よんたまな日々

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法隆寺の亀

2021年05月08日 | 日々徒然
私は小さい頃から何故か石を投げるのが大好きな子供だった。今日訪問したブログを読んで突然思い出した。

実家のうちの前が、ぎっしりと石を並べた駐車場になっていて、みんなでそこの石を拾っては、その奥のトタン壁の家にぶつけて遊んだ。何個か投げると中からおばちゃんが飛び出してきて、
「やめんか!このくそガキ!」と怒鳴るので、「わーつ!」と悲鳴を上げて逃げた。向かいの家なので正体バレバレなのに、何度もやった記憶がある。今の子供達からすると考えられない悪ガキだったが、それでも地元では大人しくて優しい子と言われていた。今振り返るとワイルド過ぎる時代であった。そして気が弱いいじめられっ子でもあったのだけど、そうすると自分の周囲の悪ガキどんだけ〜と振り返って思った。自分の子供が同じことしたら、虐待と言われても、拳骨飛ばすと思う。

法隆寺の亀に行く前にもう一つ、竹藪に向かって石を投げるのも大好きだった。これは法隆寺の裏山(言い忘れていましたが、実家は法隆寺のすぐ近くにありました。)に登ると深い竹林があり、そこに向かって石を投げると、竹に反射して複雑な経路で飛ぶのがすごく面白かった。中学生になってもまだやっていた。

そしてようやく法隆寺の亀の話。法隆寺の境内、後のありがたい世界遺産も地元の悪ガキには、ただの遊び場でした。境内に二箇所池があり、水面に突き出した岩に亀が甲羅干しをしていました。そして池の周囲には小石がいっぱい。するとやることはただ一つ。亀を目掛けて石を放り込む。
亀が本当に亀の子を散らすようにワラワラと池に逃げ込むのが楽しくて、何度も投げ付けました。

後に中学で郷土研究部に入り、法隆寺の七不思議を調べたら、ここの池は
「聖徳太子が写経していたら蛙の声がうるさくて集中できなかったので、怒った聖徳太子が筆を投げ付けたら、それが蛙の片目には当たった。それ以降、その池には片目の蛙が出るという」という伝説の池であることがわかりました。郷土研究部の活動と称してその池に本当に片目の蛙がいるか見に行きましたが、見つからず、しょうがないので、また亀に石を投げ付けておきました。仏罰よ当らば当たれ。つーか、聖徳太子も同じことやってんじゃん!

大人になって、法隆寺が世界遺産になった時に、例の池を見に行きました。すると、柵と生垣で守られて、池には全く近付けなくなっていました。絶対石をぶつけられなくなった亀が、悠々と甲羅干しをしていました。「つまんな。」と呟いて、かつて悪ガキだった大人は、御本尊には近づかずに引き返すのであった。昭和は遠くなりにけり。


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