山が好きで居酒屋をこよなく愛し、有能な(本人若干否定(^^;「上司に嫌がられ女子社員・嘱託とは仲が良かった」)
サラリーマン生活を終えた男リチャード・バサラ氏(仮名)が何故ベトナムで第二の人生を送ることになったのか。
その可憐な出会いと恋の物語
第3話
12月、二度目のベトナム訪問。今度は一人旅だ。
夏に会ったあのベンチを待ち合わせ場所にした。朝8時にヒウさんは、やってきた。私が「さて、どこへ行こうかな」というと、「私の家に来ませんか」という。ちょっとめんどくさい気もしたが、何事も経験、ということで、OKと答えた。
移動中のバスの中で、
「私の父はタクシーの運転手で、母はミシン工場で縫い子をしています。二人とも仕事で、今、家に居ません。それで祖父母の家に行きます。バクニン省です。そこに弟もすんでいます。弟の大学がその近くにありますから」とヒウさんは言った。
バスはハノイ市の東にあるホン河にかかる長い橋を渡って、北方向へと進んで行く。遠すぎるなあと少々心配になってきた頃、バスが停留所についた。
そこは古い4階建ての集合住宅が幾棟か集まっていて、近くに体育大学があり、その学生寮だとわかった。
祖父の家というのは、集合住宅の1階に入った食堂で、屋根は傾き、看板も色あせ、お客は1人もいず、さびれた感じの店だった。
しかし、豪華なお屋敷を自慢そうに見せてもらうより、ありのままの家をこだわりなく見せてもらうほうが、リチャードとしてはうれしいのであります。
祖父、祖母、ヒウさん、弟(私に、会うなりこんにちはとあいさつをした)の4人は、私のために、すぐに昼食の準備をしてくれた。ヒウさんから連絡があり、みんな私の訪問は承知しているようだった。
やがて豪華な五品ほどの料理が並び、白髪の上品なおじいさんがウオッカをさしだした。
ヒウさんが「ロシアに働きに行ってる兄が送ってきたものです」と説明する。私はベトナム語学習2カ月目、シンチャオ(こんにちは)を乱発するだけだった。
おじいさんはベトナム戦争の頃、共産軍の将軍だったそうで、ヒウさんは父よりも尊敬していると言っていた。なるほど聡明な感じの人だった。
昼食の後、午睡をすすめられたが、それはていねいに断ってハノイの町へ戻った。
後に、ヒウさんは、かなり込み入った家族の話をしてくれた。
父には離婚歴がある。別れた前妻との間に子があり、それは前妻が育てている。父は無責任だ。(どうやら父は。尊敬できる祖父からすれば不肖の子という感じでとらえている様子)
母は中国人で、去年里帰りをした。なかなか気が強く、私とよくケンカをする。
兄はロシアで働いているが、なかなかお金がたまらない。だからなかなか帰国できない。2年前同じロシア在住のベトナム人と結婚し子どももできた。
弟は体育の先生になりたいという希望をもっている。
ヒウさんは言う「私は日本に行きたいが、お金がありません。でも、私にお金を出してあげるという日本の老夫婦がいます。昔、お二人でベトナム観光に来られていて、絵葉書を売っていた私を気に入ってくれました。(その時、話は、お互い得意な英語でしました)
ご夫婦は、その後、10回以上ベトナムに来て私に会い、家にも来ました。何百回とEメールでやりとりしました。 ご夫婦は今、留学の費用は出してあげる、学校(専門学校;2年)は私たちの家から通いなさいとまで言ってくれてます」
私は質問しました「里親みたいなものかな。そんなラッキーな話は、他にあるの?」
「数としては本当に少ないですが、あります。アメリカにいった人もいます。そういう援助者を、スポンサーペアレントといいます。私も、日本のその老夫婦に電話や手紙で呼びかける時、おとうさん、おかあさんといいます」
ベトナムの家族、ベトナムの社会、その断面をみるような一日でありました。観光旅行ではなかった。
ヒウ(HIEU)さんには、3日間ハノイの街を案内してもらったが、やはり初日の自宅招待が、強く心に残った。
このことを現在の妻ホアに話すと「よく無事に帰れたね。お酒を飲まされて、寝ている間にお金をとられることもあるのに」と言いました。(アホ、眼力には自信あるわ)
なお、記念にとったヒウさんの写真は、すべてホアによって破られてしまいました。なにかいわれなき悪感情を持っているようです。
ヒウさんとはその後、会うことはなかったが、彼女の日本行きが失敗したことを最後のメールで知りました。
スポンサーになった老夫婦(夫は埼玉県の大学教授)は専門学校にヒウさんの書類を送り、書類審査で入学許可をもらったものの、入国管理事務所の入国許可が下りませんでした。
善意だけでは、身元保証人の資格がないのです。たとえ留学であれ、保証人というのは、日本に帰化しているベトナム人、難民認定されているベトナム人、あるいは日本ベトナム友好協会の里親(日本人)など、公的証明のできる人に限られます。
ヒウさんの無念さが、伝わってきました。
(つづく)
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女性達の表情まで見えるようです。
意外だったのは、風景画。
リチャード画伯は、たいそうなヘンジンで頑固者と思っていたのに、
あれれ、作品は、爽やかで軽やか。
こりゃ、女の子が安心して寄ってくわー。
夕べあの娘が泣いたのも
かわいいあの娘の つぶらな
その目に光る 露のあと
ふむ、この手で彼の地のおなごはんを、、。
あ、いや、品性に問題あるので
やめときます。(^^;
マチスみたいな大胆にして自由な絵を描きたいけど・・
日本の管理教育、サラリーマン生活に慣れちゃって、無理でごわす。
年寄り・子どもにわかるような絵を描いてます。
でも、この絵のおかげで近所の子どもから尊敬されてます。(笑)
ベトナムに来てからの絵は、半分リハビのようなものです。日本にいた時の絵とは、筆致がちがいますわ。
絵が描けるだけ幸せです。(しんみり~)
星は何でも知っている。平尾昌晃、古いですな~
歌いやすいから、カラオケで時々歌いました。
選択肢が多いように。
早速使わせて頂きました。
場違いの写真をつかっているかもしれませんが、
なんとなくこれがいいかな、てな感じで
配置しております。
不都合有ればご指摘下さい、差し換えます。(^^;