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二十歳の減点

ここで会ったが100年目!二十歳の原点を求めて、真面目とアホが混在するブログ。

黙祷

2005年01月17日 05時46分51秒 | 二十歳のひとり言
1995年1月17日午前5時46分、多くの命が奪われた阪神淡路大震災が発生してから今年で10年が経ちました。
死者6433名、避難民の数30万以上。
倒れた高速道路、崩れたビル、燃え上がる民家、ブラウン管から見た町の姿はあまりにも信じがたくて、子供心に恐怖心を抱いたことを覚えています。
ちょうど前日(=16日)まで父が神戸に出張だったことも、影響していたのかもしれません。
もし出張が17日に及んでいたら、今の私は恐らくなかったと思います。

*浮き彫りになった問題
震災発生後、3時間以上生き埋めや家屋の下敷きになって生きていた人の数は170人以上いたそうです。
自衛隊が災害救助へ動き出したのは震災発生から4時間後。
自衛隊の出動には、自衛隊法の定めにより地元の自治体からの要請が必要だったため対応が遅れた、当時の村山富市(社民党)首相は語った。
災害時に、当事者の自治体が自衛隊の養成をかけられるほど冷静でいられないことぐらい、用意に想像がつくではないか。
こういうときこそ超法規的措置で、直ちに自衛隊を出動させるべきだったのではないか。
そうすれば170人の命、いやもっと大勢の命は助かっていたのではないのか。
疑問は拭い去れません。
村山氏にとって人命は何より重いのでしょうか。
マスコミのヘリも問題になりました。
ヘリのプロペラの轟音が、かすかに生き延びる人々の声を掻き消してしまうのです。
昨年の新潟中越地震で、生き埋めになった幼い男の子の救出劇の際にも問題になりました。
あの時も、自衛隊員が声が聞こえないからあっちへ行けとヘリに合図を送っていました。
私たちは知る権利があるけれど、人命をないがしろにまでして得てきた情報を、私は知りたくもありません。


*不思議な体験
そう言えばあの朝、不思議な体験をしました。
同じ関西圏にある我が家も、あの地震でかなり揺れました。
私はちょうど風邪を引き、母と二人で寝ていました。
ふと、朝方に目が覚めました。
普段はかなり朝に弱い私が、そんな時間に目覚めるのは不自然なことでした。
「あーなんでこんな時間に起きたんだろ、もう少し寝よう。」そう思って再び眠りにつこうとしたとき、あの地震がおきました。
予知能力と言ってしまうのはおこがましいですが、虫の知らせのようなものが、私の何かに働きかけたのかもしれません。
あれ以降も以前も、そんな経験は一度もありません。
私の住んでいた地域は震度4で、私自身今までにそれよりも大きな規模の地震を経験しているので不思議なのですが、やはり震源地の震度が7と言う爆発的なエネルギーが生じたこと、そして風邪を引いて変な神経が研ぎ澄まされていた結果、何かを感じ取ったのかなぁと思います。

*がんばろう神戸!
今は無きオリックスブルーウェーブのユニフォームに刺繍された言葉。
あの時オリックスだけじゃなく、日本中も神戸を応援していた。
生まれて初めて1000円札を募金した。
小学生には大金だった。
でも何もしてあげられないのがつらくて、同じ日本人が苦しんでいるのがつらくて、自分なりに考えた援助の方法だった。
うちの町では、連日町内放送で神戸の人々への義捐金や食べ物、毛布などを募った。
みんなが、一つになろうとしていた気がした。

あれから10年。
あっという間に月日は流れ私は20歳になった。
神戸の町は震災の傷跡が見えぬほどに、回復していた。
でも、たぶん神戸の人々の心にはまだあのときのキズが残っているんだろうな。
がむしゃらに頑張ってきた元被災者のみなさん、一度ゆっくり休んでください。
そしてまたがんばろう、ね、神戸。

2/7 ハイリスク・ハイリターン

2005年01月16日 15時16分44秒 | 二十歳のひとり言
憲法の問題は7問中2問を選択して回答する形式だそうだ。
7・・・
今回扱ったテーマは・・・

①ガバメント/ガバナンス総論
②国会
③天皇 
④内閣
⑤司法
⑥財政
⑦地方自治

くしくも7つ。
よし、①と⑤は勉強しないでおこう!
折角なのでここで山はり宣言!
国会の項では、43条に絡めて純粋代表と半代表に冠することが問われる。
国会の項では、41条の国権の最高機関についての解釈が問われる。
内閣の項では、たぶん内閣の解散について問われる。
財政の項では、たぶん予算の編成と修正について問われる。

ハイリスク・ハイリターン。
4回くらいしか授業出てないけどAとって見せますよ!



