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毒親育ちが子を産んだ

昭和99年生まれの愛娘と共に、昭和55年生まれの高齢母、奮闘中!
バイリンギャール育成中。

許すために産まれてきた

2025年06月08日 | 2025年

gooサービス終了に向け、ブログを移行せねばならぬ

…とか思いつつ、本ブログ復帰後はなかなかブログを書けずにいる。

 

実母との関係は相変わらずで、職場復帰後から自分だけに冷たい上司との関係も相変わらずで、娘を育てるにあたっても夫と義家族との間で孤立しており、子ども産んで母になったからとて私自身の人との関係を構築するにあたっての不器用さ加減は何一つ変わらない。成長の兆しナーシ!(※開き直り)

 

ただ…

それは「娘(子)を産んだせい」ではなく、毒親育ちなせいでもなく、問題の原因は自分の本質的なところにある、と、思えている。そして私にそんな風に思わせてくれているのは娘の存在。

 

娘は、なんというか、自分に「周囲を許すこと」を学ばせるために自分の元へ来てくれた気がしてならない。

文章にしても自分の気持ちを正確に伝えられる自信がないのだが、「この子を授かることができたのだから、私は家族というコミュニティの中で、面倒なポジションを引き受けましょう。やれやれ。」…そんな気持ち。

 

実母から自分の生き方を罵られようが、体型を嗤われようが、職場で「体外受精してまで子どもを産むなんて…」と、件の上司から陰口を叩かれようが、義母が二人目(男児)を欲しがろうが、夫が一番、娘を構っていてほしい出勤前の繁忙時間帯に起きてくれなかろーが、なんかもう、すべてにおいて「仕方ねーっすわ…」で済ませられている。まぁ、そういうことだってありますよね、世の中にはそんな風に言う人もいますよねー、程度の。

 

だからとて、「娘がアテシの元へ来てくれたから…アテシは周囲を許せるようになりましてよ!」といった美談的なものを感じているわけでもなく、なんやろな…

 

とにかく、周囲からどれだけ悪意を向けられ嫌われても、私のほうから「こっちは傷つけられたんじゃゴルァ!!!オマエのことは絶対に許さへん!死ぬまで許さへん!!!」みたいな感情にはならんのよ(※以前はなっていた)

そして、自分がそんな風に思うようになったきっかけというのがどう考えてみても「出産」なわけ。理由は自分でもよく分からない。育児が大変すぎて以前ほど周囲を気にしてられないせいなのかもしれない。

 

そんなわけで、すっかりカドがとれて丸くなってしまったアラフォーおばさんなわたくしは、すっかりブログから足が遠のいてしまっていたのでした…

 

でも、これから最低でも18年間は育児が(…と、書いて“たったの18年間!?”という気も)続き、加えて両家の親の介護も本格化し、また心荒れる時期もあるのかもしれない。実母のように心が壊れてしまうほど不器用に生きてしまわず、しかと自分を律して危険人物を回避しながらこの世知辛い世の中を生き抜く所存であります。そしてなんとか娘を育てあげる!

 


今宵も娘がかわいくて

2025年04月28日 | 2025年

9カ月を過ぎた娘。

いま私のお腹の上で寝ている。重い
 
もう、夜中に目が覚めて私がいないことに気づくと怒りくるってギャン泣き。かわいい!
この子を産んでからというもの、毎日が夢心地で朝目を覚ますたびに夢なら覚めないで!と願ってる。
 
職場の人間関係が上手くいっていないことを気にしながらも、3割ぐらいは「どうでもよ〜」と、思ってしまっている。
 
もし目の前に突然神様が現れて
 
「毎日職場で上司から無視されてしんどかろー。
あまりにつらかったらその上司と立場を入れ替えてあげますよ。」
 
…とか言われても無理無理無理無理🐌
 
私は私のままがいい。
 
こんな風に自分のことを大事に思えるようになったのって私にしては劇的な進歩!
 
それにしても、産んだ女性と産まなかった(産めなかった)女性のあいだにはやはり埋めようのない隔りがあり、共存はできないものなのだろうか。
産育休から復帰して早々に、子どもを持たない同性の上司との関係がギクシャクしてしまったのをきっかけに、私はなんて思いあがった考え方をしてしまっていたのだろう…と、激しい自己嫌悪に陥ってしまっている。
産前まで本当にお世話になり、これからも良い関係を育んでいきたいと上司だったのに。
 
でも
「産まない方のしんどさを忘れずにいたい」とか言いながら、そのしんどさに耐え切れず産む側にまわってしまったのは私。
 
やはり自分は思いあがってしまっていたのだろうと思った。
 
でも、将来的に何か…
性別や子どもの有無にかかわらず、人が一人で穏やかな老後を生きていくにあたり、相互支援するセーフティネットのようなものを立ち上げたいなと思うようになった。
これからじっくりと策を練っていきたい。
 
 
 

つらいなぁ

2025年04月25日 | 2025年
ほんの数日前まで、不妊治療ブログ(すでに閉鎖済み)でコメントをかわし、励まし合ってきた同い年のブロガーさまが、高度生殖医療を諦めたあとにご懐妊されたことを知り。

身体中に喜びがあふれ、心からのおめでとうを伝えたく、「私も実は…(すでに子どもがいて)」と、伝えたくなったのだが、すぐに続けて、もう一人のブロガーさまの移植結果が陰性に終わりそうなことを知る。

水平線が光る朝に
あなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に
誰かが綺麗と呟いてる
悲しい声で歌いながら
いつしか海に流れ着いて 光って
あなたはそれを見るでしょう

