後に400mほど離れた駐車場にいるところをやっとの思いで保護。
ペットレスキューのサイトで色々アドバイを頂き、10日目が勝負と思ってました。

※猫は10日程度飲食を(水はラクダ同様に自分の脂肪を水に換える)しなくても生きられるので、喧嘩などで
潜り込んで仕舞った猫は10日目頃になると隠れて居た場所から出て来る。>>このアドバイスが一番だった。

チラシを配った効果で見つけた駐車場近くのお宅から、似た猫が家の庭に居たと
前日に情報を貰っていました。仕事から帰って来てからの夜の捜索。

姿を見かけたら、走って車の下に逃げ込まれた。名前を呼びながらジリジリと距離を縮め
好物の干しカマをちらつかせながら、車の下から顔が出たところを素早く掴み保護。

ケージなど持って行かなかったので、肩にかけ頭は背中、後ろ足は胸の位置、両手でしっかり後ろ足を
捕まえて7~8分の道のりをニャンニャン泣き叫ぶのも構わず連れて帰りました。

それまでは長男かぜ吹かせて一番威張っていたのが、借りて来た猫状態になってしまった。
10日間でも外の社会に触れ大人になった感じでしょうか?
その後シュワに代わって威張出しのが疾風。賢い上に腕力でも兄弟を圧倒し親分で終生を終えた。

暴れん坊のシュワの豹変には「可愛い息子には旅をさせろ」がピッタリはまる。

埋葬

2021-02-06 15:53:22 | 
庭の梅の花が二輪ひらいた木の下に今日の午後埋葬した。
梅の木は日当たりが悪くご近所より遅い。
それでも今年も花が開花したお昼過ぎ、母や兄達が眠る横に埋葬した。

20年、人ならば昨年が成人式。
猫では長生きに入るのだろうか?

猫が散らかすから?(言いがかり)で家の中はメチャクチャ口実がなくなったので片付けるしかないか!
手始めにPCの中から(??)猫の写真を収めたフォルダーを見回した。
その中から成長の記録・・・
3週目の頃、お乳をもらいそのまま母猫にのった姿。


段ボールの中にバスタオルを敷いて子猫のベッドにして一ヶ月過ぎ頃、
母猫も処理出来ずにタオルが湿っていた。急ごしらえで母猫用のトイレから猫砂を捨て
下半分に園芸用に買った砂を入れ子猫も使えるトイレに改造。

全員を一度トイレに入れ場所を教えたが?直ぐに皆出て箱の中に戻った。
暫くしてから樹理とシュワが出て来てトイレ見聞?それを見守る母猫(左の前足)
訂正:前後の写真を見たら樹理とチョビでした。


それから子供達もこのトイレを使い始め二日もたなかったと思う。
ビショビショになってしまい砂を捨て猫砂に変えた。どの子も粗相することなく子猫ベッドも乾いたままだった。

離乳は母猫が食べていたものを兄弟が寄って集って占領。(一ヶ月か二ヶ月後)

写真のタイムスタンプは日にちと時刻表示のため正確な日付は不明。ネガを探せば推測出来るが・・・

兄弟のなかで唯一の女の子だった樹理、兄達が近づくとシャーと威嚇して近づけさせない姿をよく見た。
そんな中でも疾風には邪魔しない限り一方的にシャーはしなかった。
二人で仲良くキーボードを占領したツーショット。

三歳頃か?画面に映っているのはシムシティ4、気が付けばキーボードを占領。
樹理と疾風はよくキーボードに乗り邪魔してくれた。


呆気ない最期

2021-02-04 20:02:50 | 
先月末から通院していた樹理。
昨夜は落ち着きがなく良くないていた。

何をなくのか聞いても答えるはずはなし
お風呂に入りその後寝てしまった。

起きるといつもいる膝元に寝ていない。
部屋を見回しても見当たらず。

コタツ布団を上げると中で伸びきって寝ていた。
これが5時半ころ。その後一眠り、お昼前に起き

コタツの中を見ると寝ていたと思った。
病院へ行くには午前の受付ギリギリの時間。

朝食もとっていなかったのから外でブランチし
病院へ行くことにした。

2時過ぎ、病院へ連れて行こうと思い体に触れた。
既に軽い死後硬直が始まっていて前後の足は伸びたまま。

呆気ない最期だった。
異変は病院で処方された抗生剤を飲ませてから極端に飲食が減った。

ネットで製薬会社の説明書を見つけ読むんだが
人の薬なら必ずある副作用や禁忌が一切書かれていない。

獣医さんと相談し薬を変え食欲を出す薬を出してもらい
一日は食べたり水を飲む様になった。

しかし、食欲を出す薬の効果がなくなったのか?
処方は2日に1回、2回目は今日の夜飲ませる予定だった。

それが昨日の夕方から食べない。朝水の量を調べると
夜に交換した後飲んだ後から差ほど減っていなかった。

去年の20歳の誕生日には後1年、いやもっと長生きして
欲しいと思った。↓誕生日を失念していて翌日撮った写真


昨春から動きが緩慢になるなど歳の影響が目に見えていた。
いつ旅だったのかよく分からない。お昼前見た時は反応があった様にも?

