始活とはもちろん終活に対しての言葉です。(^^;
世に終活と言う言葉が出だして久しい。
身の回りを整理したり、遺産の配分を心配したり、
葬儀の仕方、遺骨の処理まで希望を書き記すらしい。
ま、身の回りの整理はいいよね。生活の基本だし、気持ちよくなる。(^^;
しかし、葬儀や遺骨の処理なんて心配必要?
希望はしてもいいけど、実際それを行うのは自分ではなく遺族。
自分は手も足も出せない。よしんば希望したとしてもその通り実行されるかどうか分からない。
文句も言えない。(笑)
そんなことは、一切お任せでいいのだ。
実際、今まで何人も送ってきたけど、誰一人として終活をきちっとしていった人は居ない。
残された皆が、困惑しながらもなんとか処理してきた。
それでいいのだ。
世の中は順番。
自分がしてきたように子供たちも同じ事をする。
それでいいでは無いか。(^^;
そんな死後の心配するより、生きている今をもっと楽しくする算段をすべし!
それが始活。
人の怒りは人由来ではあるが、同様に人の幸せも人由来と言える。
台風で窓ガラスが割れると困惑はするが怒りはない。
しかし、誰かが割ったとなると怒りがこみ上げる。
人とはそういうもの。
そして、楽しい事は人と共有したくなるもの。
一人で山の頂上に登って絶景を楽しむのもいいが、
そのとき、同じ景色を楽しめる人が同時に居ればもっと楽しい。
習い事でもなんでも何かを始めると、必然的に人との繋がりが出来る。
新しい人と知り合える。
同好の士との会話は楽しい。
何もしなければ何も始まらない。
とにかく何かを始めよう!
これが、余生と言われる人生を楽しくする唯一の手立て、と思いますねん。(^^;
よくわからんのが、年賀状を止めるという行為。
人との繋がりを自分から断つってどうよ。
面倒臭いから止めるなんてね、そもそも生きる事は面倒臭いものだよ。
それを何とか遣り繰りするのが生きるって事でしょう!
さぁさぁ、今年から年賀状復活させましょうぞ!そこのあなた!(^^;
ん?余計なお世話? はいはい、年寄りの癖でおます。悪しからず(^^;
さて、本日の収穫。
春大根の最後。辛くない!(^^;
私は賛成~(^^♪
ただ 私のは20枚程度ですから言えますけどね
今は主人も100枚足らずになりましたが
以前は約300枚ありましたから PCで
印刷するとは言え 大変でした
ただ 私は年賀状に限らず 短文であれば
書いて送るのは好きですが 字が下手なので
PCで打ってますけどね(;^ω^)
もし 字が達筆だったら なんだかんだ書いて
送るかもしれませんね(;^ω^)
愚石さまの
「そんな死後の心配するより、生きている今をもっと楽しくする算段をすべし!」その通り、大正解!
また墓や葬儀も「実際それを行うのは自分ではなく遺族」これまた明確なお答え!頭の中が整理されます。
年賀状も賛成です、しかしベトナムの郵便局でなハガキの投稿は認められず、封筒に入れなければなりません。そうすると切手代が、去年は35ドルでした、極端な円安です。去年、国民年金機構と学校好厚生会にそれぞれ現況報告を送った時、切手代が、1ドル150円でしたから150x35=4250円、でした。2か所に送るから、8500円ですよ。本当ですよ。
こんなの日本の政治家は知らんふりです。海外の日本人なんか票にならないから。最後に愚痴が出ました、すみません。
そして開き直りました。
コレは個性であると!(^^;
世間一般に上手と言われる基準なんていいのです。
自分は自分の字を書けば。
こう思うと、平気で自筆手紙を書けるようになりました。(^^;
リチャード氏が日本に帰ってこられたときに投函するのです。
当然、時期外れでしょう。
しかし、その事を断っておけばいいのです。
要は、生存証明と年に一度の挨拶をしたいという意思表明です。(^^;
正月に着こうが桜の時期に着こうが、受けとった方は超嬉しいにきまってますがな。(笑)
ただ日本を離れたのが16年前なので、誰に年賀状を出していたか、その住所がどこか、さっぱりわかりません。知っていそうな人に会って聞けばわかるでしょう。10人くらいになるかな、出したい人は。ナイスプランですね、パッと目が覚めたような気分です。
まぁ、住所の分かっている人に共通の知人がいれば、その住所を教えて欲しいと賀状に書いてみるという手は有りますね。とても時間の掛かる作業ではありましょうが。