(電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなわたしのせいなのよ)
子供時代、そんな文句が流行ったのを覚えています。
それに、こんな歌もありましたっけ。
♪誰のせいでもありゃしない/みんなオイラが悪いのさ
合気道で、
最近よく、こう自分に言い聞かせるようになりました。
/仕事がうまくいなかったら、稽古の仕方が悪いのさ。
/家族関係が思うに任せなかったら、稽古の仕方が間違っている。
/酒の二日酔いが続き仕事に影響が出たら、稽古の仕方が違っている。
/ストレスが溜まってイライラしたら
/自動車をぶつけてしまったら
/恋人にふられてしまったら
/会社の経営が思わしくいかなかったら・・
みんな、稽古の仕方が悪いのよ。
合気道の稽古はいわば、実験室。
養われた力を発揮する舞台は、仕事や日常の人間関係など、暮らし。
つまり、生き方全般が射程です。
「正面打ち一教肘抑え」で、たとえ相手が筋肉隆々の大男でも、
スムーズに技が掛からなくなったら・・・
気剣体一致の受けに問題があるのか、
接点で争ってしまったのか、入り身が不足しているのか、
それとも、
相手の肩や顎への三角形のイメージが疎かになったからか、
下半身のゆるみや、体軸に問題があるのか・・
考え得るポイントをチェックし、修正していくほかありません。
修正しつつ、同じ誤りを起こさないため、術理の上で何が欠落していた
のかを見極め、他の技でも「課題」としてフィードバックし、
書き換えしなければなりません。
・・ですよね。
いってみれば「科学の実験」と同じです。
何を実験するのか、
自分なりの課題を設定して稽古に臨むのと、なんとなく漫然と臨むのとでは
大きな差があります。
手順と仮説と検証、書き換え・・
稽古も、初心者はまず技の形を覚えることに終始するものですが、
黒帯にでもなれば、稽古の仕方自体を工夫していくほかありません。
実は、
一つの術理の理解にしても、想像以上に「勘違い」「思い込み」
が多く紛れ込むことを、体験的に思い返しています。
それに、
わからないレベルを学ぶのですから、頭で考えすぎて「下手な考え休むに似たり」
状態にもなりかねません。
繰り返しやって(身に付ける)ことが稽古の主眼ですから。
いわばそれだけ、
多層的なものを統合しなければ、技はかからないというわけです。
もしも、
二日酔いで仕事を失敗することが繰り返されたならば、
単に、酒の呑みすぎから二日酔いになったのか、
日本酒やワインを交えてしまった体質との相性が悪いのか。
そうではなく、
仕事のストレスを抱えた心身のコンディションのせいだったのか。
それとも、
楽しく酔うという、酒に臨む心構え自体を失念していたからか。
あるいは、
未知の病が隠されているのか。
検証と新たな仮説、書き換え・・をしないと、致命的な事態にもなりかねません。
一事が万事、
稽古の仕方がいかに肝心なことか、と身震いする思いです。
酒杯を手にとりながら、
(気剣体一致)(酒とのつながり)(接触と変化)
(入り身して口腔で味わい)
(天の気・地の力)で胃の腑に落とし込む・・
秋の夜長、
そんな妄想を愉しみつつ、熱燗を味わうことにしましょう。
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