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二十歳の減点

ここで会ったが100年目!二十歳の原点を求めて、真面目とアホが混在するブログ。

転勤族に故郷なんてないっ!

2005年03月19日 00時25分11秒 | 二十歳になるまでのこと
久々にTB練習板にトラックバック。
あなたの故郷?そんなもん無い!!!!!

なにぃ!?あんだけ和歌山が故郷っぽい話をしておきながらぁ!!!!っと思ってる人ごめんなさい。

確かに、流れ流れて最終的に辿りついたのは和歌山
和歌山で過ごしてる時間が一番長いし、今も家族が住んでるし、一番思い入れは強い。

けど、故郷じゃないかなぁ。

だって故郷の定義は・・・

こ‐きょう〔‐キヤウ〕【故郷・古郷】
生まれ育った土地。ふるさと。郷里。「―へ帰る」「第二の―」「生まれ―」


でしょ?

私さ、転勤族だから生まれたと地と育った土地がバラバラなんだよねぇ~

生まれは愛媛県松山市少々のgurimasaは「~けん」って喋ってました。毎日庄屋の娘の家で、リアルおままごとやって遊んぶ。

その後父の仕事の都合で大阪府堺市へ。関西弁に戸惑う。でもなれてバリバリ関西弁になる。幼稚園のころ。そういえば、このころできたての海遊館に遠足で行った。

で、関西弁に慣れたと思ったら、今度は静岡県浜松市へ。関西弁どころか西日本のイントネーションが通じない。何故か語尾に「~だに」をつけて皆が喋っている。かなりビビるも次第に慣れてくる。

で、で、やっと慣れた~と思ってたらお次は新潟県新潟市へ。新潟は結構言葉は普通だった、と思う。私の脳みそがかってにそう思ってるだけかもしれないけど。でもお年寄&校長先生は結構方言がきつかった。
ともあれ、ここである程度標準語を身につける。

で、で、で、やっと和歌山へ。いいかげん引越しに慣れる。校長室での見世物パンダ状態もお手のもの。
東日本イントネーション&なんとなく標準語を身につけいたため、私の発音がテレビアナウンサーのようだともてはやされる。何故か本読みの時間に必ず当てられるようになる。
ぶっちゃけ、大阪で身につけた関西弁は完全に忘れてた。笑

そんで、大学が京都なので京都へやってきたのさ。

だから故郷って言われても、ぴんと来ないんだよね。
関西弁も友達の話を聞いてる限りイマイチマスターしきれてないみたいだし…。
だからといって標準語マスターでもないし…。まぁ国内バイリンガルって感じだけどさ~バイリンガルは二カ国語?じゃぁ5カ国語は何て言うんだろ・・?
しいて言えば、みかんどころ(愛媛、和歌山、静岡=みかんの生産量best3)は全部周ってるから、故郷の味と言えばみかんになるのか?!笑

なんかものすごく、アホらしくなってきた。。。
本物の、故郷が欲しい、本物の、幼なじみが欲しい。そう思ってる転勤族は多いはず!



ウゴウゴルーガ!!!!!!

2005年03月09日 16時48分15秒 | 二十歳になるまでのこと
まじで!?再放送ってマジで?!え!?地上波!?

ってスカパーか・・・涙
見れない…

あー懐かしい!当時小学校3年@新潟かな?毎朝見てたよ~
「アニキ」とか「みかんせいじんアワー」とか「くろたま」とか大好きだったよー
なかでも「鼻毛で食べてみよう」が一番好きだった。確か、あんまり放送されてなかったけど・・・

「鼻毛で食べてみよう~」のあの微妙な言い方。マネするんめっちゃ流行った。笑
あの頃友達とやってた交換日記、ウゴウゴルーガちっくなネタを書くネタ帳になってたもん。笑
あ~もう一回みたいぃーっ!!!

あのワケわかんない笑い最高!
でも子供の教育には全く適してないな。笑
物心ついた頃にこの番組にはまっていた娘は、こんな二十歳になりましたよ、フジテレビさん。
でも、もしかしたら私の笑いの原点はここにあるのかもしれない。いや、そうじゃなくて早く二十歳の原点を・・・

ElephantLogic30: ウゴウゴルーガ、4月11日から再放送開始



しらんまに34位ですよ!!(3月10日深夜2時時点)

戦隊モノのイマ

2005年02月06日 23時36分24秒 | 二十歳になるまでのこと
最近はマジレンジャーとか言うのが放送されてるんですか?
ネーミング悪すぎじゃ。。。
弟がいたせいか、gurimasaも小さい頃はよく戦隊モノ見てました。
中でも名作はやっぱジェットマンだね♪
戦隊モノと恋愛モノのコラボ!三角関係あり、元カノが敵に戦争されている等、戦隊モノとは思えない内容。さすが「戦うトレンディードラマ」の異名を持つだけある。笑
イマドキの若奥様たちがイケメンライダーにハマるように、うちの母もジェットマンにハマってました。笑
おかげで実家にビデオがいっぱい残ってます。
もちろん最終回も!
特に最終回、名作ですよ、戦隊モノとは思えない内容。ブラックが刺されーの、レッドとホワイトが結婚したり、ブルーがアイドルになってたり・・・
ブラックのその後が心配です。あんな意味深な最後ないよぅ。
生きててください。。。ブラック。

何か今日は異様にマニアックな内容だな(-_-;

