今日は、昨年無くなった父親の命日。
最近思うのは、後期高齢者の入院治療のこと。
今、振り返って見れば、なんであんなに十分高齢だった人を
無理やり入院させて加療したのか、ということ。
痰を吸引するのでも、あんなに苦しがっていたのに。
経鼻栄養の管を鼻から入れるのは大層苦痛そうだった。
なのにその結果、逆流性肺炎となり直接の死因となった。
最期にいよいよダメというのに大腿部を切り裂いて点滴をした。
とても痛がっていた。
どれもこれも、無駄な抵抗としかいいようのない医療行為だった。
それを指示したのは、この自分。
当時は、入院すればもっと楽になるはずと思ってさせた。
何とか栄養をとれば、また元気になると思っていた。
結果は裏腹なことだった。
「あんな余計なこと、してくれんでも良かったのに」と聞こえてきそうな気がする。
でも、それは今思えること。
悔いるべきは想像力の無さか。
心の準備というものは、平静な時にしておくべきなんだ、と思う。
しかし、あの無くなる前晩に見た今にも落ちそうな大きな星達は一体なんだったんだろう。
あんな大きな近い星を見たのは後にも先にもあの時だけだ。
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