先週の日曜(2/7)、↓の催し物に、仙台までプルルーと出張る。
生誕100年記念 山中貞雄監督特集
わが文明の最果ての本籍地からもっとも近い「都市」であるところの仙台まで車で2時間強―――ドライブにはちょいと遠い、というか地味に運転に飽きる(!)。
お目当てはもちろん、
2月 7日(日) 15:30
《対談》 蓮實重彦氏×青山真治氏
である。
同日に、未見の『大菩薩峠 甲源一刀流の卷』〔1935〕をやってれば鑑賞したかったが、残念(山中が共同監督として部分的に演出しているのだ)。
対談のテーマである山中貞雄への関心も大きいのだけれど、やはりそれ以上に生ハスミをこの目に焼きつけたく‥‥‥!
生ハスミはうわさに違わず大きなひとで(180くらい?)、魅惑の低音ボイスが、淀みなく滑らかに“映画馬鹿”を刺激する論説を展開し、なるほどこれが東大総長を務めた大インテリの実像かと、感心しきりであった。
会場の、せんだいメディアテークと蓮実先生は関係が深いのか、此処で行われた講演が↓の書籍として刊行されてもいる。
映画への不実なる誘い―国籍・演出・歴史
対談の内容自体は、自分は蓮実重彦の映画評論を結構読んでる所為もあって、ことさら新しい見解はなかった。
すなわち、「映画」とは「アメリカ映画」のことだと世界ではじめて意識したのが30年代の日本映画であり、その先端にいたのが山中や小津や清水や成瀬であり、50年代フランスのヌーヴェルヴァーグはその反復にすぎないという認識を、繰り返しておられたわけである。
んで、アメリカ映画とは何ぞや?という流れで、「アクションつなぎ」に言及し、いかに山中や小津がこのテクニックを完璧に習得し活用していたかという解説。
アクションつなぎ=カッティング・イン・アクションとは、↓の動画がわかりやすいので‥‥‥
冒頭(4秒あたり)、三宅邦子が立ち上がると同時にカットが切り替わる―――この技法のことである。
これによってカットの繋がりがスムーズになり、カット割りを観客に意識させないという、アメリカ映画で洗練され達成された映画技法の代表的なもの。
青山監督は、このアクションつなぎの、前後のカットの同じ動きを2~3コマだぶらせることで生じる官能性(?)を力説し、蓮実先生は小津の映画で人物がやたらに立ったり座ったりするのは、「ありゃあ、アクションつなぎをしたいからですよ!(キリッ)」と、断定しておられた(笑)。
そして、山中作品の一部が上映され、それは宮崎駿も感嘆したという『河内山宗俊』〔1936〕の、―――
以下、『クリエイターズファイル 宮崎駿の世界』(竹書房)より、鈴木敏夫の発言。
‥‥‥この間、宮さんが興奮して僕の所に来たから、何かと思ったら、「鈴木さん、昨日すごい映画見たんだ」って言う。「CATVで久しぶりに映画を観た。『河内山宗俊』」って言うから、「それ山中貞雄でしょ」って言ったら、「え、知ってるの」ってショックな顔をしてました。「いやあれ、有名な映画だから」って言ったら、「途中から観たんだけど、いい映画だった。あれが山中貞雄なのか」って(笑)‥‥‥(22ページ)
―――観たことがあるひとならまず記憶されているだろう、あの雪が降るシーンである↓
↑15歳の原節子!
蓮実先生も青山監督も、このシーンを観ると泣いてしまうと白状し、実際上映後、二人とも涙目であったのは微笑ましいというかなんというか(笑)。
たしかに、素晴らしいシーンなのだ。
この雪は“鳥の胸毛”製で、撮影前日に山中自らが羽根を切り揃えていた―――という、蓮実先生が当時のスタッフの直話を披露し、自分はじんわりと感動。
( ;∀;) イイハナシダナー
最後に蓮実先生、年齢的に人前で喋るのはこれで最後にしたいと述べられ、蓮実重彦のいうことだから真相は闇の中(!)だけれども、貴重な機会だったのかのう、と思った。
‥‥‥
仙台に来たので、仙台といえば牛タンじゃね?というわけで、牛タン専門店に入ってみる。
こういう画像↑は、すごくブログっぽいのう‥‥‥
テールスープはともかく、牛タンと麦飯は自宅でも作れる気がするところに、おれはちょいと納得しかねたのであった。
生誕100年記念 山中貞雄監督特集
わが文明の最果ての本籍地からもっとも近い「都市」であるところの仙台まで車で2時間強―――ドライブにはちょいと遠い、というか地味に運転に飽きる(!)。
お目当てはもちろん、
2月 7日(日) 15:30
《対談》 蓮實重彦氏×青山真治氏
である。
同日に、未見の『大菩薩峠 甲源一刀流の卷』〔1935〕をやってれば鑑賞したかったが、残念(山中が共同監督として部分的に演出しているのだ)。
対談のテーマである山中貞雄への関心も大きいのだけれど、やはりそれ以上に生ハスミをこの目に焼きつけたく‥‥‥!
