わんこお嬢さまとの日々、その他諸々

わんこは5歳になりました。子供の頃にあんまり抱っこしてなかったから?なのか、スキンシップを嫌がります( ;∀;)

ドラえもん募金ってさ

2008-06-15 | BCC
とっても疑問なんだけど。
だって、「NTTの固定電話に限る」なんだぜ???

これって、NTT加入者以外は募金するなってこと????

そりゃ募金の手段は色々あるから些細なことかもしれないけど、
でも、世の中に募金を求める側として、こーゆー制限かけちゃいかんだろとおもうんだが、如何?

「中三英語スピーキング調査」

2007-05-08 | BCC
4月14日付、産経です。

興味深かったのが「小学校時代に英語を学んだ生徒より、学ばなかった生徒の方が成績が良かった」という一文。
「文科省は『サンプル数が少なく、試験もスピーキングだけ』として、小学校での英語学習との因果関係については判断を避けた」のだそう。
1090人というサンプル数が多いのか少ないのか…

早期英語教育是非論議に一石投じちゃったりする???この結果…

だからさ、言ったじゃん(←何気に自慢げ???(笑))
小学校の英語って、そんなに効果ないよって。
論功行賞、じゃあ仕方ないのかねぇ…ご参照くだしゃんせm(_ _)m)

話せるようになるのって一番最後だもん、他言語習得過程において。
今回の試験の設問の一つ
「好きな季節と理由、その季節に何をしたいか」と一分間でスピーチせよ」
なんて、レベル高すぎ。
最も昨今の中学生じゃ、日本語でも話せなかったりして…?
語彙がかなり増えて、文法もしっかり理解していないと無理。
日常会話は慣用句の羅列でも何とかなるけどね。

文科省って、こういう英語を身に付けさせたい訳なのかね。
だったらやっぱりイマージョン教育導入してみる?
ちゃんとバイリンガルにはなるよ!(^^)

全国高校生英語ディベート大会

2006-12-22 | BCC
っていうのの、第一回大会が今月の16、17日に開かれたらしく
な、なんと暁秀バイリンガルチームが栄えある最初の優勝校になったとさ!!
おめでとう~~~!
17都府県38校52チームの頂点ですからね、こりゃやっぱり凄いことです。
帰国子女参加可だったらしいけど、どの高校も似たり寄ったりの事情だろうから、素直に喜んでます
Diploma Program のTOK(Theory of Knowledge)の本質はそれこそディベートだ!と何とか先生が言ってたし、まさに本領発揮してくれたのだね。
それにしてもこの記事が載ったのが地方紙一紙…
その上、高校名のみでバイリンガルコースには一切触れず…
世界大会が来年の7月だというんだが、そこで目覚しい活躍をして初めて取り上げてもらえるんだろうか……

メゲずに頑張れ!!
(メゲているのは私だけ…?

誤解を生む表現だったので、ちょいと変更しました。
曉秀チームには何の落ち度もないんで、そこんとこよろしく♪(19年2月22日追記)

過去物発掘中…(^_^;

2006-11-19 | BCC
2001年1月に某局のウェークアップという番組で暁秀が紹介された時に書いたものです。かなりキレております(笑)。
思えば、メディアで取り上げられる度に腹立てていました…。
白髪が増えたのはその所為???←ほぼ確信している
でもさぁ、世の中の英語教育に対する認識って今もほとんど変わってなくね??


かくて白髪は増え続けるのであった…

では、どんぞ。


 およそ3分間の放送で一体何がわかってもらえるのだろう。
 あまり期待はしていなかったし、今まで何度となくメディアの取材があったがどれも珍しい英語教育の紹介に留まっていたから、あんなもんだろうとは思う。
 しかしいい加減で「小学生が英語を話している!」的な切り口の取材は、暁秀に関してはやめて欲しい。この四月からは一期生が高校生になるのだ。(注:2006年11月現在、一期生は20~21歳の立派な大人でございます)
 どの新聞、テレビ局でもいい。追跡取材をしてくれないだろうか。
 思春期に差し掛かり、バイリンガルコースの子供達が何を考え、何に迷い、この教育から何を学び何を失ったと思っているのか、にスポットを当ててバイリンガル教育を考えて欲しい。でないと何時までたっても「危険性」ばかりが強調され、「自国の文化、言語を大切にしてこその国際化」論調に楔を打ち込む事は出来ないだろう。