成人式の一日~友達の変貌ぶり~

2005年01月12日 16時03分23秒 | 二十歳のひとり言
だいたいの友達が相変わらずーって感じだったんだけど、変貌してた人もチラホラ。

case1:子持ちor結婚した人。
えぇ!?あんたが親?!!!そう言う人に限って子持ちor結婚してました。
7割は中学時代に不良だった人たち。改心してるかと思いきやそうでもなさそうな雰囲気だったので、あぁこんな人が結婚してろくにしつけもせず、同じような子供が増えていくのか~と思うとなんだか複雑な気分に。小学校の頃まではちょっとやんちゃ好き程度な子だったんだけどね~
めばえ、いい加減的屋なんかで働いてないで、子供のためにもまともな職を探せ。。。
そして3割はぽかーんとしてたカワイイ子達。
中には「5ヶ月続いたのがはじめてたっだから運命だと思って結婚した」とか言うやからも。
まき、それでよかったのか?!

case2:落ちぶれてしまった人
失礼な書き方ごめんなさい。中学時代それなりに勉強できていたのに、大学にいかずフリーターしてたり、中学時代の学力からはもったいなさ過ぎと言うしかないような状態に陥っている人々って意味。
「俺は手違いで公立中学にいるだけだ。大学?医者か東大か京大だ」と言い放っていたアイツは、「俺も落ちぶれたよ・・・」と言って、産近甲龍の某理系学部(not 医学)に通っているとか。
一体高校時代に何があったんだろう。
中学のときめっちゃ賢かった女の子は「親の会社の経営状態が良くなくてさ、借金がかさんでね、大学進学できなかったんだ」と言い、今は某百貨店に勤務しているそう。小泉、救ってやってよ!
個人的には、あのまま普通に勉強してりゃ、どこなとそれなりに名の知れた大学いけるだろうにト思う人に限って、フリーターや専門学校に行って、もう就職と言う感じでした。
でも専門の子とかは、なんだか毎日無意味に大学に通い続けてる私なんかに比べれば、夢に向かって着実な方法をとってそれを実現してきてるので、目的意識をもって生きれてるなぁと感心しますけどね。。。
社会に出たこともないくせいに、大学いかなきゃダメって考えてる自分達は甘いナと考えたり。


case3:ヤリマン(失礼!)になった人々
中学までは普通だったあの子が高校をへて今はヤリマン。。。
「えー男一人じゃ無理やし~こっち(地元)にも一人作ろうかな~」
一体何人と現在進行形なんですか!?
そう言うことが出来る女はすごいと思うけど、彼女たちにとって恋愛とは何か、とても聞きたい。
たぶん、私の定義とは違うっぽい。

case4:失踪した人々。
「○○ちゃんって元気なん?」
「さぁ、知らん。」
「そう言えば週一くらいでメアド変更してたらしいよ。」
「なんか危ないことでもしてたのかな。」

case5:顔が変わってた人々
成長した結果なのか、痩せたのか、化粧なのか、アイプチなのか、はたまた整形なのか。
そう言えば、中学時代にめっちゃ男前でかわいかった男の子が、スキンヘッドにピアスで、なんだかハードゲイちっくになったたのは、今回の最大のショックかもしれない。涙


でもあの頃と一番変わったのは、自分の社会の見方かなっと思った成人式。
高校一つでこうも人間はかわってしまうのでしょうかね。

~成人式の一日~長いですよ。。。

2005年01月12日 15時30分10秒 | 二十歳のひとり言
さて疲れも取れてきたところで稿を改めて成人式のお話の続きを。

ほんとに楽しかったですよ成人式☆
朝6時から美容室へgo-=≡ヘ(* - -)ノ
髪をセットしてもらってるとどうやら成人式らしい女の子が入ってくる。
「あのー予約してた久保ですけど・・・」
久保?どっかで聞き覚えがある・・・「あー!久保ちゃん!!」
って感じで朝っぱらから中学の友達と再会。
中学卒業したっきりあってなかったのでマジで懐かしくて、着付けの間中ずーっと喋ってた(笑)

