花洛転合咄

畿内近辺の徘徊情報・裏話その他です。

ささやかな散歩

2013年09月25日 | 徘徊情報・洛中洛外
 本日は京都、絵を見に行きます。平生、美術館やギャラリーにはとんと縁のない小生ですが、年に何回かお誘いがいただけるためにこういう面にも全く無縁ということにはならなくて済んでいて、まことにありがたいことであります。等と書いておりますとまたまた恩師より木版画を見に来いとの葉書が届きました。もうすっかり芸術の秋やんけ。
 鴨川の遊歩道を歩いて丸太町まで遡上します。台風18号の増水により棲み家たる中州が流されてしまった鴨たちは川岸近くの浅瀬に休息所を設けています。何か健気な感じがします。まだまだ水も濁っていて、本日は鷺のダンスも見ることはできません。



 アリ?写真が小さいではないかとお思いのことでしょうが、実はこの日の午前中にレンズにゴミが付いたとカメラ屋に寄ったところ、これはレンズのゴミではないということで修理に取り上げられたため、空のカメラケースを首に掛けて携帯で写真を撮っておるわけであります。その際、サイズの設定を間違えたようであります。(追記、その後写真の小ささは解決しました。)

 大雨の後で琵琶湖疎水からの放流も全開です。こんなに流したら伏見に水が行けへんやんという感じ。



 丸太町の電信電話公社跡に開業していたレストランは潰れて、今はスーパーが入っています。随分と重厚なスーパーです。その前に女紅場跡への道標。鴨沂高校の前身の前身ですね。最近では、大河ドラマでちょっと知られたようです。



 到着予定時間には未だ間があったので、革堂(行願寺)や下御霊神社をウロウロしました。写真は撮っていません。革堂、今まで気付かなかったのですが、実に麗しいものを目にしました。詳しくは記しませんが、もうすっかり革堂ファン。恥ずかしい寺社が多い中で革堂は清涼剤であります。鳩がおったとかそんなんではありませんが、ああ、この寺を開かれた行円上人の心がちゃんと活きているという感じです。 
 ギャラリーでは、動物をテーマにした展示が行われていました。小生には絵の良否は分かりませんが、テーマがテーマだけに楽しく拝見できました。絵の先生とも随分と話すことができました。





 眼福の後は久しぶりに出石蕎麦へ。出石蕎麦にはウズラの卵でなくて鶏卵が付きます。小生などはどちらも不要なのですが、そういう人にはとろろをという嬉しいサービスが始まっていました。この時は酒は飲みませんでしたが、壁に貼ってある品書きを見ると随分と酒のアテが減っている感じがします。



 さて、この後はどこにいくべえと思い寺町京極を通ったのが失敗でした。秋の観光シーズンが始まっているのでしょう。しかも本来だったら嵐山に行く人の何割かがここを歩いている。もう人に酔ってしまい、四条に着くころには徘徊する気をすっかり失っておりました。
 寺町からちょっと東に入った天性寺、観光寺院でなくてよかったー!少し入るだけなのに人はだれもいません。ほっこりです。このところ人混みにはすっかり根性無しになっています。断言できます。東京オリンピック絶対に行かないぞー。



 四条で速攻阪急に乗り込んで、ゴーヤのてんぷらへ。最近、真っ昼間から飲むという麗しい癖が付いております。が、ここはその真っ昼間のしらけたというか無駄なというか、そういう雰囲気はありませんね。満席近く人が座っているからでしょうね。となると夕方から来るのがいい感じです。





8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
鴨川の魚は流されたのでしょうか (mfujino)
2013-09-26 05:14:57
gunkanatagoさん、芸術の秋でございますね^o^

天性寺って寺町三条を上がった東側のお寺ですよね。あそこ寺町通りより少し低くなってましたね。この意味を師匠に教えて貰いました。これは三条通りから新京極に行くところが下っているのと同じ意味があり、三条小橋から三条大橋への昔のルートの名残ということですね。この時はさすが師匠と思いました。