猫の死後硬直を調べると数分後から始まるそうだ!
一般的には2時間ほど~

母親のエルザが生んだ5番の子で唯一の女の子。

男の子が次々に旅立ち、3年前の3月に直ぐ上のチョビが死んでから独り。

母猫は兄猫達を上手くかわしていた。
樹理は近づけば「シャー」と威嚇して近づけさせなかった。

姿を見せないこともしばしば、長いときは一ヶ月ほど姿を見せないことも。
一匹になってからは徐々に距離が短くなったけれど、それまでは猫パンチをよく喰らった。

数ヶ月にわたり衰えを見てきたので覚悟は出来ていた。
それでも、昨晩まで膝のわき近くで寝たりキーボードに乗ったりしていた。

この1年は手の届くところにいた。
今は呼んでも答えず手足を伸ばしたまま動かない姿しかない。

母猫が家に来てから21年半。
人ぼっちの生活に戻った。

小さい悪魔(^^;;

2018-06-18 23:02:02 | 

先月の下旬頃、樹理が殆ど食べなくなった。

抜けが酷いのでブラッシングしてやろうと思ったらブラシが見つからない。

仕方が無いので買いに行き同じ物を買っても仕方が無いだろうと

ノミ取り櫛を買って帰った。

早速ブラッシング、抜毛を取ろうと櫛を見ると黒い動く物が・・・

エッ!ノミかよ(~~)

初日に20匹、翌日に40匹、計60匹は捕まえた。

不思議なのはノミの糞が殆どない。

二日目の夕方に通販で買ったフロントライン+が着いた。

翌日は数匹。以前として食べない。

四日後は土曜日だったが相変らず食べない。

月曜までこの調子では病院へ連れていくしかない。

そうんな事が通じたのか翌日曜に食べ始めた。

昨日までは何だっただ!!

月曜になったら、また食べない。ギョギョ!!

そう魚の問題だったようなんです。

マグロは食べるがカツオは食べない。

チキンはと言うとマグロはシーチキンだよね。

でもマグロほど食べないです。

我儘の究極だったのかノミが影響したのか?

両方なんだろうね!兄貴分が居る時は食べ残しを整理していたようです。

自分の好みが無ければ食べない。

あれから3週間が過ぎようとしています。

それでも、昨日4匹、今日は6匹と死骸1個。

それから何十匹も居たときは殆ど無かった糞がチラホラ取れる。

このところ外に散歩に出ることも無くなったので、部屋の中にいる!

取れるノミも櫛の歯の間をすり抜ける程の子供が殆どで

歯の間に挟まる大きさのノミは滅多につかまらない。

フロントラインは効かなくなったとのかと考えたが

子供ばかりなので家の中のノミを駆除しないとならないようだ。

暫くはノミ取りが続きそう。

 

このところの日課は昼頃に喫茶店でコーヒーを飲み。

帰って来ると家の周囲の草拾い。

草を抜いても根を残すとまた出て来る。

ホークで根こそぎ掘出し出て来たものを拾う。

このんな事をしていると薄暗くなり部屋に入る。

天気が悪いこともあり5時~6時なんです。

その後、猫のノミ取りをしていると夜の帳が下りTVの前に座っている。

そんな日がな一日をおくっているので片付けは一向に進まない。

おいおい8月までには家中を片づける目標はどうするんだ~~

9月までか?寒くなる前までか?

 

雑然とした部屋をどうしたものか?

ここは、目の前にニンジンをぶら下げないと動かん。

夢を追わせるしかなと閃いたのがインテリアデザイン。

早速、2冊ほどインテリアデザインの本をAmazonで買って見た。

本棚の肥し?本棚はいっぱいで入らないから、部屋のゴミと化すのだろうか?