その後の成人式も再開のラッシュ!うちのまちは人口も5万人くらいで、新成人の数も600ちょい。何より中学が二つしかなかったので、周りはもう知り合いばっか!
ぼーっと突っ立ってると声をかけられるかけられる!そして写真とりまくる!
着物きてるせいかみんなきれいになったように見えました。でも喋るとあの頃のまま(笑)
そこらじゅうで喚起の声が上がってました。笑

そして取り合えず式典の会場へ。もちろん小さな町なので入場できない新成人が発生することもなく全員着席。この頃から「着物しんどい」と早くも着物姿にギブし始める声がちらほら。
かく言う私もしんどかった。紐でぐるぐる巻きにされた上にタオルまで詰められて、袖は長いし、頭はかんざしがちらちらしてるし、席に着くときも着崩れ&帯くずさないように気をつけなきゃいけないし。。。ゲッソリ。
そして来賓のおじ様方の長い話にもゲッソリ。知事・町長・県議会議長・町議会議長・・・だんだん開場もうるさくなってくる。
彼らの話の中にはもちろん選挙の話も含まれていて、自分に投票して欲しそうな話しっぷり。ますますゲッソリ。
そして第一部のお話終了。ほとんど内容を覚えていない始末。苦笑

そして第二部の佐竹雅昭による講演会、題して「人生は戦いだ」
初めは聞こうと思ってましたよ、でもね・・・
佐竹「ではまず僕が空手を始めるに至った話を一時間ほど・・・」
全員「マジかよ( ̄△ ̄;)」
それからどんどん外へ出て行くわ出て行くわ、かくいう私もそそくさと退場。そとで友達と喋りながら写真撮影大会。佐竹さん、ごめん。
そして数十分後
「そろそろ記念撮影があるので開場入りしてください~」と町の職員。
佐竹の話もたけなわのところで、多くの新成人が再び開場入り。開場いっきにうるさくなる。
それでも怒らずに話し続ける佐竹。えらいよ、佐竹。
そして佐竹の話がおわると、聞いてもいなかった中学時代の元不良たちがなぜか佐竹コールを始める。
佐竹コールは瞬く間に開場全体に広がった。でもいい意味での混乱?だったので、暴れて壇上にのぼるアホもおらず、佐竹は「ありがとう!」と言いながら去っていき二部終了。男だね、佐竹。

第三部は写真撮影。小さな町だからできるんだよね。男女にわけて2回ずつ撮影。
もちろん目指すは最前列!着崩れ問答無用でε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=(;-_-)/ゼンリョクダッシュ
一所懸命友達と走ったけど、残念ながら最前列は無理でした。でも二列目の席はゲット!
議員のおっさんたちがどいてくれれば、もっとたくさんの人が前に座れるのに~!
何で君らメインの場所に座ってるのさ?!でもまぁなんだかんだで写真撮影終了。
あの写真いつくれるんだろう?

式典も全部終って記念品のデジタル置き時計と色々収めろよ系の資料をもらい、友と喋り、開場そばのゲーセンでプリクラをとり、帰宅。
やっと着物から開放。。。疲れた。。。

と思ってたら休む間もなく、高校が同じだっためちゃ近所の男の子から折角やからしゃべろうや~とメールが来る。
昼ごはん食べて、その子とおしゃべりに向かう。
・・・田舎ってヤだよねぇ。ちょっと喋るにも喫茶店とかそう言う系の場所がそばにない。
そして二人とも免許持ってない。歩きましたよ、15分ほど。やっと見つけた喫茶店でケーキとキャラメルマキアートを飲みながら3時間くらいおしゃべり。
地元の子がみんな大学行っていない話をしたり、将来の話をしたりしてたらあっという間に時間は過ぎていきました(詳しくは別の記事で。)

それから仲良しの友達と数人でカラオケ&夕食に・・・
ところによっちゃ同窓会開いてくれる町もあるらしいけど、うちの町はそう言うのは一切ありませんでした。気きかせてよね、町。

いのちの現場から

2005年01月07日 02時44分19秒 | 二十歳のひとり言
ニュースを見ていたらカンニングが出ていた。
カンニングの中島が「急性リンパ球性白血病」にかかり長期にわたり闘病生活を送ることになったそうだ。
医師は100%治ると言っていると言う。

