曹達記

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ポケスペ剣盾編総括感想3(最終回)-バトルの諸問題と今後の展望

2023-09-18 19:42:00 | ポケスペ
前回の記事はこちら↓

本記事では、バトル面でのポケスペ剣盾編の総括と、全体の結論を記す。

特に今回は、これまでのポケスペのバトルとの比較分析を多用していくので、手厳しい指摘が多くなる。あらかじめご了承いただきたい。


ポケスペにおけるバトルの魅力

ここで自分のスタンスを書いておくと、ポケスペのバトルについては13章以降あまり面白くない状態が続いていると思っている。
無論個別に抜き出せば面白いバトルがないわけでもない。しかしそもそもバトルの件数自体が大幅に減っていて、その少なくなったバトルも今一つなものが多いと自分は思っているのだ。

そもそも「面白いバトル」とは何なのであろうか?
人によって定義が異なることは明白なので、自分の考えるところを示しておくと、ポケスペのバトルにおける面白さは、「図鑑で示される習性・技の組み合わせや独自解釈・展開のどんでん返し」で構築されている。
先に結論から書いておくと、13章以降のバトルにはこれらが欠けがちになっていて、殊に剣盾編ではその欠落が顕著になってしまったと思う。


まず、この3要素について説明したい。
「図鑑で示される習性」については、読者であればほぼ説明不要であろう。
ゲームのタイプや特性では説明しきれない、ポケモンの生物としての習性。例えば「ノズパスは常に北を向いていて振り向くことができない」とか、「ビッパは歯が伸び続けるので定期的に削る必要がある」といった要素である。
これがバトルの要素として組み込まれ、切っ掛けから決着に至るまで様々にちりばめられる。


「技の組み合わせや独自解釈」の代表例は、1章ラストバトルにおけるピカ・ニョロ・フッシーの連携攻撃である。
ニョロの水分とピカの電気エネルギーを組み合わせて雷雲を作り、スタジアム内にもかかわらず雷をフッシーの蔓に落としてリザードンを倒すというのは、説明するまでもないがゲームでは絶対に不可能な連携だ。
しかし、それが成立するだけの説得力は絵から得ることができるし、究極的には「ポケモンだから現実の物理法則も崩せる」という理屈も立つので、作者の想像力次第でいくらでも可能性があるのだ。


「展開のどんでん返し」の代表例は、4章のエントツ山ロープウェイにおけるサファイア対ウシオだ。
アスナを人質に取ったウシオの策略にまんまと嵌まり、ロープウェイという密室の中で水攻めにあうサファイア。
サメハダーの攻撃を必死で交わしたもの、決死の攻撃で歯を折ってもすぐ再生するという絶望的な流れを読者に印象付ける。
そこから折れた歯をサファイアが目で追ってるという前振りを経て、勝ち誇るウシオの台詞を遮る形で折れた歯を活用しての逆転劇が繰り広げられるのである。
「敵の攻撃で絶体絶命→反撃しても効果がない→隙をついて逆転」という、逆転の前に必要な「タメ」がこの戦闘ではきっちり表現されており、読者も「密室の中でどうやって勝つ?→密室そのものを壊せば良いのか!」と気付くし、卑劣なウシオへの怒りを一気に昇華できるカタルシスも得られる。


自分が思う面白いバトルの三要件は、「気付き」に集中している。
つまり、敵の出してくる攻撃に対してどうやって解を見いだし、撃退するのか。
自分が図鑑所有者達と同じ目線に立ち、この解があるんだ!という気付きを得ることが面白さになる。
パズルを解いたときの快感に近いのだと個人的には思う。


近年のポケスペにおけるバトルの問題点

では、近年なぜこれらの要素が欠けがちになってしまったのか。
主な原因は三つ考えられる。


一つは全体の尺不足である。
連載体制が磐石であった時期である4章を比較の基準点として置くと、単純なページ数だけで言っても1400近くあったものが、14章では920程度しかない。
連載期間が短いのと、1ヶ月で書けるページ数が25程度に圧縮されたのが原因だ。
更に原作における登場人間キャラ数も増加の一途をたどっており、出さなければ話が回らない。
こうなると、キャラを生かした展開重視の作劇にならざるを得なくなるし、終盤になればなるほど増えたキャラのドラマ展開に引きずられてバトルを描く余裕がなくなる。
この二重苦の状況では、満足したバトルを描けないのも必然である。
これについては連載枠を拡張する、web連載に移行するなどの手を打つ他ない。だが実際どちらの手もやる気があるようには到底思えず、じり貧がずっと続くことを覚悟せざるを得ない。


