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毒親育ちが子を産んだ

昭和99年生まれの愛娘と共に、昭和55年生まれの高齢母、奮闘中!
バイリンギャール育成中。

私の巣

2025年04月11日 | 2025年
今朝は母に対してまたまた恨みつらみ節を発揮してしまったが、もうブログに私の悪口を書かないでねと言わんばかりに母からしおらしいメールが来ていた。
だいぶ認知症がすすみ、繰り返し同じことをメールしてくる(でもパソコンでメールを送る操作はまだ覚えている。)

父とは日に何度か安否確認のためLINEでやりとりをしている。

それが、
二人とも、メールとLINEの中では腰を抜かすほど、娘に心配をかけまいと元気を装いつつ、娘の身を案じる父と母でいてくれるのだ。私は面食らい、そろそろいつでも親の様子を見に行ける距離に住んでやらねばな…と思いながら慌しく出勤したりする。

そして
情にほだされうっかり帰省してしまい、毎回ヒドイ目に遭って自分の巣に戻ってくる。疲弊しきって数日寝込んでしまう。

家族って、そういうものなのかしら。

覚えてないけど、非力な幼子の頃は、父も母も私に無条件の愛情を注いで接してくれていたのだろうか。私がいま、自分の娘に対してそうであるように。

優しくしてもらった記憶もある。
冬の寒い朝、ストーブで温めた靴下をはかせてもらった思い出。
胃腸風邪でまだ未就学児の頃に点滴を受け、泣かなかったと医師からほめられ、誇らしげな母の腕に抱かれ病院を後にした日の記憶。

でも、布団に顔を押しつけられ、窒息させられそうになった記憶もあるんだよなぁ。

…にんげんだもの。

(で、許されるわけがない!笑)

今日、なんとなくだけど上司が私に対して腹を立てているポイントがつかめた。

なんと、私が顕微授精で娘を授かったこと、妊娠中に妊娠高血圧症と糖尿病を発症させてしまい、予定より早く産育休に入ってしまわざるを得なかったこと、そしてそのことを自分が復帰後に面白おかしく語ってしまったことが地雷ポイントだったみたい。
同時期に産育休を取っていた同じ部署の同僚は、今も毎日不定愁訴と育児に対する愚痴が絶えず、私は自身の不妊治療中にお子さんのいらっしゃる方から、職場でこのテの愚痴や苦労話を聞かされるのが不得手だったので、できるかぎりカラ元気を装ってきたつもりだったんだけど…
まさか逆効果だったとは。

もっと⬜︎にかかった感をかもしだし、子どもなんて産まないほうが良かったとでも言えば良かったらしい、その上司の前では。

他にも妊娠中毒症に罹ってしまったのは私の自己管理不足といった陰口まで叩かれてしまっているらしく、

やっぱり子どもを産んだことのない人にはわからないよね…

てか、産んだことないのによくそんなことが言えるよねと唖然。玉須ドン引き。

などと、お子さんのいらっしゃらない方に対して絶対に言うまいと心に決めていたセリフを早速上司に対して心の中で用いてしまった。

でも無視の原因を知ることができてよかった。
ずっと心配していたのが、自分が悪気なく子どもが可愛い、産んで良かったをアピールしてしまい、上司を傷つけてしまっていたのでは…といったことだったのだけど、そういうことではなかった模様。

そしてこういうことが無視の原因なら、もう和解できなくて結構、と開き直ることができた。

週末は久しぶりに穏やかな気持ちで過ごせそう。

私の巣にこもって、ゆっくり休もう

そしてまた、理解不能な人たちと必要最低限のお付き合いをするために英気を養おう…
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早朝にやけ食い

2025年04月11日 | 2025年
ブログを再開したは良いものの、育児が始まると書くひまもないかな〜なんて思ってたけど、意外とすきま時間はあるものだな。

今日は3時すぎに娘がぐずり、本格的に泣きだしたのを隣で寝ていた夫が私がおしゃぶりを与えるタイミングが悪かったからだとキレちらかし、ミルクを作って与えていたので私は内心ぶちきれている(抱っこしてしばらくユラユラしてたらまた寝てくれそうだったのに!)

でももう、職場の人間関係も思わしくなく、家庭でまで夫婦不和で悩まされると己の身がもたないので黙ってやり過ごしている。

哺乳瓶を洗って煮沸殺菌したついでに台所で残りごはんを温めた納豆と生卵かけてつっ立ったままかきこんでやけ食い。

ついでにコーヒーも入れて(インスタントだけれど)娘のためにと夫が箱買いしたリンゴもむいてむしゃむしゃ食ってやった。

なんて健康的な非嘔吐過食。

なかなか本題の、私自身の母親と自分との関係について書きはじめられずにいる。

コロナ前に同居の話しが持ちあがり、頑張ろうとしたけど結局はうまくいかなかった。
私は元居た場所に逃げ戻り、コロナ禍のあいだはコロナを理由に帰省せずに済んでいたのだけど…

さいきん、また母から同居要請が来始めて非常に憂うつ。

めっきり年老いた母の姿を垣間みていて、思うのは人をいじめた側の末路。
嗚呼、こんな風に周囲の誰からも距離を置かれ、本人も誰のことも信用できず寂しく老いていくのだな…と切なくなる。
解せないのは、娘である私をこれだけ傷つけ、それでもなお私がいつかは自分の支配下に戻ってきてくれると信じきっていることだ。

こっちはバカじゃねぇの?親子の間にも礼儀ってものはあるんだよと内心冷めた目で母のことを見ている。

帰省して接していても、

「あ。今の発言はアウト。もう次の帰省はないと思ってください。」
「ほらまた。察してちゃんが発動した。」
と、心の底から母の言動をバカにしてしまっている自分がいる。

そして
「またちょくちょく帰るね〜」と、表向きには社交辞令の挨拶をして自分の巣に戻ってくるけど、次に会うのはあなたに介護が必要になったときでしょう。

「いったいどういうこと!?私にはさっぱり理解できないわ!」と、ヒステリックに叫ぶ母の声が耳の奥でよみがえる。

「よぉ〜〜〜く、考えてごらん。」

そして私の気持ちを察して、私が思うように動きなさいよ。

私は母そっくりな声音で言いかえす。

そして母が私の気持ちを察して、私が思うように行動しないかぎりは無視。食事も与えない。母が怯えた顔をして、震える声で挨拶してきたら鬼の形相で睨みつけてやる。

44年間、私の心をしばり続けてきた台詞をお返ししたい。介護が始まったら誰にもバレないように母に虐待のかぎりを尽くし、いじめ抜いてあの世に送ってやりたい。

…なーんて、冗談だけど。でも、育てられたように老後のお世話をさせていただくとなるとこのスタイルになるよなw

だから本当に、他人様をいじめたりしたらアカンよな〜って母の生き様みてると実感する。



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