「お母さんが勤めてた頃は、ホントにセカチューみたい、ううん、セカチュー以上やったかもししれんわぁ。」
母が言った。
母が看護婦として働いていたのは今から20年以上も前。
京都の病院で勤務していたが、先輩に誘われて実家を出て、大阪府立成人病センターというがんや循環器疾患を専門に扱う病院に勤めることになったそうだ。
ご存知の通り、血液のがん、それが白血病である。母の病院でももちろん白血病患者を受け入れていた。
「自分と同い年くらいの若い子がね、死んでいくんよ。」
詳しくは聞いていないが母は白血病の患者を担当していた時期があったらしい。
当時は骨髄バンクもなく、運良く兄弟で一致しても手術の成功率は限りなく低い。
当時の医療はまだまだ未熟で、手術に成功しても、その後感染症などによって多くの患者が死んでいった。
体はどんどん痩せ細っていき、放射線治療のせいで髪は抜け落ち、体は爛れる。
苦しくて、痛くて、つらくて、うめく声。
○号室のAさんも死んだ。○号室のBさんも死んでしまった。
母が勤務している間に助かった白血病患者は、たった一人だったという。
「たった一人よ。何年も勤めてて。それ以外はみんな死んでしまった。くやしいけどね、どうしてやることも出来なかった。ただ一生懸命励まして、出来る限りの処置を施すこと、それがすべてだった。」
夢半ばにして散っていく命を、当時はどうにもこの世にとどめておくことは出来なかった。

祖母がいつかいっていたっけ。
「5月病っていうんかね、『毎日毎日人が死んでいく。みんなやりたいことがたくさんあるのに。でも私にはどうすることも出来へん。耐えられへん。もう京都へ帰りたい。』そんなんいうてきたんよ。」
それでも母は、父と結婚するまでそこで勤務し続けた。

年若い者の死が日常にある。
私にはそれが耐えられるだろうか。

「でもね、やっぱりなれることはできんかったよ。」

かつては不治の病と言われた白血病も近年の医療技術の発展のおかげで、患者の生存率は飛躍的に向上した。

「治るといいね」
そう母が言った。

きっと直るよ。

東京のお笑い芸人あんまよく知らんけど。
カンニング中島、がんばって戻ってこいよ!

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リーチの語源は麻雀

2005年01月04日 00時16分32秒 | 二十歳のひとり言
我が家ではお正月は必ず花札か麻雀をします。(どんな家だよ・・・)
もちお金はかけませんよ!大事なお年玉を失うようなマネはしません(笑)

で、麻雀の役を書いた表を見てて始めて知ったんですが、リーチって麻雀からきてるんですね。
リーチ【立直】。。。
ずっと英語だと思ってた。まさか中国語だったなんて。
世の中知らない事がいっぱいですね。
今年の初トリビアでした♪

ちなみにgurimasaの麻雀のうでは微妙です・・・
でも花札は強いんですよ!!だてに幼稚園の頃から祖母に鍛えられてたわけじゃないですから
でも「特技は花札です」とかいうとその筋の人と勘違いされそう

M-1グランプリ

2004年12月26日 23時49分35秒 | 二十歳のひとり言
毎年恒例M-1グランプリ。今年も見たよ。
笑い飯だめだでしたね。確かに今日のネタは正直微妙だった。。。
何て言うかな、笑い飯の漫才に新鮮味が感じられなくなったと言うか、飽きちゃったっていうか、それが私の中では敗因かな。
それに引き換え南海キャンディース、面白すぎダヨ!初出場の時の笑い飯に似た感覚だった。
個人的にはアンタッチャブルよりも南海キャンディースに優勝して欲しかった!
でもアンタッチャブルも面白かったしなにより今年で最後のチャンスって言われちゃうと、やっぱアンタッチャブルにせざるを得ないのかもね。
確かに南海キャンディースはまだまだチャンスもあるし。。。
でも、最悪来年あたりに優勝しとかないと、今年の笑い飯のようになってしまう気がする。
余計なお世話かもしれないけど。

あーにしても南海キャンディース面白かった。山ちゃんツッコミ良過ぎだよ!!笑
たしかにあの顔で小さい子供にいたずらはリアル過ぎるよ!!!笑
今後に期待。
そして自分が南海キャンディースのネタに飽きないことにも期待。

ところで、負けた笑い飯は解散しちゃうんでしょうか?これまた今後に期待。ってか不安。
解散はやめて欲しい・・・・