次に挙げられるのが、ゲームの演出力向上。
かつての携帯ゲーム機の出力では、デフォルメされた動きと簡略的なアニメーションで色々な表現をしており、漫画やアニメで別の演出をしたところで「メディアの違い」として納得できた。
しかし、現代のゲーム機の出力は比べ物にならないほど向上しており、テレビの大画面を生かした演出もできるようになった。
そうなると、メディアの違いだからといって技の演出を全く違うものにしては、違和感が勝ってしまうケースもある。
演出の違いとして代表的なのが「みがわり」で、現在のゲームでの演出は「みがわり人形が出てくる」というもの。
しかし、ポケスペでは違う解釈を取っており、ピカが使用した際は「分身を生成し自分から離して操ることができる。その分身はバリヤーをすり抜けるし、水を弾くので形状変化させればサーフボードにできる」ということになっている。
赤緑の時代であればこれも許容されたが、近年の新技でもこのような独自解釈で技を出すことが可能だろうか?
少なくとも近年の章では新技についてゲームでの演出に合わせている印象が強い。


最後の一つで、深刻な問題なのは人間の悪役の不足だ。
BWから続く人間キャラ人気の上昇、及び原作における悪人の引き出し不足も相まって、ゲームではSM以降明確な悪役というものが出しにくくなっている。
ポケスペに目を向けると、12章までは悪の組織に幹部が複数存在し、何度も図鑑所有者達の前に立ちはだかることでバトル展開を引き出してきた。
だが、13章では敵対側に立つネームドキャラはヒガナ程度。
14章ではスカル団とエーテル財団が出てくるが、スカル団と図鑑所有者組が何度もぶつかる展開にはならない。エーテル財団もザオボーとルザミーネしか敵にならない。
剣盾編では更に悪化し、エール団員とビートとシーソーコンビがそれぞれ一度悪意をもって戦いを挑んだぐらいしかない。
その代わり、14章と剣盾編では野生ポケモンやヌシとの戦いであるとか、ジム戦でバトルを補っているのだが、後半になればなるほど悪役が不足する傾向なのは変わらない。
13章はまだヒガナとの対決だけでもつページ数だったので、この問題はさほど出てこなかったのだが、14章では後半になればなるほど悪役として使えるキャラがザオボーぐらいになり、ラストバトルであるネクロズマとの決戦が大技を出すだけの簡素なものになってしまった。
さらに剣盾編は最初から悪役が不足していたため、この問題が露骨に出てしまっている。
悪の組織がいないなら、悪人に雇われたという形で悪役を増やすという手もあったはずだが、その方法も取っていない。

原作側の原因として考えられるのが、BWのプラズマ団で形而上的な悪の極致である「ポケモンと人の分離」を描き、XYのフレア団で形而下的な悪の極致である「人とポケモンの無差別殺戮」を描いたことだ。
ここまで悪を徹底すると、もはや何を悪として描いてもスケールダウンになってしまうという懸念があり、それ以降の悪の組織がおしなべて脱力感溢れるものになっていったと考えられる。


では、なぜ人間の悪役が必要であると自分は考えているのか。
主な理由は二つあげられる。

まず、ポケスペ特有のバトルが最大限生きるには、人間同士の技の読みあいが必要不可欠だというのが一つ。
というのも、技を組み合わせたりして追い込む展開を作るのに、その作戦を言語化しておかないと読者に伝わらないからだ。
野生ポケモンとの戦闘でもできないことはないのだが、その思考を言語化するのは主人公サイドだけになってしまい、描写のバランスを危うくさせてしまう。
典型的なのが剣盾編のラストバトルで、ムゲンダイナが何を考えて行動し、それに対してどういう戦術を取ったのかが全てしーちゃんの台詞での説明になってしまっている。
その結果、ひたすら技を出し合うシーンが説明までずっと続くことになり、シーンのメリハリがなくなってしまった。
ダイマックスによる絵面の圧迫も相まって、強調ばかりの絵となって漫画のメリットを殺している。