 内容についてはともかく、VTR後のコメンテーターの発言にははっきり言ってがっかりした。多少の反論をしたいと思うので以下に発言を再現する。(敬称略)
<ロバートソン>
 日本語と英語は発想法が丸逆なんですね。日本語は周囲から言ってって、主語なんか言わないことが往々にしてあるけれども、英語は全く逆で、主語から発していく文法でしょう。そうするとね、頭の中で日本語と英語を言う時にこれがすごく時間がかかる。だから今簡単に子供にバイリンガル教育なんて言ってますけど、あれは非常に犠牲を強いる事でありまして、実は両方ともいい加減になってしまう危険性がとても多いんですね。もう国際化とかバイリンガル教育という事は非常に血を流す事を要求されます。これは私、自分の子供ふたりバイリンガルに育てるので非常にその経験が身にしみているわけなんですけど、そういう危険性があるという事を前もってきちっと承知してやっていただきたい。
<藤本>
 お母さんでその危険性を感じるんだからこういう集団ではもの凄く危険だと。
<桂>
 そういう意味では中国語の方が。
<ロバートソン>
 ええ、語順が同じですから。漢文やったらわかるように。
―― 中略 ――
 
<桂>
 企業戦士としては、そういうことが、国際企業としては求められているという事のようでございますけれども、その半面で、ロバートソンさんから大変指摘があったように、血を流す事でもあるというところですね。自国の文化、言語というものをもっと大切にするというのも、国際化に近づくことと思うんですけれども、どうでしょうか。

 ロバートソンさんが「血を流す」とか「犠牲を強いる」といった言葉で何をおっしゃりたいかはよく判る。でももっと他に言葉はなかったのか。
 (後日談だが、彼女はお子さん達にハイレベルな語学力を望まれたとか。期待度の差ということかな

 彼女に比べたらちっぽけな体験だが私も4年という月日を外国で過ごした。子供達が母国語でない英語というものを習得する過程をつぶさに見てきた。
 よく言われる「子供はあっという間に英語覚えちゃうでしょう」は余りに楽観的過ぎる。大人より早く覚えるのは「子供の英語」だからだ。子供は子供なりに大変な思いをする。
 それでも、永住する為の渡米ではなかったからこそ限られた時間の中で出来るだけ「アメリカ」を吸収しよう、子供達にも吸収させようと思った。だから私は自分も含めて英語の習得に重点を置いた。
 日本語は「読み、書き、そろばん」の基本ができていればいいと思った。(先日「国家の品格」の著者、藤田氏が現在の日本の教育についてちょっと論評した時に同じことを言っていて、「ほらぁ、私ってばずっと前から言ってたじゃん?」と感動!!帰国してしまえばそこでは当然のことながら日本語が溢れている。
 私は「血を流した」だろうか。
 子供達に「犠牲を強いた」だろうか。
 子供をどういう「バイリンガル」にするか、求めるものがロバートソンさんとは違っていたから私は血を流さずに、犠牲を強いらずに済んだのだろうか。

 日本語と英語の「両方がいい加減になってしまう危険性」とはもう何年も一緒にいる。でも同じ年数、いい加減にならないように頑張っている。
 思惑やら差し障り(笑)やら色々あって客観的な数値こそ出てこないが、イマージョン/バイリンガルコースの生徒達が挙げてきた成果について是非学校に問い合わせて欲しい。
 暁秀中学では例年正月に百人一首のカルタ大会が催される。バイリンガルコースは今年初めて中一から中三まで(各一クラス)の全学年が揃った。全13クラス、一クラスから3~4チームが出場するが、表彰対象の5チームの内残念ながら優勝は逃したが残り4チームは全てバイリンガルクラスチームだった。ゲームはゲームである。けれど取り組み方も含めて、これも彼らの挙げた一つの成果と思ってもらえないだろうか。

 今私が子供に望む「バイリンガル」は、学校なり職場なりの彼らが必要とする場面で日本語でも英語でも自分の考えを表現できる、というものだ。
 日常会話で済む場合もあるだろう。ビジネス英語を駆使する子もいるかもしれない。大学や研究室で専門的な語彙を要求されることも考えられる。
 それぞれの場面で必要とされる英語のレベルは違うし個人個人の能力にも差があるのが当然だが、どんな英語だって黙っていては手に入らない。
 1日24時間、学校で過ごす7~8時間の内の3~4時間英語漬けになったからといってすぐにバイリンガルになれるもんでもない。
 (バイリンガルコースで)英語をマスターする事は日本人としてのアイデンティを失うことだ、なんて言った人がいるが冗談じゃない。他国へ永住する人、十年単位で滞在する人の言うことならともかく、家に帰れば日本のテレビ番組を見、日本語でゲームに興じ、友達同士の会話もチャットも日本語、宿題でも出なければ英語の本もほとんど読まないような生活では、失っていくのは英語力のほうだ。だからこそイマージョン/バイリンガルコースのような徹底した英語教育が必要なのだと思う。