どうやらジェットマンがgooで見れるらしい。
ちょっとだけみたいな。。。
鳥人戦隊ジェットマン

アイデンティティー

2004年12月18日 18時22分24秒 | 二十歳になるまでのこと
転勤族の私には“ふるさと”と呼ベル場所がない。
仲のいい友達はいてもそれは“幼なじみ”と呼べるものではない。
ある人が
「私の毎日は私のものでしかないはずなのに、いつも私以外の人に記録されたものの中で生きていかなければならない。」
とブログに書いていた。
もしその通りなら私と言う人間の連続性は永遠に分断されたままなのかもしれない。



                                                                        

完全週休二日制 土曜日のわくわく

2004年12月16日 00時19分21秒 | 二十歳になるまでのこと
ゆとり教育見直しへ

限界みたいですね。
今は土曜日全部休みなんですよね。
ちょうど私が小学校入ったときくらいからかな。まず第二土曜日を休みにしようと言う動きが始まったのは。
小学校から土曜日の授業がなくなったって言うのは、個人的にはちょっと寂しいです。。。
土曜日にたった3時間のためだけに学校行ってその後遊ぶのが土曜日の醍醐味なのに。
あの、給食を支給されずに帰らされるのが醍醐味なのに。
丸々一日遊べる日曜ではない、あの半分拘束半分自由の独特の状況が醍醐味なのに。
「お腹減ったなぁーでも今日はお母さんの作ったお昼ごはんや!そんじゃごはん食べたら○○集合ナ!」
そんは会話が今はもう無いと思うと、悲しいです。
個人的な考えかもしれないけど、日曜日と土曜日と、どっちが充実(?)した遊びをしたかって言われると、私はきっと「土曜日」とこたえてしまうと思う。
あの、「午後からフリーだ!」って言うわくわく感は土曜日特有のものだと思う。

文科省は
「子どもたちに生活体験、社会体験や自然体験など様々な活動を経験させ、自ら学び自ら考える力や豊かな人間性などの「生きる力」を育むため」
に完全学校週5日制を実施したと言っているけど、今の状況を見る限り、必ずしもそうなっているとは言い難い。
むしろ一日休みが増えたことで、だらけた生活を送る子供が増えたような気がする。

あー何かうまく説明できない!(いつものことだけど。笑)
土曜の午後の貴重な体験を味わえない今の子供たちはすごくもったいない気がする。


                                                                        

TCBYのアイスとパニーニ

2004年12月09日 00時17分04秒 | 二十歳になるまでのこと
高校の帰り道は絶対にTCBYによってアイスを食べてた。
なんかヨーグルトが入ってるおかげでヘルシー&おいしい
アイスを食べながら友達とおしゃべりするのが日課だった。
そして小腹の減ったときにはパニーニを…
かりっとやけたパンに照り焼きのチキン…めちゃおいしかった。
また食べたいなぁ。

雉も鳴かずば・・・怖かった日本昔話

2004年12月06日 02時41分38秒 | 二十歳になるまでのこと
小さいころよく日本昔話を見た。
その中でも一番印象的だったのは、人柱の話。

ある村に貧しい父娘が住んでいた。
ある日、娘が病気になってしまう。もちろん貧しい家には薬を買う金など無い。
そんな中娘は「小豆まんまが食べたいよう」という。
小豆どころか米すらない状況で、父は 庄屋のところを訪れるも冷たくあしらわれれ、
とうとう庄屋の倉から一掴みの米と小豆を盗んでしまう。
娘はその小豆まんまを食べたおかげで無事元気になった。
父から絶対に小豆まんまを食ったことをいっちゃいけねぇと言われていたにも関わらず、
娘は嬉しさのあまり、家の前で鞠をつきながらあずきまんまを食ったことを口ずさんでしまう。
その歌を庄屋が聞きつけ、父はつかまってしまう。
そしてちょうどその村で橋が何度架けても流されて問題になっていたので、
川の氾濫を防ぐために、そして橋が流されないようにするために、
人柱として父は生きたまま川に沈められてしまう。
娘はそれ以来口を利くことができなくなってしまった。
それから数年後のある日、猟師が狩をしていると雉の鳴き声が聞こえた。
その声を聞いた猟師は雉をしとめた。
猟師が雉の傍に行くと、その娘がいて、雉を抱き上げてこういった。
「雉も鳴かずばうたれまいに」
その一言だけをいうと、娘は何処かにいってしまい村には二度と戻ってこなかった。

父が生きたまま埋められる様子は、本当に生々しかったです。
後味が悪い話と言うかなんと言うか、ちょっとトラウマです。
「そやからいらんこと言ったらあかんで!」という教訓を導くために、子供にこんなハードな話を聞かせないでください(;_;)

ピコピコポン

2004年11月29日 06時20分46秒 | 二十歳になるまでのこと
果たしてどれくらいの人がこの言葉に聞き覚えがあるんだろう。
NHKの教育テレビで放送されていた異色人形劇(!?)ピコピコポン。
小さいときは必死で見てました。
恥ずかしながら当時うちにはビデオがなかったので、ピコピコポンが始まるとカセットデッキをテレビのそばまで持っていって「録音」までしてました。笑
そして家族旅行に出かけるとき、必ずそのカセットを持っていって車内で聞いてました。笑
かなりのピコピコポンフリークです。
キャンディママ、怒るとき「きーんきんきんきーん」って言うんだよね。
よく小さいときにお母さんがそれをまねて怒ってきたなぁ。
キャンディーママ編、最高でした。
壺谷の大木の「かーぜのひーよ つーづーけーひゃくまんにーちー つーづーけー」って歌声がめちゃくちゃ怖かったっけ。
あの頃は本気でパッキーとムンム、それにガルガリ博士とドコドンの繰り広げる冒険劇(そんないいもんじゃないか笑)にあこがれてたなぁ
ピコピコポンのテープ、まだ家にあるのかな。
今度実家に帰ったら聞いてみよっと。