突然ですが、
焼き鳥の串,よく見た事あります?
あまりないですよね。
自身も、焼き鳥の具は目にしても、
串そのものをまじまじ見たことはありません。
串を作った方には申し訳ありませんが。
肉や野菜の具をつなぎ、中心を貫いでいる「串」。
合気道の稽古で常に「軸だ軸だ」と言われ続けてきたせいか、
「串」的なるもののイメージが脳みそにこびりついてしまったようです。
串は、ある場合は「軸」と言い、「芯」と呼んでも差支えないでしょう。
毎日の「立つ歩く」でも、頭頂から足裏へスーっと・・
無意識に自分の体軸をチェックしている自分がいます。
周りの人の歩き方を見ていても、随分と軸がよれているなあ、
あれでは疲れるだろうに、と心配になる方もいますし。
一方では、和服姿で凛として歩くご婦人をお見かけすることもあります。
明らかに、体軸がきちんと身についていらっしゃる。
疲れる姿勢と疲れにくい姿勢・・軸がカギです。
合気道をはじめとする武道でいう体の軸については、いうまでもありません。
重力を受け止める身体の物理的な中心軸、脊椎に添った軸は、人体構造の支柱であり、
落下運動の動線であり、
さらには、丹田をターミナルとした呼吸の通り道であり・・
かつ、天と地のエネルギー、気が通る幹線経路・・ですよね。
しかし、
ほろ酔い状態で焼き鳥の串を見ながら、いつしか夢にふけって見たのは
・・・天地に無限に伸びる1本の串でした。
その串に刺し貫かれた「具」は、私自身であり、
素粒子や細胞レベルから、物質の生成変化、人の生き方、
果ては宇宙を悠々と貫いている・・光のような「串」でした。
共振しあう震動体のようにも感じます。
ミクロからマクロまで、エネルギーの串といえるかもしれません。
ちくわの穴が、無ではなく、構造的な支柱であるように。
さらには、遠い先祖から今の私まで、
代々の生命の種をリレーしていく、時系列上の「導線」でもあるかもしれません。
あるいは、
人が集団生活していく場での、「礼」や、信」といった、調和の「串」です。
話を等身大に戻せば、
現代の都会生活は、あまりにノイズが多く、
価値観が錯綜し、真偽も正誤も、何が大切なのかさえ不明分が多く、
ともすれば方向感覚を失いがちです。
心身が軸のない不安定な状態では、いたずらに欲望に振り回され、
エネルギーは拡散され、とても疲れますよね。
その意味でも、
気や軸の感覚を自然に養成する合気道は、
とても汎用性の高い身体技だと、改めて感心している次第。
何より、身体感度が上がってきますから、気持ちがいいし、清々しい。
ひいては、
人間関係を切り結ぶ、いや、コミュニケーションする
うえでの「極北」ともなるはず。
生命活動や人間関係における「活力」、
ものごとの「筋目」ともなり、
社会の道理とも重なり合ってくるように思えます。
言い方を変えれば、軸の感度をあげることは、
自身のGPS感覚、仕事の仕方、人付き合いも、酒の飲み方も・・
いいバランスをもたらしてくれること、請け合います。
シニアになってからそこに気付いたのは惜しい気もするけど、
気づかないまま、ぶれて終わるよりは、「セーフ」ですよね。
せっかくいい頭脳を持ち、恵まれた環境にあっても、
心身の中心軸が歪んでいるのでは、目先の状況に振り回されるだけで、
なんにもなりません。へたをすれば病気になります。
頭で思い悩むことをしばし停止し、
串に刺された等身大の具として、軸の感度をあげていこう!
・・・・
そう、決意を改めたところで、酔いが覚め・・
焼き鳥はすっかり冷えていました。
こんど焼き鳥を食べにいったとき、串をまじまじと見てください。