人間の悪役が必要な理由としてもう一つ挙げておきたいのが、漫画としては展開を盛り上げるために、執拗な悪意を持った敵が必要であるということ。
確かに野生ポケモンであっても悪辣な知性を持つ存在は多く描かれてきたし、中には伝説でもない野生ポケモンでありながら、ボールスイッチ破壊というサカキ並みの芸当をしたものもいた。
しかし、野生ポケモンは言葉を発しない存在であり、悪意は言葉として出てこないし、倒したときのカタルシスはさほどでもない。それがゲームで手持ちに入れているポケモンなら尚更である。
だがそれが人であれば、野生ポケモンと違ってその行動理由は言語化しやすいし、何より「悪いやつを倒した」というカタルシスを得やすい。

プレイヤーが能動的にするゲームなら、別に誰でも戦えればカタルシスを得られるのだが、漫画は読者が能動的に動くものではない。
能動的に動かない読者が漫画を読んで面白く感じるには、まず読者が漫画の登場人物のどれかに感情移入する必要があると考える。
その手っ取り早い手段が、悪人に追い詰められて逆転する様を描くことなのではないだろうか。
これを少なくせざるを得ない状況は、あまり良いとは言いがたいと自分は思う。


剣盾編特有の課題

剣盾編では上記に加え、本章特有の問題がある。
それはダイマックスとジムチャレンジだ。


ダイマックスがポケスペにいかなる問題をもたらすか、については以前解説した(2022年1月ポケスペ剣盾編感想 - 曹達記)ので、概要だけ箇条書きにする。
・大きさを表現するためにコマをぶち抜いて描くと、読者が注意すべきページの印象を散漫にしたりページ数を圧迫したりする。
・技をこっそり出すという選択肢がなくなる。
・使用できる技にも制限があるので、戦術が狭まる。

これらの問題点について、ポケスペ剣盾編は終盤ではダイマックスをあまり使わないことで解決した。
しかしラストバトルでは先述の通り、ムゲンダイナとの決戦でダイマックスを使用せざるを得なくなり、それも相まって戦術に捻りのない単調なバトルシーンとなってしまった。


ジムチャレンジもまた、ポケスペとの食い合わせが大変よくないものであった。
なにせ、衆人環視の元で試合をするのである。相手が技を確認できないようにして行動するというやり方は、成立させづらい。
毎回ポケモンリーグ戦をやっているようなものであり、取れる戦術のネタが切れるのも当然だ。

さらにバトルコートは全ジムで統一されているし、ジムリーダーは挑戦を必ず受けなければいけない。
これまでジム戦を主体で扱ってきた4・7・10章では、なるべくジム戦の展開を同一にしないように、ジムの構造をそれぞれ個性化したり、ジムリーダーの性格を変えたりしてきたが、原作の時点でそれが否定されているのだ。
おまけに、ジムリーダーは全員切り札をダイマックスさせるという「お約束」まで決まってしまった。
ゲームの剣盾におけるジム戦は非常に画一化されたものであり、時にそのお約束を逆手に取った展開も用意されたが、これはゲームとして最大限機能させるための仕掛けでもある。
ところが、これが長編ストーリーを意識した漫画になると、効果が真逆になってしまう。判で押したようなバトル展開を連続させられたところで、読者としてはマンネリを感じ次のページを見たくなくなるだけだ。


こういった問題が組み合わさり、剣盾編のバトルは中盤以降苦しい状態に追い込まれていった。
しーちゃんの手持ち探し関係は割と良いバトルが展開できていたと思うのだが、これは最大でも5回しか設定できない都合上、3年の連載期間では間隔を広めに取るしかなかった。
もう一つメインに置く必要のあったジム戦については、先述した通りポケスペ的には手足をもがれたようなもの。
個人的には二重苦というより、できることの方が少ないバトルだったと言える。

中盤からは陰謀が本格的に描かれ、ジム戦よりも他の戦いを描くチャンスこそあったのだが、そこになるとキャラのドラマを消化するのに手一杯でバトルを描く暇がなく、ムゲンダイナとの対決も意思が出てこないため盛り上がりに欠けていた。
そして終盤はダイマックスもジムチャレンジもやらないことで面白いバトルを少し展開できた(個人的にはマスタード戦が割と良かった)が、やはり野生ポケモンとのバトルが中心になり、台詞のコマが挟みにくくなっていたのが目についた。
ラストバトルの問題点は先述の通り。ただ、ラストバトルに戦術的な捻りがないというのは、それこそ4章以降ずっとついて回っていた問題でもある。
それを補ってきたのが積み重ねてきた敵との因縁であるとか、テーマの帰結といったドラマ面なのだが、ムゲンダイナと図鑑所有者には特段因縁がないし言葉を交わさない。テーマも特にバトルには絡んでない。
なので、戦術的な乏しさとダイマックスによる画の圧迫、さらに野生ポケモンであるがゆえの思考描写の難しさも相まって、自分はラストバトルによくない印象がついてしまった。


