はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

2月。息子のこと。

2008年02月02日 | 我が家
昨日は2月1日でした。
2月という月は、私にとっては、節目の月のような気がします。
私が生まれたのが2月。
息子が生まれたのも2月。
娘たちの結婚式も2月でした。
そういえば、私の両親の結婚記念日も2月だったなぁ。
そして、もう一つ。
2月1日は、息子の就職記念日でもあります。

息子の高校進学の目的は、”高校を卒業すること”それだけでした。
なので息子の高校生活は、遊び三昧の日々でした。

学校では、勉強も部活もせずに、友達と楽しく過ごし、学校が終わればアルバイト。
高校生活の三年間、学校を休んだは、たったの1日だけ。
高熱を出して、どうしても起きられなかった時だけです。
それだけ学校が好きで、楽しくてたまらなかったようです。

ところが、遅刻はすごかった。
私は朝、敢えて子供たちを起こすことはしなかったので、息子は、”目が覚めたら学校へ行く”というパターンを繰り返し、成績表には1年間で3桁にも及びそうな遅刻の回数が記載され、その回数を数えるのも担任は大変だったろうと思います。
その担任は、息子を『遅刻の帝王』と呼んでいました。
私が、
「朝、きちんと起きて、学校へ行きなさい」
と言うと、
息子は、
「授業に間に合うように行く必要性を感じない。」
と、言います。
息子にとって高校は、内容ではなく「行く」ということだけだったようです。
なので、学校行事があって早く行かなければならない時は、ちゃんと時間に間に合うように起きて出かけて行くのです。

今でも息子は、自分の人生の中で高校時代が一番楽しかったと言います。
そりゃあ、楽しいでしょう。
遊び放題、したい放題。
試験勉強をするでもなくテストを受け、赤点を取れば追試を受けて、ギリギリの線で進級し、卒業までこぎつけたのですから、楽しくて当たり前です。
つらい受験勉強の経験もないのですから。

そんな息子も高校二年の夏を過ぎた頃、突然、
「オレ、大学へ行こうかな。」
と言い出しました。
日大の芸術学部へ行きたいと言うのです。

私も驚きましたけど、その話を担任にしたところ、一笑に付されたとか。
担任に鼻の先で笑われて、息子は意地を見せたようです。
それから、猛勉強を始めました。
息子は、勉強が嫌いなだけで、もともと頭の回転は悪い方ではなかったので、やる気になればそれなりでした。
その学期の成績は、みんながあっと驚くものとなりました。
学年で、ほぼビリ状態を持続していた息子の成績は一気に300番くらい上がり、上位に食い込みました。
それは、それは、担任の先生もびっくりでした。

でも、やる気になったのは、その時期だけ。
「オレは、この集中力を受験まで持続していける自信がない。」
と言い、結局は大学受験はあきらめてしまいました。

そして、息子が選んだ道は劇団でした。
息子は、劇団の面接試験に歌を歌い合格し、高校に通うと同時に劇団にも通うようになりました。
たまにCMの仕事などの話があって、出演料をいただいて帰って来るのですが、放映となると、息子が出る直前の場面でカットされていたり、あまりに遠くに写っているため誰なのか識別できなかったりで、一度も息子がテレビに登場することはありませんでした。
そう言えば、たった一言の台詞で、映画にちょこっとだけ出たことがあったっけ。

劇団に通ううち、息子は
「やっぱり、劇団は自分の進む道とは違う。オレは音楽がやりたい。」
と言い、高校卒業と同時に劇団も辞めてしまいました。

その後、進路をどうするということになり、専門学校へ行くことも勧めたのですが、
「専門学校へ行っても勉強しないで遊んでしまうような気がする。せっかく高い授業料を払ってもらって学校へ行っても、それに見合うような勉強はできないと思うし、金がもったいないから行かない。」
と言います。

たまたま友達が勤めていた早朝のバイトの話があり、ずるずるとその仕事を続けました。
『遅刻の帝王』という異名を取っていた息子が、朝4時には家を出る仕事を遅刻することなく9年間も続けていたのには驚きです。
息子に言わせると、
「仕事は、”時間に間に合わなければならない”という必要性があるから」
だそうです。

その間、音楽活動を続け、東京のライブハウスに出演したり、名古屋・大阪まで出かけて行っては、ライブ活動を続けていました。
東京でのライブ活動は今でも続いていますが。

18歳からそんな生活を続けている息子は、ずっと私の悩みの種でした。
一日も早く定職に付くように言うと、返って来る返事は、
「20歳になってまで、こんなことはしていないから。」
20歳になった時は、
「23歳になるまで」
と言い、23歳になった時は、
「25歳まで」と。
息子はバンドを組んで、いつかはメジャーデビューする!と思っていたようです。

