ニュースを見ていたらカンニングが出ていた。
カンニングの中島が「急性リンパ球性白血病」にかかり長期にわたり闘病生活を送ることになったそうだ。
医師は100%治ると言っていると言う。
「お母さんが勤めてた頃は、ホントにセカチューみたい、ううん、セカチュー以上やったかもししれんわぁ。」
母が言った。
母が看護婦として働いていたのは今から20年以上も前。
京都の病院で勤務していたが、先輩に誘われて実家を出て、大阪府立成人病センターというがんや循環器疾患を専門に扱う病院に勤めることになったそうだ。
ご存知の通り、血液のがん、それが白血病である。母の病院でももちろん白血病患者を受け入れていた。
「自分と同い年くらいの若い子がね、死んでいくんよ。」
詳しくは聞いていないが母は白血病の患者を担当していた時期があったらしい。
当時は骨髄バンクもなく、運良く兄弟で一致しても手術の成功率は限りなく低い。
当時の医療はまだまだ未熟で、手術に成功しても、その後感染症などによって多くの患者が死んでいった。
体はどんどん痩せ細っていき、放射線治療のせいで髪は抜け落ち、体は爛れる。
苦しくて、痛くて、つらくて、うめく声。
○号室のAさんも死んだ。○号室のBさんも死んでしまった。
母が勤務している間に助かった白血病患者は、たった一人だったという。
「たった一人よ。何年も勤めてて。それ以外はみんな死んでしまった。くやしいけどね、どうしてやることも出来なかった。ただ一生懸命励まして、出来る限りの処置を施すこと、それがすべてだった。」
夢半ばにして散っていく命を、当時はどうにもこの世にとどめておくことは出来なかった。
祖母がいつかいっていたっけ。
「5月病っていうんかね、『毎日毎日人が死んでいく。みんなやりたいことがたくさんあるのに。でも私にはどうすることも出来へん。耐えられへん。もう京都へ帰りたい。』そんなんいうてきたんよ。」
それでも母は、父と結婚するまでそこで勤務し続けた。
年若い者の死が日常にある。
私にはそれが耐えられるだろうか。
「でもね、やっぱりなれることはできんかったよ。」
かつては不治の病と言われた白血病も近年の医療技術の発展のおかげで、患者の生存率は飛躍的に向上した。
「治るといいね」
そう母が言った。
きっと直るよ。
東京のお笑い芸人あんまよく知らんけど。
カンニング中島、がんばって戻ってこいよ!
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