一ヶ月が過ぎ去った。

2018-04-16 21:53:36 | 

先月17日の朝、起きて間もなく、用もないのにお風呂を覗くとチョビがお風呂に浮んでいた。

1月から鼻水が酷く、時々咳込むこともあり病院へ連れていった。

口臭も酷く腎臓が悪いのだろうと思ってた。

5月10日で18歳になるところだった・・・・

翌日にはここにアップしようとし思い出を辿ったがこれといった思い出がない。

こも写真の様にアカンベーの一生だったのかも知れない。

ピーク時5kgを超えていた体重も2.55kgまでやせ細ってしまった。

4歳の時の写真がこれ。

食欲を見せていたので油断した。

 

 

3月に入ると食べるけど直ぐ止めてしまう。

口内炎が酷く食べられないのだろうと診断された。

お風呂で浮んでいたのは水が飲みたくてお風呂に行ったのだろう。

歩くのもやっとなのに前足で踏ん張って飲もうしたのか?

踏ん張れずにお風呂に落ち寒さで絶命した様に思う。

 

最初の写真、右奥が樹理。シュワが去ってからこの二人が残った。

チョビが一番苦手だったのがこの樹理。

他の子にも気を使っていたと思うが、樹理が居れば遠回りし距離を置いていた。

 

手が掛らなかったのも思い出が少ないのだろう。

好き嫌いは少なく、五月蠅くおねだりすることもなく、私の食べているものを上げても殆ど食べた。

樹理一人では食べきれないのか?好き嫌いが激しいので良く食べ残すが良く分って来た。

チョビは何でも食べたので余り物があればたい上げていた様だ。

 

2000年5月9日23時半頃に生まれ、3月16日の夜まで 6,520日間一番身近にいた・・・チョビ!

 

 


何で悪いことばかり続くのか?

2016-12-08 20:59:15 | 

月曜の早朝3時頃だったか、シュワがご飯が食べたいとせがむのでカリカリを上げた。

5~6粒食べただろうか?直ぐに食べるのやめ部屋を出ていった。

寝て昼前に起きたがシュワがいない!

いつもなら起きた気配でニャーニャーを食べ物をねだるのに姿を見せない。

イヤな感じがしたが、昼食を食べに出かけ帰って来た。

ここのところ玄関先で啼いて出迎えることが多かった。

その声を聞きつけチョビが前の家あたりから出て来て合流することが多かったが

チョビだけが階段の下に来たので抱上げて家に入った。

シュワの名を呼んでも姿がない。

暫く呼んで見たら隣の部屋から啼き返して来た。ご飯と聞いても反応しない。

何か変だと思っていたらやはり食べない。

 

火曜も昼頃起きた。何か食べたそうなので「金のだしカップ」を開けてあげた。

いつもならスープばかり飲んで具を食べないのに、1日食べて居なかったためか残さず全て食べた。

胃腸炎でも起したのかと思ったものの暫く経つと全て戻してしまった。

その後も戻すが泡状のもので液体は無色透明だった。

これは不味いと思い病院へつれて行った。

 

診断は今日明日に亡くなってもおかしくない状態だという。

日曜までは普通だったのに・・・

原因は、腎臓の片方は小さくなりもう一方は肥大している。

また、血液検査の結果は腎臓の数値は高すぎて測定不能。肝臓の数値も重篤と言うもの。

急になった訳ではないと言われたが1回の食べる量が減り何度も食べたがる様になって居ただけ。

若いときから疾風とシュワはフードの好みがうるさく、同じもの続けて出すと食べないなど

口うるさい猫だったので余り気にも掛けていなかったが、どうやら一度に沢山食べなくなったのが症状だったようだ。

人で言えば食が進まないことだった。

 

昨日はどうにか元気だったので病院へ連れていった。

火曜に続き点滴を受け帰って来たが、火曜と違い何も口にしなくなた。

今朝は底冷えがする寒さだったので一匹でウォークンクローゼットの隅でで寝ていたのをこたつの中にいれてやった。

他の子二匹は仲良くでもないがこたつの中で寝るのが常。

兄弟仲は良いとは言えず、シュワを入れたら他の子は暫くするとこたつから出て行ってしまった。

5時間ほどこたつの中で横になっていた。病院へ行く準備をして様子を見ると呼吸が速く抱上げてもぐったりしていた。

ケイジに入れて行こうかと思ったが骨折した背骨の治りが悪い上に膝も良くないので二日間と同じくリュックサックに入れ連れていった。

前日までは病院へ着くまで啼き続けていたが、今日は一度も声を上げることがなかった。

受付を済ませファスナーを開けてみるとうめき声の様な啼き声を上げた。

 

