上海下町写真館2014

ブログを始めて17年目、今でも多くの皆様が訪問していただけるので、できるだけ続けていきたいと思っています。

「博多旧町名歴史散歩」第7章-呉服町界隈:東町筋を上る 

2014-09-21 06:00:00 | 故郷の風景
1.大博通り蔵元交差点付近
大博通り呉服町交差点の一つ北に位置し今ではビジネス街となっていますが、江戸期は豪商の屋敷が集まっていました。

2.島井宗室屋敷跡の碑


織田豊臣期に神屋宗湛とともに活躍した豪商島井宗室の屋敷跡の碑があります。
島井宗室は慶長15年(1610年)に「遺訓十七条」を子孫に書き残し、5年後に77歳で他界しました。
遺訓は分散投資や人付き合いの注意点、倹約など現代にも通じる内容で、波濤を乗り越え海外に勇躍した豪商とは思えないほど事細かに書き残されています。

3.東町筋を上がる


車がようやくすれ違えるほどの道幅ですが、山笠では一基1000人ほどの群衆が駆け下りてきます。

4.大博劇場があった



大正9年に九州随一の本格的な花道を持った大劇場が完成しました。

5.跡地はマンション



昭和31年には中国の京劇スター「梅蘭芳」も来演したそうです。

6.アインシュタインも訪れた大博劇場



大正11年、日本の出版社の招待を受け、新しい妻エルザとともに日本を訪れ1か月半ほどかけ全国で講演・観光しました。
南フランスのマルセイユを出港、香港から上海へへ向かう船上でノーベル賞受賞の知らせが届きました。

彼は大の親日家でしたが、訪日の際、人力車に乗ることを勧められたが「非人道的な奴隷労働」と解釈し、乗車を断ったそうです。

7.旧東町の碑


島井宗室と神屋宗湛は秀吉愛顧の豪商で大博通りを挟んで屋敷がありました。博多豪商三傑に入るもう一人の大賀宗久屋敷三千坪も呉服町にありました。

8.博多のうどん


博多のうどんは汁が甘く、麺も柔らかいので地元以外の方には人気がないそうですが。。。。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

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