「ほら、顔が突っこんでるよ・・」
・・ああ、幾度、指摘されたことか。
そのたびに、(あ、いかんいかん)と、身体に基本をいいきかせるのですが、
振りかえるとどうも、稽古に積極的になるほど、そうなるようです。
(さあ、身体をつかうぞ)と、
”闘志がみなぎる”ほど、前へ傾斜するのです。
(この、勇み足の起動が曲者なんですね)
思えば、仕事でも、お酒の飲み方でも、
気分が高揚し、闘志がみなぎるほどに、(前向き)に加速する感覚が高まるのです。
ほとんどオートマチックに。
この瞬間何が起きているかといえば、
気持ちがはやる~身体は取り残される~自分が先に崩れる、です。
船は出ていく煙は残る、西と東の泣き別れ・・
まるで、幽体離脱です。
文字通り、前半生は、仕事でも恋愛でも、(前のめりの人生)
だったといえるでしょう。
いや、戦後の日本全体が経済競争に前のめりだったような気がします。
「3丁目の夕日」じゃありませんが、
カローラからクラウンへ、白からダルマへ。オロナミンC飲んで目指せ一軒家。
偏差値、収入とワンランクアップの競争と欲望、そして焦り・・
気持ちばかりがはやり、身体がつんのめったバブルへの急勾配でした。
取り残されたものの一つが肉体ではなかったでしょうか。
一見マッチョな筋肉の下で体に起きたのは、成人病、アトピー、メタボ・・
これまた、幽体離脱です。
(まあ、歴史的には明治期からの筋肉信仰、
パワーとスピードの前傾癖が浸み込んできたわけですが)
普段の言葉遣いでも同じことが生じます。
(俺の気持ちがどうして、わからないんだよ!)
(人のはなしを聞けって!)
(責任者でてこ~い!)
・・的な言葉は、筋肉ムキムキの力任せ、
びゅんびゅん,加速し、前傾してくるのがわかりますよね。
そのとき、(関係性)の中で、何が起きているるかを、
合気道おやりのみなさんは、初歩の初歩ですからよくご承知ですよね。
同じことが起きます。
(あ、いかんいかん。顔が突っこんでる)と、自覚するほかありません。
合気道って、ホント、汎用性高いですね。
今ふと思ったのですが、合気道をはじめたのは、根本的に、
経済活動一辺倒で離脱しかけた心身、幽体をもう一度、
合体させたかったからなのかもしれません。
パソコン打ってる時、買い物で購買意欲ムキムキのとき、
クーッ~とビールグラスを煽ろうとするとき・・
無意識に気持ちが前傾斜して突っこんでいく、そのとき、
ふと、師範の(顔突っこんでるよ~)の声が、聴こえてきます。
一文字腰、一文字腰・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます