goo blog サービス終了のお知らせ 

イバラージュ

京阪神ウォッチング。日々新しい発見があります。

春日神社(豊川)

2005-01-10 14:19:32 | 茨木
茨木市に9カ所ある春日神社で一番大きい。
宅地化が進む中、鎮守の森に鎮座する佇まいは心静まり、
神社の風格を感じさせてくれる。

祭神:天兒屋根命(アマコヤネノミコト)
茨木市豊川1-23-1

イバラードに住んでみて

2005-01-02 12:47:35 | 茨木
西にイスイテリア、東にタカツングに接した緑豊かな美しい国。
1948年大阪生まれの井上直久氏は長らく大阪府立春日丘高校美術教諭として勤務。
我が住む街を魔法の力で、空にラピュタが浮かぶ美しい世界に変身させている。

何処にもないのにどこか懐かしい。私自身のイバラードを見つけるとしよう。

宮崎駿責任編集 映画『耳をすませば』より
        「バロンのくれた物語」の物語 徳間書店 1995年06月井上尚久のイバラードの世界

弁天さん

2005-01-02 10:53:38 | 茨木
さくらと花火で地元に親しまれている弁天さん。
正式名は宗教法人辯天宗「冥應寺」辯天宗本部

一般に馴染みがないが宗祖の名を冠した智辯学園は高校野球で有名。
発祥の地、奈良県五條市野原に学園と総本山如意寺がある。
「大阪の東北の地、廃寺跡に霊場を開け。そしてあまたの衆生を済度せよ」
との大辯才天女尊の神示を受け、昭和39年、冥應寺が落慶とのこと。
笹川良一氏が、茨木市上穂積の土地約10万坪を奉納。
昭和54年9月には、高さ73メートルを誇る「水子供養塔」も落慶。

大阪府茨木市西穂積町7-41
JR茨木駅より近鉄バス「茨木弁天前」

和田惟政供養塔(わだ これまさ供養塔)

2005-01-02 10:04:03 | 茨木
宣教師フロイスを庇護し、
キリスト教の近畿普及に重要な役割を果たした。

和田惟政(1532年1~1571年)近江国甲賀郡和田村の人。
将軍足利義輝に仕えるも三好氏に討たれた後は、弟義昭を庇護する。
やがて信長からも重用されて、芥川城城主となる。
義昭が信長と不和になると、義昭を守って戦い、白井河原合戦で中川清秀によって討たれる。
墓所は高槻市の伊勢寺。

茨木市五日市2丁目5
R171号と名神交差地点南側、名神沿いに東へ藻川を渡る。

万国戦争受難者慰霊塔

2005-01-02 00:56:30 | 茨木
ここの階段も笹川良一さんが母を背負って上ったのでしょうか。

 地球の誕生から今日まで戦争の犠牲者は数え切れない。
この尊い受難者に対し我等は心から冥福を祈り、戦争の
根絶と貧困、病苦、不平等を解消する使者として米国に
世界的な研究所を創立し、この地球の自然を守り美しく
住みよい永久に平和な世界をつくり、全人類に健康と長寿と
幸福を贈るため二人は一心同体となり、生命の限り全力を
尽すことを1985年5月4日この地において宣言する。
   ジミー・カーター    笹川 良一

茨木市西穂積8
バス停ゴルフ場口下車 名神を超えて弁天さん手前

倍賀春日神社(へかかすが神社)

2005-01-01 23:24:00 | 茨木
石燈籠は鎌倉時代の作で、
国の重要文化財に指定されています。
祭神:天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
昔この辺り一帯を春日村倍賀と言ったため、他の神社と区別するために
「倍賀(へが)春日神社」と呼ばれています。
明治5年 村社となる。

茨木市春日5丁目6-1
上穂積バス停下車 徒歩3分 茨木工業高校の南側。

新屋坐天照御霊神社(にいやにいますあまてるみたま神社)

2005-01-01 23:10:04 | 茨木
延喜式神名帳(927年成立)に記載された古社。
市内に3座あります。
祭神:天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)
   天兒屋根命・建御名方命(タケミナカタノミコト)

寛文9年(1669)に現在地に移り、社殿は同12年のもの。
国道(171号線)で南北分断され、社内社であった疣水磯良神社のほうが賑やかです。

茨木市西河原3丁目1-2
阪急京都線総持寺駅より北西へ約1km、約15分。
花園東和苑行き東太田1丁目下車

春日神社(中穂積)

2005-01-01 22:46:30 | 茨木
茨木の町を一望できる小高い山にあり、
旧跡穂積城跡の碑がある。
祭神:天兒屋根命(アマコヤネノミコト)藤原氏の祖先 配祀 天照皇大神、應神天皇
創建年代は不詳。住吉より中穂積の鎮守社。

茨木市中穂積2丁目16-34
辯天行きバス ゴルフ場口下車、南へ約200m。


春日神社(上穂積)

2005-01-01 22:28:53 | 茨木
茨木には春日神社が9社あります。
こちらは辯天さんのふもとにある、春日神社(上穂積)です。
名神高速を越えた辯天の石碑を名神高速に沿って少し行くとあります。
祭神:天兒屋根命(アマコヤネノミコト)藤原氏の祖先  他3柱

茨木市西穂積町4-3
JR茨木駅下車、辯天行きバスゴルフ場口下車、北へ約450m。

磯良神社(いそら神社)

2005-01-01 21:49:21 | 茨木
古くから「疣水(いぼみず)さん」と呼ばれ親しまれています。
もとは天照御魂神社の境内社で、寛文年間(1662年)に分かれました。

仲哀天皇の時、隣国新羅と戦争が始まり、神功皇后は軍勢を率いて出発した。三島路から西に進もうとしたところで 皇后は、女の姿で敵に向かっては嘗められると、通りかかった磯良神社に立ち寄り祈願。こんこんと湧き出ている清泉の水で顔を洗うと、忽ち大きな疣だらけの黒い顔となった。そして皇后は見事勝利。磯良神社に戦勝報告したのち、社前の清泉で顔を洗うと、元の美人の姿に変化した。この故事から霊泉「玉の井」は、古くから「疣水」の名をもって知られ、諸病平癒に霊験あらたかな御神水を遠くからも汲みに来られる。
                『わがまち茨木-民話・伝説編』(茨木市教育委員会 1984)より
茨木市三島丘1-4-29
近鉄バス 東和苑住宅行  疣水神社前下車  徒歩 スグ