 渡部教授のおっしゃる事は正論だ。書く事を疎かにしたら結局英語の上達も遅くなるというのは私の持論でもある。が、有識者がこういう発言をするとすわ小学生にも文法を!と叫ぶ輩がいるのでちょっと困る。
 小学生レベルでは「英語は楽しい!」でいいのだと思う。間違っても今の中学英語を前倒しで教えてなんか欲しくない。テストをして成績をつけるなんてもってのほか。
 極端に言えば文法教育はきちんとした英語でものを書く事を要求される人だけでいいという気がする。聞いて判る語彙はかなりあっても話せる語彙は驚くほど少なく、書くことは使える単語を増やすので、文法をあまりうるさく言わずどんどん書かせて欲しい。語彙の少ないうちは与えられた一文を書くだけでもいい。

 コメントを総括する形で、藤本さん、桂さんがおっしゃった事は一般論に過ぎない。バイリンガルの危険性も、自国の文化、言語を大切にするという話ももっともだと思う。でも暁秀のバイリンガルコースが紹介された後ではやはり素直に受け取れないのは私だけだろうか。
 バイリンガルコースの子供達(一期生は特に)はいつも道なき道を歩いている。高一からはいよいよIB(国際バカロレア)ポリシーに基づいたプログラムがスタートするのだ。どう転ぶか判らない、何が起こるか判らない、そんなリスクにも関わらずバイリンガル教育を受けさせている親にも現に受けている子供達にも今回の特集のような断じ方は悲しい。
 「集団ではもの凄く危険」とは何がどう危険なのか、もっと具体的に話して欲しい。危険にならない為にはどんな方法があるのか教えて欲しい。
 日本の文化、言語を大切にしてもそれを伝える術がなかったらどうして国際化できるのか。

 主役は子供達だ。彼らがこれまで作ってきた道はまっすぐではないだろう。岩だらけのごつごつした道だろう。でも決して一般論で評価されるべきものではない。 過度な賞賛はいらないが、ありのままを見て欲しい。
 道を作りつづける子供達を少なくとも温かい目で見守って欲しい。
 バイリンガル教育の是非を問うならどうか別の場所でお願いしたい。


如何でしたでしょうか。
一般論と判っていても、一期生たちの12年間を完全否定されたようで物凄く悲しくなってくるのですよ、こーゆー論調は。
子供達に会ってもらえば一発で判るんですけどね。
ブログを公開している子も多いですが、ちゃんと「日本語」書いてますけどね。
英語で書いたりもしてますけどね。

なんか結びの言葉が思い浮かばないので、おしまい…

またぞろ…

2006-11-04 | BCC
有識者と呼ばれる方の英語教育否定発言…
今回は旭日中綬章を受けられた小説家のセンセーでございます。
叙勲はおめでとうございまする。
心からお祝い申し上げます。

でもね、
「言葉と向き合い続けてきた身として、英語を重んじる最近の教育論には危機感を抱くという。」(by 記事担当記者)
「外国語を話すために多大なエネルギーを費やせば、日本語は不十分になってしまう。『愛国』を教育基本法に入れるという議論が進んでいるが、日本語が崩れれば『愛国』すら成立しなくなるでしょう」(by ご本人)
には真っ向から反論させていただきます。

言葉は生きている。
「言葉と向き合い続けてきた身」であるならば、気付かない筈はないと思うのだけれど。
確かに乱れてきた部分もあるとは思う。カタカナ英語も略語も誤用も増えた。
携帯メールの絵文字化はもはや象形文字の時代に戻った感さえある。
が、それは「英語を重んじる最近の英語教育論」の所為か?

世代世代でしか通用しない、世代が変われば死語と笑われる言葉は、登場の度に「日本語の乱れ」の象徴として扱われてきたが反面、時代や文化を牽引してきたのではないか。
時代が流れ、世代が変わり、世界中の文化と交流する中で日本語や日本文化が形を変える、それが「生きている」ということではないのか。

変化を是とするか非とするか、そもそも出発点から大きく乖離しているんだな、こーゆー人達とは、多分。
「非」で始める人達はどーしてその「悪の根源」を英語教育に求めるのだろう…?
一番とっつきやすいんだろうか…。

「外国語を話すために多大なエネルギーを費や」しても「日本語が不十分になってしま」わない、わなかったケースをどーして知ろうとしないのか。
調べようともせずに頭から否定する姿勢を腹立たしく思う。
ま、こーゆー人達は、知ったところで素直に前言撤回はしないだろうが…


何度も言うけど、世にいう日本語(国語)の乱れ、劣化は偏に日本語(国語)教育の問題で、(早期)英語教育とは無関係です!!!!!