6年前と大きく異なるのは、自分が43歳で娘を産み母になる、という我が人生におけるビッグイベントを体験済みであること。
迷いに迷って、悩みつづけながら2度目の採卵→2度目の顕微授精→2度目の凍結初期胚移植の末に娘を授かった。
運が良かったとしか言えない。
不妊治療に励んでいた時代も、別にブログを書いていて、そちらで同年代の方たちと交流させてもらいわちゃわちゃ過ごしてたんだけど、もう自分はその輪には入れない。
全員40代で、7〜8名メンバーがいたのち体外受精で出産に至ったのは自分を含むたったの2名で、もちろん私がブロ友さんたちに自身の移植成功、無事出産に至ったことを明かせば、皆さん良かったね、とは言ってくださると思うんだけど…。これまた迷いに迷って、明かさないことにした。
なんというか…
産むも産まないも、産んで良かったも後悔したも自分自身がそれを体験してみて
「…そう思うのって個人の感想ですよね。」という感想しか湧かなかったから。
それぐらい、新しい命を己の身に宿して産むという行為はギャンブルと同じだと思った。
私は大胆にも愚かにも、40も過ぎてそのギャンブルに手を出しつづけちまったってわけなンだワ。
だからその感想をブログにしたため、自分のお気持ちを世に発表するってのはなんだか気が引けて。
で、私自身が超高齢出産をやっちまった上でより強く思うようになったのは、“産まない選択をした”方々に敬意を抱き、寄り添いつづけたい、ということ。
でも、産育休が明けて職場復帰したのち、気づけばお子さんのいらっしゃらない上司(女性)から無視されること早一カ月。
相変わらずな、私です。
原因として思い当たるフシといえば、私が子を産み母になったこととしか…
母になれたとて、悩みは絶えず。
あーあ。生きてくって、大変
