The Beatles - Two Of us (video - Let it Be) - YouTube
たしかにこの三者の活字化された鼎談というのは、宮崎駿原理主義者歴35年の自分でも記憶がない。
高畑・宮崎対談ですら、95年の『耳すま』公開時のキネ旬ムックに載ったものくらいであろうか。
冒頭、互いの新作への注文は、二人の作家としての「個性」をあまりに端的にあらわしていたので、興味深すぎた。
宮崎さんは「ディテール」に、高畑さんは「コンセプト」に言及している。
ようするに、宮崎さんは、漫画家が漫画を描くようにアニメーションを撮っている、いわば塹壕で収束手榴弾を片手に、マークI戦車をいかに撃破するかの戦術を捻り出す鬼軍曹であり、高畑さんは、銃後の図上演習で「啓蒙」という戦略を練り上げる参謀総長というわけである。
この二人の関係をたとえるのに、もっとも相応しいと自分が思えるのは、やはりレノン=マッカートニーのそれである。
『アルプスの少女ハイジ』は『ラバー・ソウル』であり『リボルバー』でもあり、『母をたずねて三千里』と『未来少年コナン』は『サージェント・ペパー』だったり『マジカル・ミステリー・ツアー』だったり『ホワイト・アルバム』だったりしつつ、『赤毛のアン』が『レット・イット・ビー(ゲット・バック・セッション)』という。
『アン』の制作をめぐって二人が決裂、袂を分かったおかげで、われわれは『カリオストロの城』を観れるのだから、これが天の配剤のなんとかであろうか。
解散後のポールへの悪口は峻烈きわまりないのに、他人がポールの悪口をいうのは許せなかったというジョンのBL的?挿話も、その関係性が似ているように思うわけである。
となれば、大塚康生さんはリンゴ、近藤喜文さんがジョージ、鈴木敏夫PDは当然ブライアン・エプスタインということになろう。
エプスタインの(薬物による)事故死によって実質的にビートルズが崩壊したように、ジブリも鈴木さんという強力な「処理家」がいなければ、その巨大さゆえに同じことになったであろうか。
銀行から広告屋からヤクザの対応まで‥‥‥
‥‥‥
鼎談の最後に「天の時、地の利、人の和」の三つがそろったと高畑さんのいう『ハイジ』について、宮崎さんが、
僕も参加したし、他のスタッフも努力したけど、やはりあれは高畑勲が作り上げたものですよ。もっとちゃんと評価されてしかるべきなのに誰も評価していないから、頭に来ているんですよ。
と語っており、そういえばスピリの原作との相違点を詳細に検証したようなテキストを自分は目にしたことがない。
※1/30追記/↑のような寝言を言っておいてなんなのだが、アマゾンを彷徨ったところ『ハイジに会いたい!』という書物を発見し、取り寄せ、読むに、これがかなり決定的な『ハイジ』の副読本であった。
原作とアニメの違いも、丁寧に解説されている。
アマゾンのマケプレの世話になってしまうのはもったいない良書なので、いっそ文春ジブリ文庫で復刊すべきではないのか!とどこぞに注進したい気分!
その大胆な宗教色の排除については面白いテーマのように思うのだが‥‥‥自分はある機会があったときに、「ゼーゼマン家の屋根裏部屋隠し部屋でハイジが見るキリストの絵が(原作では、ルカ伝の「放蕩息子」の絵本の挿絵を見るシーンだったようである)、羊飼いの老人アルムの山を背景にした羊飼いの少女と老賢者に変更された理由は?」と、高畑さんに直接質問したことがあるのだった。
しかし高畑さんとしては、それほど深い意味はなかったような受け答えで「スタッフも反対しなかったしー」みたいな感じで、なるほどさもありなん‥‥‥だったのであった。
‥‥‥
『本へのとびら――岩波少年文庫を語る』での宮崎さんの『ハイジ』紹介の感動的文章。
ぼくらがまだ若くて、たぶんあなたが生まれるずっと前に、ぼくらはこの本を原作に52本のテレビアニメを作りました。ぼくらの先頭にいたのは、ひとりの若い演出家でした。もちろん今はおじいさんになっていますが、その人が有名なわりにあまり読まれなくなっていた原作に新しい息吹を吹きこんだのです。
アニメより原作を本で読んだ方がいいという人がいます。ぼくも半分位そう思っていますが、この作品はちがうと思っています。見、読みくらべてみて下さい。ぼくらはいい仕事をしたと、今でも誇りに思っています。
![]() | 文藝春秋 2014年 02月号 [雑誌] |
スタジオジブリ30年目の初鼎談 高畑勲/宮崎駿/鈴木敏夫 | |
