よんたまな日々

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お遣いの思い出三つ

2021年05月07日 | 日々徒然
前の記事でも書いたが、商店街の子供だったので大抵の店屋の人と知り合いだったし、よくお遣いに行かされた。

そのお遣いで今でも思い出す痛恨のミス三つ。

まず、一つ目。「チキンラーメン買ってきて。」に「はーい!」と答えて飛び出したものの、チキンラーメンが何か分かってない小学生の私。近所のラーメン屋さんにまっしぐら。「おっちゃん、チキンラーメン頂戴。」「うち、チキンラーメンなくて、普通のラーメンしかないけど、それでいい?」よくわからないまま、うんうん頷く自分。持ってきた100円玉出したら、「全然足らんけどツケといてあげるわ。」何か大人の言葉に致命的なミスをした不安を感じながら、出てきたラーメン丼ぶりを岡持ちに入れてもらい、うんうん言いながらうちまで持ち帰りました。それを見た母がしばらく絶句したのち、「あんた!何してんの?それ、今から食べなさい!」母の勢いに自分がなにしたのかもわからないまま、空腹じゃないお腹に無理矢理ラーメンを流し込みました。母は近所のラーメン屋に足りなかったお金を払いに行き、八百屋でチキンラーメンを買って戻って来ました。「チキンラーメンはこれよ!よう、覚えておき!」
それでも泣きながら食べたラーメンはやっぱりうまかったなー。

二つ目。「米屋さんで米糠貰って来て〜」
同じく「はーい」と飛び出して行ったものの、米屋の前で金貰ってないことに気がついて、「米屋に入る前に気がついた自分、偉い。」と思いながら、うちに戻って「お母さん、お金!」って家の前で叫んだら、「何言ってんの、米糠なんてタダでくれるわよ。」と突き放されました。ふくれっ面で米屋に戻り、本当にタダで貰いましたが、今思うと母さん不親切です。米糠タダなのは一言説明あってもいいと思う。
ちなみに米糠はその年に取れた大根を干しておいて年末に漬物にするのに使います。正月七日頃に新漬けとしてまだイ辛い沢庵が食卓に並びました。

最後は中学生になってから。郵便切手がなくなったので買って来てくれと言われて、自転車で飛び出しました。ところがそれまで役場の隣だった郵便局が無くなっていました。シャッターのしまった無情な入口に途方にくれたあと、うち帰って地図見て探そうととぼとぼ帰ってきました。うちに帰って入ろうとしたら、店に立っていた父親に、「お前はアホか!郵便局引っ越したのなんで知らんのじゃ。閉まってたら、そこら辺の人捕まえて郵便局どこですか?って聞く甲斐性もないのか。」と叱られました。悔し涙流しながら、役場に行って、窓口の人に聞いたら、地図を渡してくれました。

お遣い痛恨のミス、三つ書きましたが、この歳になって振り返って見ると、酷いのはうちの親じゃんって話でした。書くまで、つまり五十路になるまで、息子の自分のデキが悪い話だと思ってました。

昭和の親ってこんな感じでしたよね?
うちの父は怒ると言葉より先に拳骨飛びました。今なら児童虐待だ。武田鉄矢の「故郷未だ忘れ難く」で歌われている内容は単なる事実でしたよ。
書いているうちに未舗装の砂利道のぬかるんだ足触りとか、ドブ川の臭いとかまで思い出しました。


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