バトル軽視の弊害

さて、ここまで剣盾編におけるバトルの問題を指摘してきた。
しかし、ここに来て長い文章を読むレベルの年齢の方であれば、「バトルはストーリーのおまけだし別になくてもよくない?」と思う方も多いかもしれない。
実際、通巻版で追加される書き下ろしの大半はストーリーの補強であって、バトルを追加したのは12章ラストのマギアナ掌編ぐらいだろう。
さらに言えば、ネットでポケスペを話題にしたときに基本的に話し合われるのは、キャラ描写やストーリーのことだけだ。心揺さぶるシーンはそこに置くのが基本だし、仕方ないことである。


だが、自分はあえて主張したい。
バトルをおざなりにしてしまうと、他の部分にも皺寄せが行って漫画として苦しくなる、と。


バトルが作劇にもたらす効果として、比較的短期的なスパンでの盛り上がりをもたらすことができることと、単話のピークを明確にしやすいということが個人的には考えられる。
そして、漫画はその媒体の特質として、長い縦軸のストーリーを展開させやすい。
しかし、縦軸が長いとカタルシスを得にくくなり、1話だけ読んだ人に面白さが伝わらなくなる。
そこでバトルを挟むことにより、短いスパンでも面白さが伝わるようになるのだ。

バトルがもたらす効果はそれだけではない。
後半になってドラマが激しくなっていくと、それだけで事件を大量に描く必要が出てしまい、受動的に読む側としては展開の渋滞で振り回されてしまう。
そこにバトルを挟むことで、読者としては気づきやカタルシスを得て少し一休みできる。
更に言えば、バトルを描くことによってトレーナーやポケモンの心情を深く描くこともできる。トレーナーごとの戦術の特徴も描けて、キャラ描写の強化にも繋がる。
そこに戦術としての巧みさも乗っかってくれば、「面白いバトル」を描きつつドラマ面の補強もできるという一石二鳥の展開ができるのである。

さらに、バトル描写で描けるシンプルかつ重要なことがある。それは「強さ」だ。
いくら台詞の上でチャンピオンであるとかジムリーダーであるとか説明されていても、具体的な強さが描かれないと拍子抜けしてしまう。
ゲームなら戦えば分かる話だが、漫画は戦う描写がないと分からない。
そしてポケスペはバトル漫画でもあるので、キャラごとの強さが話の説得力にも繋がってくる。
「これだけの力があっても敵を倒しきれない」と描写する際に、それまでにそのキャラの強さを描く描写が一つもなかったらどうだろうか?
説得力が大幅に落ちることになるだろう。
そこを防ぐためにも、バトルは少なくとも中盤まではしっかり描く必要があるのである。


だが、バトルを描くのを放棄して事件やそれに振り回される展開をずっと描き続けるとどうなるのか。
短期的な盛り上がりとしてバトル以外の事件を使うのはおかしくないし、それ自体が悪いわけではない。
しかし、それを一つの回でとかく乱発されると「今回はどこに話のピークがあるの?」と感じてしまう。
終盤なら問題はないが、中盤でそれをやられてしまうと、話の進行が駆け足になったように感じ、先行きに不安が生じる。
更に、消化すべき事件を早くこなさなければならない状況になると、事件への反応も疎らになってしまう。
勿論、作劇の手法として反応を省きつつ事件を大量に一気に起こして、その驚きを鑑賞者に与えるもの(例えば「シン・ゴジラ」等)もあるが、それは映像作品向きの手法だ。漫画は読み物なので、一気に事件を起こされると必要な描写がないことの方が気になる。
ならば、描くべき事件を少し減らしてでも、事件に附随するバトルをしっかりと描くことで、話のバランスが良くなるのではないか?