文藝春秋 |
たしかにこの三者の活字化された鼎談というのは、宮崎駿原理主義者歴35年の自分でも記憶がない。
高畑・宮崎対談ですら、95年の『耳すま』公開時のキネ旬ムックに載ったものくらいであろうか。
冒頭、互いの新作への注文は、二人の作家としての「個性」をあまりに端的にあらわしていたので、興味深すぎた。
宮崎さんは「ディテール」に、高畑さんは「コンセプト」に言及している。
ようするに、宮崎さんは、漫画家が漫画を描くようにアニメーションを撮っている、いわば塹壕で収束手榴弾を片手に、マークI戦車をいかに撃破するかの戦術を捻り出す鬼軍曹であり、高畑さんは、銃後の図上演習で「啓蒙」という戦略を練り上げる参謀総長というわけである。
この二人の関係をたとえるのに、もっとも相応しいと自分が思えるのは、やはりレノン=マッカートニーのそれである。
『アルプスの少女ハイジ』は『ラバー・ソウル』であり『リボルバー』でもあり、『母をたずねて三千里』と『未来少年コナン』は『サージェント・ペパー』だったり『マジカル・ミステリー・ツアー』だったり『ホワイト・アルバム』だったりしつつ、『赤毛のアン』が『レット・イット・ビー(ゲット・バック・セッション)』という。
『アン』の制作をめぐって二人が決裂、袂を分かったおかげで、われわれは『カリオストロの城』を観れるのだから、これが天の配剤のなんとかであろうか。
解散後のポールへの悪口は峻烈きわまりないのに、他人がポールの悪口をいうのは許せなかったというジョンのBL的?挿話も、その関係性が似ているように思うわけである。
となれば、大塚康生さんはリンゴ、近藤喜文さんがジョージ、鈴木敏夫PDは当然ブライアン・エプスタインということになろう。
エプスタインの(薬物による)事故死によって実質的にビートルズが崩壊したように、ジブリも鈴木さんという強力な「処理家」がいなければ、その巨大さゆえに同じことになったであろうか。
銀行から広告屋からヤクザの対応まで‥‥‥
‥‥‥
鼎談の最後に「天の時、地の利、人の和」の三つがそろったと高畑さんのいう『ハイジ』について、宮崎さんが、
僕も参加したし、他のスタッフも努力したけど、やはりあれは高畑勲が作り上げたものですよ。もっとちゃんと評価されてしかるべきなのに誰も評価していないから、頭に来ているんですよ。
と語っており、そういえばスピリの原作との相違点を詳細に検証したようなテキストを自分は目にしたことがない。
※1/30追記/↑のような寝言を言っておいてなんなのだが、アマゾンを彷徨ったところ『ハイジに会いたい!』という書物を発見し、取り寄せ、読むに、これがかなり決定的な『ハイジ』の副読本であった。
原作とアニメの違いも、丁寧に解説されている。
アマゾンのマケプレの世話になってしまうのはもったいない良書なので、いっそ文春ジブリ文庫で復刊すべきではないのか!とどこぞに注進したい気分!
![]() | ハイジに会いたい!―物語の背景とスイスアルプスへの旅 |
2006/07 | |
三修社 |
その大胆な宗教色の排除については面白いテーマのように思うのだが‥‥‥自分はある機会があったときに、「ゼーゼマン家の
しかし高畑さんとしては、それほど深い意味はなかったような受け答えで「スタッフも反対しなかったしー」みたいな感じで、なるほどさもありなん‥‥‥だったのであった。
‥‥‥
『本へのとびら――岩波少年文庫を語る』での宮崎さんの『ハイジ』紹介の感動的文章。
ぼくらがまだ若くて、たぶんあなたが生まれるずっと前に、ぼくらはこの本を原作に52本のテレビアニメを作りました。ぼくらの先頭にいたのは、ひとりの若い演出家でした。もちろん今はおじいさんになっていますが、その人が有名なわりにあまり読まれなくなっていた原作に新しい息吹を吹きこんだのです。
アニメより原作を本で読んだ方がいいという人がいます。ぼくも半分位そう思っていますが、この作品はちがうと思っています。見、読みくらべてみて下さい。ぼくらはいい仕事をしたと、今でも誇りに思っています。
![]() | 宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち (キネマ旬報臨時増刊7月16日号) |
1995年 | |
キネマ旬報社 |
![]() | ハイジ (福音館古典童話シリーズ (13)) |
原書の見事なさし絵を復刻した、古典中の古典の決定版 | |
福音館書店 |