怠惰なひな菊

漫画家・萩原玲二(はぎわられいじ)の怠惰なブログ(2006~2019)

トウキョウソナタ

2009-01-27 00:59:11 | 映画


下高井戸シネマで黒沢清の『トウキョウソナタ』〔2008〕を観る。
大傑作。

麻雀にたとえるなら(?)、ずっとヤクマンか一色手、妥協してもホンイツしか狙わなかった打ち手が、突然メンタンピン三色をツモアガって優勝したような作品である(??)。
ようするに、黒沢映画未体験の一般大衆にこそ薦めたい、つーか首根っこつかまえて映画館に放り込みたい、そういう実にまっとうで倫理的な傑作ということである。

以下、褒めちぎります(笑)。

―――
深刻な悲劇が、透明な喜劇として造形される気持ち良さ。
今の日本の加速度的景気悪化を予見したような、不気味なリアリティーにも感心しきり。

劇中、カーテンがあちこちで印象的になびいており、その度おれ涙目。
優れた映画監督とは、カーテンを風になびかせるだけで客を泣かせることができる。
その、どこかジョン・フォード風にカーテンがなびくアバンタイトルの、映画の主題を予告するイメージの的確さ。

冒頭の香川照之が失職するまでのプロットの簡潔さ。

小泉今日子と井川遥の、見た目の相似形が意図する演出は、憎すぎる。
マザーコンプレックスですね、わかります。
二人とも、いらっとするほど美しい。
惚れ惚れしまんた。

子供の演出も完璧。
間違いなく、小津の『おはよう』〔1959〕に匹敵する。
次男の井之脇海かわええ。
黒沢清の立派なのは、『アカルイミライ』〔2003〕でもそうだったが、宮崎駿のように言い訳めいた理論武装することなどなく、問答無用に“子供の時間”を祝福するところである。
共感。

津田寛治一家の“オチ”は、山中の『人情紙風船』〔1937〕だろうか。
娘の「残酷な天使」としてのイメージの鮮烈さに、ぞっとする。

役所広司最高、つーか爆笑。
岡本喜八に出てくる三船敏郎のような、陽性の安定感。
小泉とのコンビネーションは、吃驚するほどしっくり。

役所と小泉の、素っ頓狂なラヴシーンの充実こそ、黒沢清の本領だろう。
小泉が夜の水平線に幻視する、光―――死の誘惑(DEATH WISH)は凄い。
小泉は波打ち際に留まり、かろうじて三途の川から帰還する。
役所は誘惑に抗えず、彼岸に去る。

映画史からの引用という点では、『風の中の牝鶏』〔1948〕の階段はやりすぎかもしれないが、戦前の小津っぽかったり、成瀬の『秋立ちぬ』〔1960〕っぽかったり、溝口の『赤線地帯』〔1956〕っぽかったり‥‥‥ムルナウ、フライシャー、フェリーニ、アンゲロプロス、ラストはブレッソンの『ラルジャン』〔1983〕のぶつぎれ感を思い出す‥‥‥

―――
観ていて、次の展開の予想が的中したシーン(!)。

①カラオケ面接のシーン、どこでカットするだろうか‥‥‥歌いだしできったら爆笑だよな‥‥‥ちょwwww

②長男の帰還、なにこの唐突な安っぽい展開、このシーンは夢だったら最高だなあ‥‥‥ちょwwww

なんか、黒沢清に近づけた気がしまんた(笑)。

―――
ユングの指摘した、中年期のアイデンティティ・ クライシスが、作品の中心テーマになっている。
まさにおれの世代、アラウンド・フォーティー(笑)のための映画だろう。

『トウキョウソナタ』は「個性化の過程」を、家族という多面体を透かして描いているのだ。



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