昨日と同じ時間に行くと話してあったので直ぐに呼ばれると思っていたが昨日よりも混雑していて待たされた。

15分位経ったらリュックの中で啼き声とごそごそと音を立てたので覗いて見ると寝返りと言うか姿勢が変っていた。

その時は気が付かなかったが、5分後に呼ばれ診察室に入りリュックから持上げた。

先に異常に気がついたのは先生で直ぐに診察台に横たわらせ聴診器で心臓の音を聞いたが既に止っていた。

16年と約8ヶ月、6055日と13時間。あと1日半で丁度8ヶ月だったのに・・・

 

エルザの第1子として産まれ、よせば良いのに洗面台にお湯を張り産湯につけて上げたらエルザにこっぴどく怒られた。

2歳までは帝王として君臨し他の兄弟を寄せ付けなかった。

去勢手術に連れて行った病院の玄関先で逃走。

10日後に病院から数百メートル離れた駐車場で見つけ抱いて家に帰るまでの間啼き続けていた。

家に入ると肩で風を切るような威勢はなくなり、特に疾風のは恫喝されて逃惑う始末。

疾風が亡くなるまでは少し大人しくしていた様に思うが、それでも若い時の様に酷い喧嘩はしなくなっていた。

喧嘩と言えば、疾風との喧嘩は凄まじかった。漫画で丸い雲を描いて手や足を雲の外に描く構図がある。正しくその通り。

 

疾風との因縁は続く、2年前腎臓の片方が殆どない位小さくなっていた疾風。

元気がなくなって来たので病院へ連れて行こうとしていた矢先、仕事から帰るとシュワの啼き声はするけど姿を現さない。

時々、そんなことがあったので放って置いた。1時間経っても姿を現さず時折啼き声がする。

不振に思って探したら、出入り口にしていた出窓の留金に片足を引っかけ宙づり状態になっていた。

どうして宙づりになったのかは今でも分らない。結果は数日間の入院と引っかけていた指一本は化膿し失うことに。

退院後も暫く通院したが、数回後帰ってくるとぐったりして寝込んでしまった。

仕事の関係で二日帰れないのは分っていたが諦めて出かけた。

二日後帰って見ると嘘の様に元気に出迎えてくれた。この治療費は当時の一ヶ月分の給料が飛んでしまった。

本来なら疾風を病院へつれて行く思いは吹飛び、半年後に疾風は手遅れで亡くなった。

 

疾風の分まで長生きして欲しかったけど、この時の怪我が腎臓や肝臓を悪くしたんだろうと思う。

このブログを書くのに写真を探したが最近撮ったものがない。

子供の頃の写真は沢山あるがネガをスキャンしたものでファイルサイズが大きく壊れたPCから取出していなかった。

唯一見つかったのが生後一ヶ月頃のものが1枚。しかも授乳中のもので後ろ姿しか映っていない。

辛うじて尻尾の形から右から2番目がシュワと分る。

くしくも右から亡くなった順番(エルザ・疾風・シュワ)に並んでいる。

残ったチョビと樹理は変った行動を取っている。

チョビは臭いを嗅いだあとは寄りつかない。

樹理は獲物に近づく様に姿勢を低くして近寄り一寸と臭いを確かめたら近づこうともしない。

 

目が開く前に死んでしまったジジを埋める前にエルザを連れて行った。

自分から穴の中に入り横たわっている仔猫を間近で見たら直ぐに穴からで家に入ってしまった。

チョビと樹理も死んでいることは理解したようだ。

でも、怖い存在だったか?近づこうとしない。

 

diskのスキャンを書けたらフォルダー名が変っていた。

多分、Win8の機能で古いdiskを繋いだ時カメラロールに変換したらしい。

何れにしても生後2~3ヶ月までのしかない。

 

名付親の娘さんが遊びに来た時に撮った写真。

シュワはツバメのドイツ語がシュ・・・と言った筈!からシュワになった。

ドイツ語でツバメは Schwalbe(シュヴァルベ)だった。飛行機好きがMe-262の愛称を忘れるとは!

