ミスター八丈島日記

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八丈島子ども食堂をやろうと思った訳 その6

2023年10月16日 19時47分29秒 | 子ども食堂

26歳で八丈島に来るまでには飲食業の様々なことを学び見てやってきました。

予算が一人10万円以上もする銀座の超高級フランス料理店

 

フランス菓子製造

 

老舗高級中華料理店

 

大きな居酒屋や炉端焼きの焼き場

 

地中海料理店

 

ペンションを7か所

 

まあ、飲食店の仕事は食べ物に困らないのは確かです。

洋食 中華 ケーキ 和食と 一通り渡り歩き

手に職を付けた感じで全く畑違いのダイビングをやることになっても

やはり調理師という事で何かと重宝されました。

魚は捌けるし パスタもハンバーグも寿司もちゅか料理もカレーも

いろんなパターンで作ることが出来ます。

 

 

僕は残りの人生今までやってきたことを総合して活かせるものはないかな?と

常日頃思っていました。

 

自分が幼少期 片親で育ち小さな妹の面倒を見ながらご飯を作ったこと

とっても困ったこと。 誰も教えてくれる人も無く オレンジページもクロワッサンもありません。

 

 

 

 

何となく見様見真似? 小学3年生の男子が想像で作るご飯のまずさったらありゃしない・・・(笑)

 

ホットケーキを焼こうと思って フライパンにごま油を使ったこと。

妹からブーブー言われました。

お汁粉を食べたくなって小豆をそのまま鍋で煮たけどぜんぜん煮えなかったこと。

 

肉は焦がすし 野菜は繋がったまま・・・。

 

味噌汁は出汁を取らずに味噌だけ入れていたこと・

 

母親が居ないって 子供二人ではどうしようもありません。

 

おばあちゃんの家は遠いし、電話も掛けられない。

 

誰に聞くことも出来ないで ご飯も硬かったり柔らかかったり。

 

炊飯器も無く釜を火にかけて焦がしたり べしょべしょだったり・・

 

 

 

 

ろくな白ご飯を食べたことがありませんでした。

 

そんな子供が料理に興味を持ったのは 必然です。

 

世の中 家みたいな家庭は沢山あるんだと言う事を 中学生になって初めて知ることになったのです。

 

 

 

 

父親が居ないのが普通の中で うちは母親が居なかったので 洗濯も 風呂も 食事も

父親が夜勤があれば 朝妹を起こして自分たちでご飯を食べ 学校に行っていました。

 

冬はこたつしかなく ストーブは有ったけど 火を入れることは出来ませんでした。

 

 

 

電話は黒電話 ダイヤル回して手を止めた~🎵🎵 の時代です。

 

プッシュフォンもありません テレビはやっとカラーが出たころ

洗濯機は脱水をハンドルで回して絞るタイプで 冷蔵庫は有りません。

昭和34年生まれです。

5歳の時東京オリンピックで 甲州街道を走るアベベを見ました。

 

 

そして38年間八丈島に住んだ俺は ダイビングだけをやってきました。

 

飲食業は もうやるつもりはなかったので 全く興味もなくなって

自分で作るのもめんどくさく 外食のほうが好きになっていました。

 

でも レトルトやカップ麺などは嫌いで お菓子も食べません

ポテチなんて 自分では買ったことありません。

 

 

 

 

お弁当もホントは好きではないです。

 

冷えたご飯は 不味いです。

 

炊き立てあったかご飯がご馳走だって 僕は思います。

 

家は お風呂も薪で炊くヒノキぶろでした。

 

風呂滝が僕の仕事でした。

 

その俺が 何を思ったか ダイビングは引退する!!!って考えたのは 60歳になる少し前の事でした。

 

つづく・・・。

 


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