ポケスペは長らく、バトルと長編ストーリーの二本が話の主軸として機能してきた漫画だ。
しかし尺不足でストーリー重視に舵を切らざるを得なくなり、話が終盤になればなるほどバトルがざっくりしたものになっていき、近年は人間の悪役がいないことで倒すことでのカタルシスや因縁も弱まっていくという、バトル漫画として致命的な弱さを抱えるようになった。
そして片方の主軸がうまく回らなくなると、話の進行力をストーリーに頼らざるを得なくなり、満足するストーリーを展開するには尺が余計に不足してしまう。

これは完全なジレンマに陥っていると言わざるを得ないのだが、残念ながら原作での悪役不足が解消される兆しがない以上、連載時は多少ストーリーで描く事件を減らしてでもバトルをしっかり建て直して描いた方が、話をバランス良く進められると自分は考えている。
また、連載後に書き下ろしをする場合であっても、追加ストーリーを展開するだけでは描写が不足する。
登場キャラが以前より増えているので、バトルでの活躍が少ないと、それだけ強さの印象が弱くなるのだ。

ポケスペは確かにストーリーがとても強い漫画であるが、同時にバトル漫画としての性質もある。
だからこそ、連載時は両者のバランスを取って取捨選択をしてほしいし、書き下ろしでストーリーを増強するなら、それ以上にバトルも知略溢れる描写を付け足していかないと、話の進行バランスが非常に悪くなってしまうと思う。


全体としての総括

剣盾編全体としては、縦軸の一貫性は良くできていて、キャラ描写は一部に手抜かりこそあるが概ね良かった、バトルについては基本的に上手く扱えていなかったという総括になる。

特に問題点の多くは4~5巻収録の回で強く出ていたと個人的に感じる。
月1の連載なので、展開が駆け足になっていると不安感がとても強くなったし、単話のピークが見えにくくて読むのが少し辛かった。
ストーリーの大枠やどんな事件が起きるか、などというのは原作プレイ済みの読者からすれば分かりきったことであるし、独自ストーリーを展開しているポケスペからしたらノルマに過ぎない。
なので、そのノルマに振り回されるぐらいなら、割り切ってある程度は描かないとした方が、まだしっかりしたバトル描写と両立できてバランスが良くなると思っている。

また、なまじ原作からキャラを変えられないという縛りをつけてしまったが為に、後半になると悪役不足で自らを追い込んでしまった。
不足する悪役を補うためなら、いっそ最終盤で出てきた王族を単話での悪役で使っても良かったとすら思う。
メディアミックスは原作からの要素も重要だが、それ以前に作品単体として成立するようにしないと意味がない。
縦軸こそ機能していたものの、キャラ描写という面では一部手抜かりが生じた上に、バトルの問題も重なっている。
そのため確かに縦軸は通っているのだが、後半になればなるほどそれ以外の面白さが減じていくというのが本章のキツいところである。

一方の評価点は縦軸の部分と一部キャラ描写で、テーマに基づいた一貫した描写が図鑑所有者達にされていたし、そーちゃんの巧みな設定やビート・ネズ・キバナの話を動かすキャラ付けは一見の価値があると思う。
作家性と原作要素をうまく交えつつ、高いレベルで表現してみせたのはいつもながら感嘆するものだし、そこは読む価値があると言えるものだ。


個人的な思いを言うなら、原作の補完としての役割は、「薄明の翼」等のweb展開されるオリジナルアニメや、ソーシャルゲームのポケモンマスターズEX(以下ポケマス)に任せてしまって、逆にそれらより圧倒的に勝る部分を磨くしかないと考えている。

それがバトルなのだ。

ポケマスをプレイした人なら分かるだろうが、ストーリーは原作で描かれたことの補完や後付けが良くできているものの、バトル描写はソシャゲである都合上本当にあっさりしている。
対して、ポケスペはストーリーを出すスピードでは負けていても、バトル描写に関しては比べ物にならないぐらい上だ。
また、原作から大きく外れたキャラ付けもポケマスにはできないが、ポケスペならできる。

原作ストーリーをそのままコミカライズするとは一言も言ってないのだから、原作からの本歌取りを必要な分だけしつつ先生方独自の味付けをして、バトル描写をしっかりやっていけば、少なくとも現行メディアミックス群の中で埋没せずに生き残れると思うのだが、どうだろうか。


最後になるが、この総括感想は連載対象年齢から外れた大人の視点によるものである。
なので、本来の読者層はどう考えているのかは全く分からないし、実際に読んだ感想は貴方だけのものである。
自分はあくまで大人気ない感想を書いているだけであり、無価値であることを付け加えて、総括感想の筆を置かせていただく。
SV編も引き続き楽しみにしたい。


記事をお読みいただきありがとうございました。
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