本来ならシュバとかになった筈(^^;; ツバメの様に自由に空を飛んで欲しいものだ。


間に合いませんでした。

2015-03-08 11:42:40 | 
今朝1時過ぎ、うとうとしていた時にハッと目が覚めた。
疾風が逝ってしまった様に感じたけれど何も根拠はない。

  13才の秋 まだ元気だった頃これが最後の写真かもしれない。
  この年の春、腎臓の片方小さくなっていて機能してないだろうと言われた。

仕事が終わったら直ぐに電車に乗って家路を急いだものの
悪い思いと良い思いが交錯する。

玄関を開けるいつも疾風が寝ている玄関先に姿がない。
名前を呼びながら炬燵のある2階へ上がると
珍しく樹理が廊下にたたずんでいた。
部屋を見ろと前後足で万歳をするように疾風が横たわっていた。
生まれたのは、2000年5月9日21時25分。
昨日で5,415日、14才と約10ヶ月の生涯を閉じて仕舞った・

昨日は悪い事に当務で朝から仕事だった。
起きると久しぶりに寄り添う様に横に疾風が寝ていた。
病院では何でも良いから食べさせろ言われていた。

取りあえず缶詰を開け口許に持っていったが首を背けてしまう。
口を開いて上げようとしたが力なく抵抗し食べようともしない。

休みたかったけど1月に一人今月頭に一人と次々に離脱し手薄な
状態では言える状態ではない。

そもそも食べるものを選ぶ様になったのは昨年の秋。
昨年の夏もちょっと様子が変だった。

病院へ連れて行こうと思った矢先、シュワが後ろ足の指1本で
出窓から宙づりになる事故を起こしてくれた。
2週間入院しその後も通院することに。
1ヶ月以上の給料が飛んでしまい疾風ににまで手が回らなかった。

母親のエルザに似て賢い猫だった。

エルザのご飯をちゃっかり食べ出したのも疾風。
一才を過ぎた夏までエルザより大きくなった体でエルザを押し倒し
乳首に吸い付き血が滲むほど、最後までエルザからお乳を貰い一番大きくなった。

サッシの引き戸を開けるのを最初に覚えたのも疾風。
どうやって覚えたのかドアを開けられたのは疾風だけ。
部屋に閉じ込めて見ていたら内側からは電話台にあがりレバーに飛びついて宙づりになって開けた。
外からは両手で器用にレバーを挾み体重をドアに預け開けていた。


エルザが逝ったあと一番落ち込んだのも疾風。
猫パンチにめげずエルザの横で親子で良く並んでいた。
そして、膝の上が好きだった。

家を空けると下駄箱の上や最近は置いたままになった段ボールの上で寝ていて出迎えてくれた?
思えば、エルザの真似をしたのか誰よりも早くご飯をおねだりしたね。
やっぱりエルザが恋しくて旅立ったのか

エルザが逝った時、子供達は長生きさせると誓ったのに守ることが出来なかった。


日経平均の記事は暫くお休みします。

エルザの病気(心筋症?)

2013-02-25 16:03:07 | 
お骨にしてこれほど小さいのか思うと火葬は嫌だ。1日たってからと思い昨日の夕方、庭に埋めてあげた。

(家に来たばかりのエルザ。このころから鼻水を流していたのか?鼻が汚れている【クリックすると別ページで大きく表示されます】)
ゆっくり休んでと思い足を伸ばしてやったので、50 cm四方ないと入らない。何か良い箱はないかと家を探したら、秋口までほとんど占有していた箱が見つかった。思えばこの箱で寝なくなったころから、カリカリのキャットフォードを食べなくなったように思う。

亡くなってから調べても仕方がないが、ネット検索して見つかったのが「猫の先天性心筋症」。主な症状は、○元気がない○疲れやすい○動くのを嫌がる○咳をする○息が荒い(呼吸が苦しそう)○食欲がない。

病院へ連れて行かなければと思ったのは舌を出して呼吸をしていたから。一昨年から良く鼻水を流していて時折鼻を詰まらせていた。それが原因と思い風邪をこじらせたか?その程度しか考えていなかった。病院での問診で、咳や食欲のことなどを聞かれた。

咳き込むことはなかったし、食欲と言ってもねだっていたので食欲がないとは思わなかった。
体重を量ると3キロちょっと!エッと思ったがエルザだけ大きくならないことは若い時から気になっていた。

亡くなったあとに櫛で絡みついたとことろを直してあげていて、気が付いたのは後ろ足の爪。生まれて間もないころのように前足と同じく尖っていた。余り走り回らない子の足の爪を見たが、少なくても中の2本は丸くなっている。

意味することは走り回ることはしていなかった。そう言えば先月の下旬頃、階段を一段一段下りる音がしたことがあった。それはエルザだったのだろう。元気であれば階段も歩くように一気に駆下りる。家に連れて来たばかりの時は体も小さく一段一段上り降りした。でも数回で足を交互に使う様になっていた。エルザが必ず通る場所は数ヶ月で痛むほど足の爪を使っていた。

家の中でも爪を使っていたのに、それが鋭利に尖っていただから「必要最小限の動き」しかしていなかったのだろう。それも秋以降は私の座った横にほとんどいた。何かと手を出してトントンと叩く。叩くだけなら大した事はないが猫でっすから爪を出して叩くから痛い。

