gooサービス終了に向け、ブログを移行せねばならぬ
…とか思いつつ、本ブログ復帰後はなかなかブログを書けずにいる。
実母との関係は相変わらずで、職場復帰後から自分だけに冷たい上司との関係も相変わらずで、娘を育てるにあたっても夫と義家族との間で孤立しており、子ども産んで母になったからとて私自身の人との関係を構築するにあたっての不器用さ加減は何一つ変わらない。成長の兆しナーシ!(※開き直り)
ただ…
それは「娘(子)を産んだせい」ではなく、毒親育ちなせいでもなく、問題の原因は自分の本質的なところにある、と、思えている。そして私にそんな風に思わせてくれているのは娘の存在。
娘は、なんというか、自分に「周囲を許すこと」を学ばせるために自分の元へ来てくれた気がしてならない。
文章にしても自分の気持ちを正確に伝えられる自信がないのだが、「この子を授かることができたのだから、私は家族というコミュニティの中で、面倒なポジションを引き受けましょう。やれやれ。」…そんな気持ち。
実母から自分の生き方を罵られようが、体型を嗤われようが、職場で「体外受精してまで子どもを産むなんて…」と、件の上司から陰口を叩かれようが、義母が二人目(男児)を欲しがろうが、夫が一番、娘を構っていてほしい出勤前の繁忙時間帯に起きてくれなかろーが、なんかもう、すべてにおいて「仕方ねーっすわ…」で済ませられている。まぁ、そういうことだってありますよね、世の中にはそんな風に言う人もいますよねー、程度の。
だからとて、「娘がアテシの元へ来てくれたから…アテシは周囲を許せるようになりましてよ!」といった美談的なものを感じているわけでもなく、なんやろな…
とにかく、周囲からどれだけ悪意を向けられ嫌われても、私のほうから「こっちは傷つけられたんじゃゴルァ!!!オマエのことは絶対に許さへん!死ぬまで許さへん!!!」みたいな感情にはならんのよ(※以前はなっていた)
そして、自分がそんな風に思うようになったきっかけというのがどう考えてみても「出産」なわけ。理由は自分でもよく分からない。育児が大変すぎて以前ほど周囲を気にしてられないせいなのかもしれない。
そんなわけで、すっかりカドがとれて丸くなってしまったアラフォーおばさんなわたくしは、すっかりブログから足が遠のいてしまっていたのでした…
でも、これから最低でも18年間は育児が(…と、書いて“たったの18年間!?”という気も)続き、加えて両家の親の介護も本格化し、また心荒れる時期もあるのかもしれない。実母のように心が壊れてしまうほど不器用に生きてしまわず、しかと自分を律して危険人物を回避しながらこの世知辛い世の中を生き抜く所存であります。そしてなんとか娘を育てあげる!