”いつになったら定職についてくれるのだろう”私にとっては、そればかりでした。
その後、私も腹をくくりました。
これで就職しなかったら、家から追い出そうと思い、息子にそれをぶつけました。
何か一つ行動を始めなければ、いつまでたってもそのままの状態が続きそうでした。
「とにかく髪をなんとかしなさい。短く切って、面接用の写真を撮ってきなさい!」
と言う私に、息子も観念したのか、背中まであった金髪の長い髪をバッサリ切りました。
「それでも、まだ長い!」
と私が言うと、なんだかんだと抵抗しつつも、徐々に短くなり、髪も黒く染め、なんとか面接には大丈夫だろうというところまでになりました。

当時は・・今もそうなのかもしれませんが、かなりの就職難でした。
就職浪人はわんさかいて、中途採用も難しい時代でした。
息子がその気になったと言っても、簡単に仕事に就けるとも思えず、私は履歴書を何枚も書くように言いました。
”下手な鉄砲も数打ちゃ当たる”です。
何ヶ月かかっても良いから、何社でも片っぱしから面接を受けるように言いました。
新聞の求人欄を見ては、良さそうなところを切り抜いて息子に渡すのですが、息子は、ああだのこうだのと難癖をつけて、電話することもしません。
いい加減私もキレて、最後には息子も「うるせーよ!」と言い出し、喧嘩になります。

そんなことをしているうちに、息子は
「どうせ働くなら、コンピューター関係の仕事をしたい」
と言い出しました。
でも、コンピューター関係と言っても息子はコンピューターの専門学校を出たわけでもなく、特別な知識を持っているわけでもありません。
そんな息子が、専門分野に就職するのは無理だろうと思いましたが、初めて自分で言い出したことなのでやらせてみようと思いました。

ある日、仕事から帰ると息子が自分で新聞の求人欄の切抜きを持ってきました。
コンピューター関連の仕事の求人でした。
”入社してから教えるから専門知識はなくてもよい”
とそれには書かれていました。
ただし、面接のほかに筆記試験があるとか。
専門的な知識を必要とする筆記試験なら息子には無理です。
電話して聞くように言うと、試験は一般常識だという返事だったようです。

一般常識があるとも思えない息子でしたが、とにかく物はためしで試験を受けてみることにしました。
帰ってきた息子に
「どうだった?」
と聞くと
「とにかく、精一杯やった。全部真剣に考えて答えを出したよ。」
と言いました。

試験の内容は、一般常識と言うより、大人向けの算数だったようです。
当然他にも受験者がいたわけなので、そんな会社に息子が合格するとも思えず、すぐに次の面接先に電話をし、面接に行きました。

別の会社の一次面接に通り、二次試験の日取りの連絡を受けた頃、最初に受けた会社から採用の通知が来ました。
マジ、驚きました。
うれしかったのは間違いないのですが、あの就職難の時代にたった一回の就職試験で、そんなに簡単に採用通知が来てしまったことが驚きでした。

もう一箇所もなかなか良い感触。
さて、どうしよう?ということになり、
「困ったねぇ。どうしようか?うれしい悲鳴だね。」
と私が言うと
「別に、うれしかねぇよ。」
と息子。
息子にしてみれば、仕方なしにする就職わけだから、うれしくはないんだろうけれど。
「せっかくだから、もう一つのところも面接してみたら?」
と言って仕事に出てきました。

その日、家に帰ると息子は、
「どこに勤めるにしても、中に入ってみなければわからない。せっかく採用してくれるっていうからそっちへ行くことにした。」
と言います。
驚いている私に
「もう、『行く』って返事したから。それと、もう一つの会社は断ったから。」
と言います。

あれよあれよと言う間に採用が決まり、あっという間に入社日が来ました。
それが、2月1日なのです。
息子が簡単に採用された会社なので、もしかしたら全員採用だったのかと思ってましたが、その時採用されたのは、息子一人だけだったそうです。
それも、かなりの驚きでした。
苦労を知らないラッキーな子だなと思いました。

長かった息子のフリーターの生活もやっと終止符が打たれました。
私の家族はもちろん、私と同じように心配してくれていた私の弟も主人の妹も喜んでくれました。
それぞれが、息子に「おめでとう!」と言ってくれました。
すると、息子は、
「別にめでたくなんかねぇよ。」
と無愛想に言うのです。
好んで就職したわけではないので、息子にとってはめでたいことでも何でもなかったのでしょう。

初めての就職もいつまで続くだろうかと心配しましたが、先日の風邪ひき以外は休むこともなく、もちろん遅刻もなく、仕事を続けています。

息子はすっかり会社にも慣れ、今では、社内でも大きな顔をしてやっているようです。
そろそろ転職も考え出したようなことをちらちら言っていますが、さすがにもうフリーターには戻らないだろうと思います。
転職するとしても、最初の就職のときのようにラッキーなことにはならないでしょうが、きちんを職を持ってくれれば、それで良いと思っています。
いずれはローンを引き継いでもらうわけなので、できれば今の会社で安定した生活を続けてほしいなというのが、私の本音ですが。


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