お陰で、今でも右の太股や腕にはいくつかの小さい傷があるようで時々痛む。足を叩けないときは背中だった。ご飯の催促だと思っていたが、どうやらそれだけではなかった。

それ以前の一昨年の暮れに歩くとふらつくのを見て急いで病院で連れていったことがあった。家で見たのは一度だけだったが、診察室の中を歩かせたところ腰から崩れるようになり慌てて体を支えた。今から思うとこの頃から食が進まなくなり軽度の貧血を起してたのではないだろうか?原因はわからず、帰ってきたら元気に走りまわっているので、そのままにした。

成猫になってからは元気なので、食べているかは気にしたがほかはあまり気にしていなかった。時々、喧嘩し傷を消毒したりすることは日常茶飯事。しかも特定の子ばかりが怪我をする。お前なんか豆腐に頭をぶつけて死んでしまえと言ったこともある。

今もピアッシングしたくなったのか、右耳の根本付近に貫通した傷がある。(外側は膿を出させたいのでかさぶたを取り軟膏で塞いでいる、内側の瘡蓋を取ると貫通すのだろから何もいていない)土曜からの日課で、朝晩殺菌剤の入った傷薬を塗ってやっている。

歳を取ったら人間と同じく健康診断を受けるくらいは必要なんだと思っている。少なくても、一日の食べて量(食欲)やトイレの回数、体重の計る事などしないとならないだろう。ブラッシングするついで、時折指先や肉球、歯茎の異常がないか、日ごろから見ていれば、早い内に見つかる病気もあるはずだ。

ペットとして小さな命を預かっていることを忘れ、日常の生活に埋没させてしまうと、突然の不幸が襲ってくる。これも言うならばリスクコントロールと言える。重病や命をおとすことがないようにリスクを軽減させるために必要なこと。

自由にさせていたのに、管理を始めると猫たちも迷惑だろう。しかし、移行期の問題でしかない。不規則な生活習慣から、少しは規則正しい生活をしてもらいます。それは、一番不規則な生活をしている自分のためにも必要なこと。

赤ん坊のころは体重を量るためにキッチン計りまで買って毎日のように計っていたのに500gを越え計れなくなったら、時おり抱いて体重計で測ったこともあったが体重計が壊れてからは計ってもいない。

子供たちはお腹を地面にすりそうな程太っている。健康は言えないと思うので朝晩以外は上げないようにしよう。体重計も治して見よう。

今日、猫がなくなりました。

2013-02-23 23:00:00 | 
99年9月8日に田舎の倉庫の軒下で生まれた子供を1匹引き取ることにした。
最初の子を捕まえたら猛烈に暴れてかなり深い傷を負っていまいあきらめた。
しばらくして、この子なら大人しいと段ボール箱に入れて兄が持ってきたのがこの子。


野良は言うなれば野生。野生・・・ふと思い着いたのが映画の「野生のエルザ」兄が付けていた名前があったと思ったが忘れてしまった。

田舎から車で4時間、途中のサービスエリアで止まり猫の様子を見たが箱の中で固まっていた。これなら大丈夫かと思い助手席に座らせて残りの半分は都心の夜景を見ていたのか分からないが、相変わらず助手席に固まっていた。

家に着いて、田舎で買ってきたトイレやキャットフードを出して準備をしていた。そうこうしている内に姿が消えた。探したら、開いていた押し入の点検口から屋根裏に上がってしまっていた。

いくら名前を呼んでも来るわけがない。本人にして見ればエルザと呼ばれるのは初めて。買ってきたおもちゃで釣って近づいたところで手を出すと逃げてしまう。天井裏に上がって見たが天井の梁だけの部分が多く自由には歩けない。追うと先端の狭いところへ逃げてしまう。屋根からは一寸釘が何もせずに突き出していて頭を切りかねない。

当日はあきらめ点検口の下にキャットフードを置いて下りてこないかと願って寝た。
翌日はまだ夏の日ざしで30度を超えることは容易に想像できた。(最高気温32度)
このままでは熱中症になると思いまた点検口から天井へ頭を入れて見ただけで汗が噴き出す熱さ。名前を呼んだりキャットフードを見せたりしても近づくけれど捕まらない。

お昼近くになると外気も暑く、これ以上は駄目と屋根の先端で捕まえる方法がないか考えた。朝呼ぶと先端の方からあらわれたので通気口の近くが涼しいとわかりそこにいるようだった。

