大阪水曜ほっと集談会一世です。
先日心身のリハビリで足湯に浸かりながらいろんなことを考えました。
最近同世代の60代で大病をしたり、転倒による事故、亡くなったという話を耳にすることが増えました。
自分のこととしてリアルに考えることがなかった私ですが、大袈裟ではなく、この夏の異常な暑さに死を意識することが増えました。
自分はいったいあと何年生きることができるのだろう?
そんなことを漠然と考えるようになりました。
この一年で体力の低下が著しく、平行して心も弱る悪循環です。
体力の低下より、やはり怖いのは気力がなくなることです。
普通に出来ていたことが急に出来なくなることの違和感に戸惑う日々です。
光陰矢のごとし、人生はあれこれ悩んでるうちに矢のように過ぎ去っていくのです。
もうすぐ集談会です。
それまでなんとか生活を維持して、皆さんから生きるエネルギーをいただきたいと願う私です。
最後に森田博士の死生観をご紹介いたします。
今日の森田博士の言葉
さて私が死ぬときにはどんな死に方をするか、その時の場合になってみなければわかりません。
私には宗教家や英雄豪傑のように「死を見ること帰するがごとし」というような死に対する心がけや準備というものは少しもありません。
つまり私は泣きわめいて恥をさらして死ぬか、眠るごとき大往生をとげるかわからないけれども、その時にあたってどんな死に方をしても良いと思うのであります。
それが私の理想を捨てた理想であります。
2023.9.17 一世