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52  「天地人合一」・・って?

2019-03-24 | 日記
「天地人合一」・・
稽古で、「気剣体一致」と共に、呪文のように刷り込んできた文句。
フツーの熟年オヤジには当初、「起立、礼、着席」のようにしか
聞こえていなかった言葉です。
その後、
武道に限らず、身体運用の基本となる「体軸を通す意識」
・・なわけね、とわかりましたが、それ以上深く考えたことはありません。

それが今なぜか、「天地人合一」が気になるんですよね。
それも、道場の中だけでなく、フツーに生きていくうえで。
なぜなんでしょう。

思想哲学の難しい側面はさておき、
合気道をやる際や日頃の身体感覚として、どうでしょう。

私が勝手に思い描く「天地人合一」のイメージは、
単に、背骨や体幹などの構造体としての中心軸や姿勢にとどまらず、
それらのさらに「芯」であるような、(チクワの穴)のような、
あるいは、エネルギーの流路となる(透明なパイプ)を想像してみます。


パイプを流れるエネルギーは、重力であったり、
雷のような電気的なエネルギーだったり、さらにいえば、
いわゆる(気を通す)の「気」であったり、つまりは巨大な自然エネルギー群です。
つまり、自分のチカラではありません。
自然エネルギーは、そのままでは取り扱いも難しく、
かえって体に負荷をかけ、腰や間接を壊す恐れがあります。
制御するのが大変です。
稽古で「天の気、地のチカラ」というイメージで教わるように、
落下エネルギーを胸や膝のゆるみなどで丹田に取り込み、
地面からの反作用を含めて、爪先から足腰、体幹から指先へ、
さらに、接点を通して相手へと流し、崩す・・・
相手とのつながりの術理「合気」は、
相手に反応させずにエネルギーを通し、相手の軸を崩すための接合術というわけです。
・・な~んて、ぼんやりとイメージしています。
(背伸びして考えてみても、こんくらいかな・・)


ちなみに、NHKで、
柔道の「内股」の達人を解析した番組を見ました。
相手の重心直下へ飛び込み、相手の身体を浮かせ跳ね上げる際、
4~500キログラム・・という体重の数倍もの荷重を上方に
生じさせているとのこと。「天の気・地のチカラ」に改めて驚かされます。
しかも、
当の達人たちは、「ほとんど力を必要としない」と口を揃えます。
それも、「天の気、地の力」と身体を正確に制御できればのこと。
手足や体幹の筋力は、あくまでパイプの補完役、
電線でいえば、絶縁体(シールド)みたいな役割だというわけです。
むしろ、筋力頼みは、術理を阻害するだけなのでしょう。

まあ、
あくまで勝手な連想であり、稽古を重ねてそれぞれが
身体感覚で確かめるほかありません。
もっとも、
合気道は、相手に反応させずに加わるチカラを重視しますから、
エネルギー自体の放出量よりは、柔らかさや、動きの精度といった
「量より質」が肝心かもしれません。

それにしても、
普段の私たちは、筋力頼みの意識がなかなか抜けず、
天地人合一のパイプが目詰まりがちな案配です。
もとよりそれは、身体のことだけに限らず、
脳の中の「小人くん」にもあてはまりますから、
思考や感覚のうえでも、同様に流路の整備不良に
なっているのだと感じます。
人生ではむしろ、このことがもったいなくてなりません。
日頃の立ち歩きから、普段の思考、コミュニケーションに至るまで、
「天地人合一」を心掛けねば。
なにせ、それだけでも、熟年オヤジが合気道をやっている意義がある、
と思う次第。

「天地人合一」、
とりあえず、軸ぶれないよう体やエネルギーを使う、
という意味に解釈していますが、
もっともっと深い意味がありそうですね。