ベランダから短い軒を見ると梯子を2つ折りにして脚立にしてやっと通気口に手が届くことが分かった。また、通気口のふたは木ねじ数本で止められいるにも分かった。電動工具を持ち出し木ねじを取ると簡単に取る事ができた。次に水を飲みたがっているだろうと考えて浅いお皿に水をいれ通気口の中に置いて出てきて水を飲むのを待った。今気が付いたのだが、その時のお皿がこの家で飲んだ最初の水。今日最後に牛乳を飲んだお皿と同じだったと思う。小さな醤油皿で5枚ほどあるので全く同じかはわからない。

さほど経たない内に現れたところで前足を摑み引きずり出した。その瞬間下を見たら、ベランダから身を乗り出す格好になっていて落すと3メートル弱の高さがあるのに気づき、肝を冷やした。どうにか屋根裏から引きずり出して、一人と一匹の生活を始めることができた。

田舎で買ってきたものは、取りあえずのものだったのでスパーへ行き、キャットフードの買い足し、首輪、つめ研ぎなど必要と思えるものを買いそろえた。その頃の写真を見るとキッチンに、どんぶりに水、カレー用の皿に煮干、ドライ、缶詰を盛りつけて好きなものを何時でも食べられるようにしておいたのがわかる。

平日はサラリーマンだったので、朝7時過ぎに家を出ると、帰りは早くても夜7時、遅いと午前様もあった。そのため大盛りの猫茶わんが出来上がった。連れてきたばかりは外に出すと迷子になると考え、家の中で何でもできることを覚えるまでは締め切って出さなかった。

休みの日、9月と言えども暑いので網戸にしていたらすんなり開けて外に行ってしまった。ほどなく帰ってきたところを見ると家の周りをひと回りした程度で帰ってきたようだった。これなら大丈夫だろうと出す事にした。

問題は平日をどうしようか?窓を開けて置くと泥棒に入られる。いろいろ考えた挙げ句に出窓の横が目に入った。出窓の下にはエアコンの大きな室外機がありちょうどステップ替わりに使える。ドライバーなどで窓枠ごと外されても子供は入れても大人は入れないサイズなので猫の出入口として開けておく事にした。

休みの日に行動を見ているとそう長い間外には出ていない。困ったことは、良くスズメなどの野鳥を捕まえてくること。翌年の春には子供を産んだがその身重の体で低いうなり声を上げながらスズメを咥えて飛び込んできた。

見ると時々スズメが羽ばたく。なだめながら抱きあげ、後頭部に手をあてて両方の奥歯のあたりに親指と人差指で徐々に力を入れ口を開かせたたら、スズメが羽ばたき猫の口から飛び出した。見るとやっと巣立ちをするかしないか程度の小すずめだった。次の瞬間、開いていた戸から一直に飛び去った。後を少し追ったが後は飛んでいった空をしばらく見つめるだけ。

気が付けば親スズメなのか外は大騒ぎになっていた。それ以降は、首をシッカリ嚙みついて羽ばたけないようにして連れ帰るようになり、何羽、捕まえてきたことだろうか?大きなものはドバト大のものまで捕まえてきた。食べる訳ではないので片付けはいつも私の当番。

子供は5匹産んだ。(写真左から3・2・1・5・4番目)

最初の子が一番大きく150gだったと記憶している。出産が近いのが分かっていたことや田舎に帰る用事があったので、その日は早く帰る事ができた。
7時過ぎには家に着いて名前を呼ぶと、苦しそうにしている。時折トイレに行くのだがしばらくすると用意した箱の中に戻ってくる。そんな事を何度か繰り返していたら床が濡れている事に気が付いた。

尿なのか良く見ると微かに血が混じっているように見えた。破水なのか?かかりつけの病院へ電話をして見ると、今夜はお酒をのんだので診察出来ないと冷たい返事。9時過ぎにやっと一番目の子が生まれたもののしばらく放心状態だったのか何もしない。洗面にぬるま湯を張り、子供を洗うとやっとうぶ声を上げた。

その声を聞きつけ横たわっていたはずなのに足下へ来て帰せとばかりに足にしがみつく。ぬれたままではまずいとお思い、タオルで水分を吸い取って箱の中へ戻すと飛び込んできてまんべんなく舐めまわしてきれいにした。

2番目は40分後、3番目も同じくらいのインターバルで産んだ。まだいるのかお腹を触って見たらまだいる。4番目は暫く時間が掛かり12時前に生れた。4匹を舐め廻していたのでもう終わりと思ったが様子がおかしい。寝ないで付いていると2時前に初めて女の子。しかもそれまでは白と黒のツートンカラーだったのが、キジトラ柄の子が生まれた。