透き通るほど淡い夜に
あなたの夢がひとつ叶って
歓声と拍手の中に
誰かの悲鳴が隠れている
耐える理由を探しながら
いくつも答えを抱えながら 悩んで
あなたは自分を知るでしょう

back numberの歌う『水平線』

この歌は不妊治療の真髄を歌ってると思うわ。

もう一曲、RADWIMPSの
『にんげんごっこ』

この歌は射精からの着床失敗を歌ってると思う…(※歌詞は省略)

別に、妊娠と出産に限らず人の世ってこうなんだけど、今日笑えてる人の陰で必ず泣いてる人もいるものだけど、
妊娠と出産にはタイムリミットがあるのでつらいなぁ。
今日妊娠できなくても、明日、明後日…5年、10年と諦めずに子作りに励んでたら、アナタ様もいつか必ず子どもを授かることができます!ってことじゃないんだもん。

やっとのことでお腹に赤ちゃんが来てくれた方も、今回残念な結果に終わりそうな方も、今夜眠れますようにと祈る。
それでもって、二人ともこの先の人生、今以上にしんどいことが起こりませんようにと祈る。

娘を授かり、育てていることは、別に隠すようなことではないのだけれど、必要以上に誰かに言うほどのことでもないよなーと思う。








家族を頑張る

2025年04月23日 | 2025年
娘の風邪がうつり仲良く寝込んでいる(娘はほぼ回復)
まだもの言えぬ赤ちゃんなので、娘もこんなにしんどかったんだな…そりゃー泣いてぐずるよねと、痛みと苦しみを共有できて良かった←?

母の皮膚科通院の件は、その後母がネットで定期購読の痒み止めローション🧴をポチってしまい、その定期購読を解約するのに一悶着あって疲れてしまった。
1ステップで解決する問題を、1人で抱え込んで大問題に発展させ、その背景にあるのは夫と育児に自分の時間を奪われ自分の人生を生きられなかった恨みつらみで、そこんところに初期の認知症も加わり救いようのない状態。もはやお手あげ。
今後もこういったやり取りが増えていくのだろうと考えるだけでゾッとする。

しかしながら、自分はこれを受け容れようと決意したことも思い出す。

娘が無事に産まれてきたとき、神様に感謝して「家族を頑張ろう」と私は思った。
娘の誕生は自分にとって、私自身が育ってきた過程での辛かったこと苦しかったことをすべて水に流せるぐらい嬉しく喜ばしい出来事だったのだ。

夫のことも親親族の介護も、面倒事は全部私が引き受けますので神様どうか、私の娘が健康で、娘らしい人生を歩んでいけるよう見守ってあげてください、なんてことを考えてしまった。

だから、頑張らなくては。

職場でハブられてしまってるなんて本当にどうでも良すぎる件(鼻ほじ)
上司も同僚も他人だから。

…なんて、過去の自分はそんな風に思える器じゃなかった。家族の問題はさておき、職場の人間関係に神経をすり減らし、常に緊張しっぱなしで疲弊していた。

ところが今はこんな風に(↑)思えている!

娘がこの世に来てくれた意味は十分にあった、有り余る。

でもって、だからといって自分のこの思い(重い)が娘の重荷と化してしまわぬよう、娘の存在に依存してしまわぬように育てていかなくては…とも考えている。

もうすぐ世が明ける。私は今日も家族を頑張る。


母が憎い、そして愛おしい

2025年04月20日 | 2025年
先週末から9カ月を迎えた娘が初めて発熱し、夫婦しててんてこ舞いしていた。
離乳食を嘔吐してギャン泣きした娘の様子にパニックに陥った夫が私を二度にわたり怒鳴りつけ、ブチキレた私が夫と約半日にわたり口を利かなくなるというトラブルも…

ほら。結局自分も夫に対して母と同じこと(無視)をしてしまっている。と、激しい自己嫌悪に陥る。

認めたくはないけれど、私は母に似ていると思う。母も自分の夫(私の父)に対してやりきれない思いがあり、娘の私に当たり散らしていたのだろう…などと、そういうことがいちいちわかってしまうのがイヤになる(でも、だからと言って己の配偶者に対する不満を子どもにぶつけてウサを晴らしてよいわけがない。)

解せないのはそこんところだ。

夫に対する苛立ちを娘にぶつけてウサを晴らすという行為が私にはどうしても理解できない。
いま、自分の娘に対してそういった感情は皆無。

娘の嘔吐をキッカケに私が夫から怒鳴りつけられたとしても、そのことに対する不満をぶつける相手は当の夫であり、娘には何の落ち度も罪も無い。

そこんところがわかっていれば、大丈夫なのだろうか。私は娘を虐待することなく育てていけるだろうか。

「虐待の連鎖」が怖くて仕方がない。

今のところ、娘に対する嫉妬心などは皆無だが、配偶者である夫に対する嫉妬心はかなりある。

なんでアンタみたいのが親きょうだいから愛されてるんだ、中卒で職を転々とした挙句無職のくせに…みたいな。
その中卒で職を転々としつつ今は無職の夫を配偶者に選び、子どもまで作ったのは自分なくせして…

いや、学歴も職歴もどうでもよいねん。
気に入らないのは夫のもとに、娘の様子を伺いに母親(自分にとっては義母)や弟妹から毎日電話があること。
私は自分の親に娘を出産したことを告げていない。この先告げるつもりもない。

もし、私が高校に進学せず、バイトを転々とした挙句、仕事を辞めてしまってたら、自分の親は私を家族の一員のままでいさせてくれただろうか?…たぶん無理だと思う。

それなのに夫は…という嫉妬

でもまあ、娘にとっては良い父親、良い祖父母に伯父伯母がいてくださってるということ。そこは受けいれてガマンするしかない。

とにかく、自分が娘を虐待することなく過ごせたらヨシとする。