それはそうと画廊って繁盛している様ですね。我が集落の人が銀行の偉いさんで、後継者を決めていてそろそろバトンタッチと考えていたら画廊を始めたのでその人がお先にと辞めてしまったそうです。お陰で数年退職するのが遅れてしまってね、なんて話を聞いたのを思い出したことでございます。

私は西の鯖街道講座で大森から鴨川源流の雲ヶ畑志明院への峠越えを歩いてました。台風の大雨で下りの谷が荒れていないか心配でしたけど、既に荒れていましたので以前歩いた荒れと変わりませんでした。薬師峠付近は芦生を思い出すといえば大袈裟ですが、雑木林が綺麗でした。

荒れた谷道と言えば薬師峠の翌日、田尻谷から松尾峠を越えて槙尾までも歩きましたが、田尻廃村周辺の石垣は川岸のも含めてびくともしていませんでしたね。これも京北からの京道だと理解していますが、また光厳法皇が歩かれた道でもあります。これをブログ記事にするにはかなりのエネルギーを要求されますのでまだ書けてません。更新のための更新みたいなもんです、と書かれているその心境心に滲みます。

gunkanatagoさんは志明院の和尚の鴨川源流域を守った聖人と仰いますが、私にはそれは認めつつもどうもあそこも観光寺の様な気がしてならない、心の引っかかりを感じています。限られた情報からの判断なのですので、間違っていたらかの半沢直紀に土下座させられた大和田常務よりも潔く土下座はする覚悟はありますけど(^_・)
返信する
高低差かぁ? (gunkanatago)
2013-09-26 17:02:45
 mfujino様、コメントをありがとうございます。天性寺の境内が低くなっているのにそのような意味があったのですね。そこにいてる時には全く考えませんでした。まだまだ、高低差を考える頭にはなっていないと言うことですね。そういえば新京極も三条からグッと下がっていますね。
 画廊については、絵の商いをしている人はそれなりに儲けているのでしょうが、ギャラリーはどこも苦しいそうです。破格の値段で部屋の貸し出しをしていると聞きました。
 ところで、山三昧ですね。うらやましいことであります。松尾峠から栂尾の間にとても素晴らしいところがあったように記憶していますが、もう20年以上も前のことなのでどのように変わっていることかと思います。大森から薬師峠への道、世紀のルートの少し北に別の道がありますね。ものすごい急坂で、そこを登って薬師峠に着くと、もう桟敷に登る気が無くなるというヤツです。
 志明院ですが、なぜ悪い噂が立つのかが分かりません。御住職も奥さんも息子さんも気持ちのいい方たちですよ。一遍、当たって砕けろ作戦を実行してみて下さい。山門から奥もきちんと掃き清められていますし、観光寺院の嫌らしさは全く無いように思うのですが。鴨川ダムでがっぽり補償が入るのに当てが外れた人たちが悪い噂を流しているのではないでしょうか。
返信する
当たって砕けろ (mfujino)
2013-09-30 00:11:52
当たって砕けろというのは仰るとおりですね。
一つだけ誤解があってはいけないので書いておきます。志明院のことを先のように書いたのは、身近な人の話と我が2回の経験からです。決して噂でその様に判じているのではありません。
ところでここ雲ヶ畑は鴨川源流であり、御所へ流れる水を汚してはいけない、という意識が昔から守られているところですね。その象徴が「持越峠」であり、また生活に使う水もいったん浄化して川に還されるということです。そういう風土というか昔からの意識が受け継がれているのではないでしょうか。とても立派な伝統だと尊敬します。
鴨川源流の雲ヶ畑から持越峠を持ち越して真弓へと棺桶が運ばれた、と説明したところ、ある参加者から、真弓は何川の源流かと聞かれたので清滝川から桂川へとながれる、と答えると、鴨川源流は駄目で清滝川ならいいの?と聞かれました。これには私も答えられませんでしたね。
10月にはこれまた京都の水を考えるに話題を提供してくれる貴船を目指して歩く予定です。
返信する
お書きいただいたように (gunkanatago)
2013-09-30 15:36:38
 mfujino様、再びのコメントをありがとうございます。平安時代以来、朝廷は「死穢」ということを極端に嫌がるようになりますね。やはり御所のあるところの上流に当たるから鴨川はダメで、桂川ならいいということになったのではないでしょうか。
 貴船は今は観光地で、秋は特に大変なように思います。昔は奥の院などは本当に閑散としていたのですが。鞍馬への木の根道も遠からず木ノ根が全部ダメになるだろうと聞いたことがあります。芹生峠当たりまで登れば、もう誰もいませんが(笑)。
返信する
みめ麗しいおひと (ささ舟)
2013-10-01 09:11:01
おはようございます。爽やかな十月おついたちの朝です。
待ち時間に革堂に立ち寄られたのですね。そして見目麗しいお方(たぶん住職さま)にお会いされたのですね。わたしも初めてお参りしたときほんとに「ハッ」としました、お上品で知的で・・・そして通りから少し入るだけでしっとりしてて。
あの雌鹿のお話を聞くたびに心が痛みますが、革上人さまは母鹿の皮を常に身に付けていられたとか。
ゴーヤの天ぷら美味しそう。わたし敬老会で貰ったビールで一献やりますかな。
返信する
身も心もてやつですね。 (gunkanatago)
2013-10-01 18:23:39
 ささ舟様、コメントをありがとうございます。ささ舟様のお誘いの時に葉書を持たずに家を出て、ギャラリーを探すのにイッパイみんなに迷惑をかけました。今回はちゃんと葉書を持って出ました。
 ささ舟様も革堂ファンだったのですね。御住職、そんなに麗しい方ならお会いしたい(爆)、ということで御住職様とはお会いしていませんが、何て優しい心根なんだと感心することがありました。
 秋も深まりますね。頑張って飲みましょう。
返信する
ちいさな旅は乙女だけのものにあらず (浮舟)
2013-10-02 09:34:09
 パソコンが動かなくなって修理に出していました。5日間です。ネットを使わないのは久しぶりですが、本が読めました。ハーバード大のマイケル・サンデルの「白熱教室講義録」と吉村昭の「陸奥爆沈」がめちゃくちゃおもしろかったです。なぜそれを書くか?
徘徊堂さんがカメラをもたない不自由さをものともせず、携帯で写し、別種の趣のある紀行に仕立てたのとマイナスをプラスにするという意味で、似ている気がしたからです。
戦艦陸奥がなぜ沈んだか?帝国海軍の栄光にかかわることで長く秘密にされていましたが、一人の自殺志願者が火薬庫に点火。1300人を巻き添えにしたという・・なんたる馬鹿者!そしてなんたる運命の皮肉!です。