生ハスミはうわさに違わず大きなひとで(180くらい?)、魅惑の低音ボイスが、淀みなく滑らかに“映画馬鹿”を刺激する論説を展開し、なるほどこれが東大総長を務めた大インテリの実像かと、感心しきりであった。
会場の、せんだいメディアテークと蓮実先生は関係が深いのか、此処で行われた講演が↓の書籍として刊行されてもいる。
映画への不実なる誘い―国籍・演出・歴史
対談の内容自体は、自分は蓮実重彦の映画評論を結構読んでる所為もあって、ことさら新しい見解はなかった。
すなわち、「映画」とは「アメリカ映画」のことだと世界ではじめて意識したのが30年代の日本映画であり、その先端にいたのが山中や小津や清水や成瀬であり、50年代フランスのヌーヴェルヴァーグはその反復にすぎないという認識を、繰り返しておられたわけである。
んで、アメリカ映画とは何ぞや?という流れで、「アクションつなぎ」に言及し、いかに山中や小津がこのテクニックを完璧に習得し活用していたかという解説。
アクションつなぎ=カッティング・イン・アクションとは、↓の動画がわかりやすいので‥‥‥
冒頭(4秒あたり)、三宅邦子が立ち上がると同時にカットが切り替わる―――この技法のことである。
これによってカットの繋がりがスムーズになり、カット割りを観客に意識させないという、アメリカ映画で洗練され達成された映画技法の代表的なもの。
青山監督は、このアクションつなぎの、前後のカットの同じ動きを2~3コマだぶらせることで生じる官能性(?)を力説し、蓮実先生は小津の映画で人物がやたらに立ったり座ったりするのは、「ありゃあ、アクションつなぎをしたいからですよ!(キリッ)」と、断定しておられた(笑)。
そして、山中作品の一部が上映され、それは宮崎駿も感嘆したという『河内山宗俊』〔1936〕の、―――
以下、『クリエイターズファイル 宮崎駿の世界』(竹書房)より、鈴木敏夫の発言。
‥‥‥この間、宮さんが興奮して僕の所に来たから、何かと思ったら、「鈴木さん、昨日すごい映画見たんだ」って言う。「CATVで久しぶりに映画を観た。『河内山宗俊』」って言うから、「それ山中貞雄でしょ」って言ったら、「え、知ってるの」ってショックな顔をしてました。「いやあれ、有名な映画だから」って言ったら、「途中から観たんだけど、いい映画だった。あれが山中貞雄なのか」って(笑)‥‥‥(22ページ)
―――観たことがあるひとならまず記憶されているだろう、あの雪が降るシーンである↓
↑15歳の原節子!
蓮実先生も青山監督も、このシーンを観ると泣いてしまうと白状し、実際上映後、二人とも涙目であったのは微笑ましいというかなんというか(笑)。
たしかに、素晴らしいシーンなのだ。
この雪は“鳥の胸毛”製で、撮影前日に山中自らが羽根を切り揃えていた―――という、蓮実先生が当時のスタッフの直話を披露し、自分はじんわりと感動。
( ;∀;) イイハナシダナー
最後に蓮実先生、年齢的に人前で喋るのはこれで最後にしたいと述べられ、蓮実重彦のいうことだから真相は闇の中(!)だけれども、貴重な機会だったのかのう、と思った。
‥‥‥
仙台に来たので、仙台といえば牛タンじゃね?というわけで、牛タン専門店に入ってみる。
こういう画像↑は、すごくブログっぽいのう‥‥‥
テールスープはともかく、牛タンと麦飯は自宅でも作れる気がするところに、おれはちょいと納得しかねたのであった。