3番目の子が一番小さくて80gしかなかった。この子が無事育つか心配だったが、その心配は10日目に現実のものとなる。ほかの子は目があき乳首は見えたのだろう、この子
だけは目があかない。4匹は定位置の良く出る乳首を占領してしまい、この子だけが端の小さな乳首にやっと吸い付くのだがほとんど出ないようだった。その上、ほかの4匹が満足して乳首を離すともう終わりとばかり立ち上がりどこかへ行ってしまう。

目を見るとひどい目やにが付いいて開いてはいるが開けらないことが分かった。行きつけの病院は出産の時のこともあったし、もっと近い町内に病院がある事を知ったので、そこへ連れて行く事にした。今のかかりつけの病院はこの子を診察して貰ったのが切っ掛けになった。

ほかの子は活発に動くようになっていて、箱の中に一匹取り残されることもしばしば。お乳が貰えないならとミルクを与えてと言われ、粉ミルクとほ乳瓶を買い飲ませたが飲まない。2種類あって好みが分れると聞き、別ものにを買ったらようやく飲むようになった。体温維持が出来ないので温めるようのも言われた。その日の夜は抱いて寝てたのが大失敗。3時頃まで面倒を見ていたがさすがに眠くなり抱いて寝たら圧死させてしまった。

5時過ぎに目を覚ました時には、既に死後硬直で固まっていたので寝てももなくの事のようだった。庭先に穴を掘って横たわらせエルザに最期を見せようと連れて行くと、自分から穴に飛び込み、舐めまわしたものの死を悟ったのか穴から出て家に入ってしまった。

3週間も過ぎると、箱の中に敷いたタオルが1日で湿っている。エルザが舐めて処理をしていたが間に合わなくなってきたようだった。急きょ庭に入れるために買った砂でトイレを作り、一度入れて箱に戻しただけで、直ぐにそこで用を足すようになりタオルはぬれなくなった。エルザも家に連れてきた時に猫砂を入れたトイレに一度入れただけで覚えたので血筋なのだろうか?

傑作だったのは3ヶ月が過ぎた時、水回りの工事を頼んだ人が来た時、まだ、一階の箱で子猫たちは寝ていたい。エルザが二階と往復している気配に気が付き箱をのぞくと2匹しか寝ていない。変だと思って二階に上がると連れて来た二匹を抱え毛繕いしてあげていた。どうして2匹で止めたのか?今でも不思議でならない。

こう思い出を振り返って見ると、子供が生れた翌年までは、いろいろと思い出すものの、ここ十年は日常に埋没してしまったのか?写真も少なく多くを思い出せない。

ただ、一度家族みんながカルシウィルスにやられた時があった。その時に覚えたのか体調が悪いと手でトントンとたたくこと。苦しくてたまらず手で叩いたら病院へ連れていってくれ楽になったのを覚えたのだろう。

このころはお腹が空くと噛みつくことがサインだったんので直ぐに理解できた。10年と言えば早期退職で長年働いた会社を辞め家にいる事が多かった。ご飯の催促をする必要もなくなり噛みつく事を忘れたのだろう。

今回も私が部屋に居ると時は隣で寝て手をだしてトントンしていた。思えばご飯の催促もあったろうが、苦しくてたまらなかったのを伝えたかったのだろうと、今から思うと後悔がこみ上げてくる。

今年のお正月に今年は働かねばと思った。でも、猫たちが歳から寝込んだら可愛そうだとふと思った。今年でエルザ14歳、子供達が13歳。5年後で19と18歳そこまで働く必要はないだろうと思いを吹消した。それから2ヶ月も経たない内に現実のものになり、エルザは旅立ってしまった。

人の勝手な都合まで病気は聞いてはくれない。自分が倒れエルザが倒れこの2ヶ月で数十万が消えた。この先のことを考えると自分の身勝手な都合で隠居は出来そうもない。母の口癖「働かざる者喰うべからず」を思いましてしまった。残された4匹の子供達の治療費がないと言う理由で病院へも連れて行けない様ではエルザに申訳が立たない。

動ける間は何か職を見つけ不自由のない暮しをさせて上げるのが残った者の使命と心に決め、エルザの埋葬が終ったら色々やらずにいたことを片付け、職探しに全力をいれよう。
それにしても「13」は不吉以外のなにものでもないことがわかって来た。
初めて合った時からの日数を計算したら 4,916日 13年5ヶ月と15日間。3月?で14年?、エルザの年齢は13歳。あと数週間で14歳だったのかも知れない。


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