上海下町写真館2014

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上海ライフ:「上海紡績博物館」(1)古代綿布の総合生産地帯だった。

2015-01-13 06:00:00 | 上海ライフ

1.上海紡績博物館

住所は普陀区澳門路150号、昌化路の東、旧「上海申新紡績第九工場」跡地に位置します。
20世紀初頭、この辺りに日本資本の紡績会社などの工場が建ち並んでいました。

2.機織りのモニュメント



玄関前の屋外には機織りをイメージしたモニュメントがあります。
地面には当時活動をしていた100個以上の紡績会社の名簿が年代順に刻まれています。

3.糸偏や衣偏



1階ホールにある織物に関する古代文字の展示。

4.織物の始まり



6000年前には動物の毛皮が着用されていましたが、もう植物繊維を利用した古代織物が製造されていました。

5.古代からの上海の紡績



上海市の浦東新区は5000年前に陸地になったそうですが、長江に運ばれた肥沃な土と温暖な気候は「綿」の栽培に適していました。

6.青浦(ちんぷ)沢(songze)遺跡



6000年前の古代遺跡が青浦沢県に発見されました。
古代人がこの時代に狩猟や採取から家畜の飼育や食糧栽培の技術を取得していたことが判り、上海人の豊かな生活ぶりが確認されました。

7.古代住居と井戸



沢遺跡では最古の井戸跡が発掘されました。

8.唐代の衣服



宋代末期から元代初頭、上海地方の農業生産は「稲作3:綿花7」の割合で、手工業による一大綿織物の産地だったことが伺えます。
すでに食糧自給率は100%を超え、余剰の生産力で綿布の原料となる綿を栽培していたようです。

9.元代の紡績家「黄道婆」



機織りの技術を故郷に伝授したとされる実在の人物です。
天界に住む織姫が人間界に落ちた「綿聖」とも呼ばれており、肖像画や祠が残されています。

10.綿花と綿布の流れ



明代では松江地方の主要産業は綿の栽培で、国家的産業でした。
綿布の生産が進んだため、この地方の栽培だけでは原料となる綿が不足し、長江や黄河を利用し綿花が集積され、出来上がった綿布はまた水路で奥地へ運ばれて行きました。

11.手動の機織り機



当時の色々なタイプの機織り機が展示されています。

12.清末期の女性衣服



普段着と書かれていますが、全体に刺繍が施され、かなり高貴な女性の服のようですね。

「上海紡績博物館」(2)に続く。。。。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS


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