 鴨川沿いのちいさな旅の雰囲気、しかも食欲の秋、芸術の秋も、ベトナムに十分伝わってきました。私も趣味で絵を描きます、かつて竜安寺石庭や東寺五重の塔などは、インスピレーションが起こりました。
今も書きためたが絵が、ベトナムで描いた絵もふくめて250枚ほどあります。

最後のゴーヤのてんぷらでいつもながらの安堵感が・・ 


返信する
戦艦陸奥 (gunkanatago)
2013-10-02 15:06:03
 浮舟様、コメントをありがとうございます。今現在もカメラは帰ってきていません。次の更新もささやかなものになるかも知れません。ご寛恕願います。
 陸奥爆沈、小生も大昔に「もったいない、もったいない。」と思いながら読みました。確か長門と同型艦だったように記憶していますが、長門の栄光ある生涯に比べると随分と可哀想です。確か戦艦三笠も日本海海戦の後で佐世保で爆沈していますね。
 柱島では知り合いが中学校の先生をしていたのですが、その人はもう亡くなりました。
 見ていないので申し訳ないのですが、日越友好に尽くした人の話がドラマになっていたようです。風はすっかり韓国や中国を去り、これからはベトナムと日本ですね。
 絵を描かれるのですね。何かの機会があれば、披露して下さいね。神戸だったら飛んでいって拝見しますよ。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。