グレーテルの歩く道

心身のハンデなんて物ともせず、元気に暮らす私の日記♪

休職中

2016年04月21日 18時07分54秒 | お仕事
Nさん行方不明事件の日から、

「しばらく休ませてください」と、支援員さんにメールをして、お仕事を休んでいる。


メールをした次の日、事業所の社長、奥さん、支援員のRさんが、うちに謝罪に来た。

「館長は、認知症で手のつけられない状態になっている。」

「もう、ふたりは合わせない」

そして、熱血社長は「私は死ぬまでMさんを支援したい」とママに言っていたそうだ。


ママは、私がここ1ヵ月で2度自殺行為をした事を話した。


私が、館長に理不尽なことで怒鳴り散らされていたことも、

ロキソニンを錠飲んだことも、殺虫剤を飲んだことも、全部知っていたRさんは、

ただひたすら、申し訳なさそうに頭を下げていたという。



とどめ!

2016年04月21日 17時53分48秒 | お仕事
私の尊敬する、メンバーのNさんが行方不明になった。

Nさんは、重度の知的障害。


朝、いつものように出勤すると、

支援員さんが「Nさんが行方不明になったから探してくる」と大慌てで車に乗って行った。

私は、支援員さんに言いつけられた、お団子作りの仕事をしていた。


その後、警察にも届け出て、Nさんは発見された。

Nさんは、泣きながら支援員さんと一緒に事業所に来た。


一瞬、誰も施設内に居なくなりNさんが一人椅子で号泣していた。

可哀相に思い、肩をさすって、「もう大丈夫。見つかって良かった」って、

私は優しく声を掛けた。


館長が戻って来た。


「M!余計な事をするんじゃんない!」

「言いつけられた仕事だけしてなさい!」

と、私を怒鳴り散らした。


悔しいけど我慢した。

仕事を離れた自分も悪いと。


そしてお昼。

お弁当を食べながらまだ泣いてるNさんに、

館長はこう言った「さっきMが野次馬根性でごちゃごちゃ言ったけど、そんなのは無視しなさい」


私は、悔しかった。

いけない事はしたかもしれないけど、それは決して野次馬根性ではない。

愛から生まれたものだ。

神を冒涜している。

この人は悪魔だ!


もうこの事業所は事業所は辞めよう。

決心が着いた瞬間だった。

もはや、いじわるばあさん

2016年04月21日 17時37分29秒 | お仕事
私が経理の仕事を辞めたのが気に食わなかったらしい。

館長の私に対する悪質ないじめとしか思えない言動が始まった。


館長が食い散らかした「弁当箱洗え!」と怒鳴る。


支援員さんに言いつけられた仕事をしていると、

「そんなどうでもいい仕事は止めて、あたしが散らかし枯れ葉を片付けなさい!」と怒鳴る。

枯れ葉を片付け、ごみ箱に入れると、「ごみ箱を枯れ葉の方に持っていけ!」と突き刺さるような口調で怒鳴る。


込み上げる怒りを抑え、2時になった。

もう少しで、販売に行った仲間たちが帰って来る・・・と、思ってうきうきしていたら、

「2時です。Mはもう帰りなさい!」と、きつく言われた。


支援員さんに事情を聞くと、

「何時間いても実働4時間にしかならないから、ただ働きになるので帰っていいですよ」と、言われた。

今まで、ずっと終礼が終わるまで居たのに変だな・・・、とその時は思いつつも帰宅した。


その後、毎日違う理由で2時に帰された。

どうやら私の「館長とは合わないけど、いい支援員さん、大好きなメンバーさんと働きたい」という気持ちを知って、

私を、支援員さんとメンバーさんに会えなくしてやろうと考えているのでは、と気付いた。

かみ合わない話し合い

2016年04月21日 17時30分51秒 | お仕事
社長と話し合いをした。

社長の奥さん、相談員のMさんにも無理言って同席してもらった。

館長は、認知症でだいぶおかしくなっていると聞かされた。


今や、火と油。

近付けば大爆発して炎上する仲の、私と館長。


もう、ふたりきりにはしないし、仕事も経理から販売に変えてくれるということで、

まだ、この事業所は辞めないことになった。

話し合い

2016年04月21日 17時16分42秒 | お仕事
館長と大喧嘩した日の夜。

もう、この事業所は辞めようと思っていた。

社長から電話が来た。

「ここが踏ん張りどころだ。明日も来い!話し合いをしよう。」松岡修造より熱血な社長に言われた。


どうするか・・、

私は食事も水分も摂らず、暗い部屋の布団にもぐり泣いていた。

嵐の曲だけが元気に流れていた。


午後8時。

私の大好きな支援員さんんのEさんが、「近くまで来たから」と、子連れでうちに訪ねて来てくれた。

私がEさんの小学生の娘さんと、うちのハムスター、こてるちゃんを、

こねくり回して遊んでいる間、ママとEさんんは色々な話をしていた。


Eさんは館長を「独裁者」といい、自分も家族に話をすれば「そんなとこ辞めろ」と言われる、

同じ年の支援員さんのNさんと「いつ辞めようか」と、いつも話していると言ってた。

でも、館長さんに虐待と思われるような仕打ちを受けながらも頑張っているメンバーさん達を思うと、

辞められないと言った。

私は食欲が出て、次の日、社長と話しあうことにした。