むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「7」 ②

2024年09月26日 08時27分28秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・里下りする度、
則光の邸は、
私との絆を一つ一つ、
解いていくように思われる

見なれた則光の顔は、
私をくつろがせはするが、
宮中の生活次元との違いは、
しだいに大きくなってゆく

私は三條の私邸で、
手足を伸ばしてくつろぐ方がいい

孤独の味が強くなるほど、
宮中暮らしの魔力に、
とりつかれてしまう

三條の私邸は、
全く人の訪れないところで、
左近という古女房と、
則光の邸からついてきてくれた、
爺やとその娘夫婦が、
留守をしたり用を足してくれる

それでもある時、
客があった

珍しい男客、
全く見知らぬ従者たち

使いの口上によると、

「藤原棟世と申します
お父君・元輔どのとは、
お言葉を交わした仲のもの、
もしやわが名も、
お聞き及びかと存じますが」

という

私はこの人の名を、
父から聞いたことはない

あちこち歴任した、
あまたいる受領の中の、
一人なのであろう

記憶にもないが、
何ごとだろうと招じ入れ、
御簾をへだてて会うことにした

棟世は意外に、
四十五、六の貫禄ある、
中年の男性だった

父と違い、
肉づきのどっしりした、
目鼻立ちのりっぱな男で、
太い声はのびやかに、
表情は卑しくなく、
笑みをふくんでいた

「突然、参上して、
申し訳ありませぬ
ただいま、若狭から所用で、
戻りましたところで、
塩干しでございますが、
生きのよいお魚を、
お召し上がり頂こうと、
存じまして
あちらの、則光どのの、
お邸にもおいてまいりましたが、
あなたさまがこちらに、
お住まいと伺いまして」

大きな櫃に、
魚や貝、茹でた蟹のたぐいが、
どっさり詰められてあった

「こんなにたくさんはとても・・・」

「どうぞ、
ご朋輩衆でお召し上がり下さいませ
寒い折でございますから、
日保ち致しましょう
途中まで若狭の氷を、
詰めて参りました」

「まあ、若狭から・・・」

「任地でございます」

棟世はしかし、
若狭の話より、
父とのかかわりの話をした

棟世の父は保方、
祖父の経邦(つねくに)の娘に、
右大臣・師輔の室になった人がいて、
伊尹(これただ)の君をもうけている

私の父の元輔が、
「後選集」の編纂をしたのは、
その伊尹公のもとにおいて、
であった

「お親しくして頂いた、
元輔の君ご遺愛のあなたさまを、
よそながらゆかしく、
思い続けておりましたが、
その気持ちをお伝えする折もなく、
このように急に思い立ったのも、
何かのご縁と存じまして」

私は父とのことを、
話題にできる客が嬉しかった

話が弾んだが、
彼は切りのよいところで、

「ではまた、
食べものをお持ちしての、
長居は感心いたしません
今度は手ぶらで参りましょう」

私のいおうとしていることを、
先にいった

そのへんも物なれて、
めやすい感じである

しかし彼は、
世故たけたずるさはなくて、
私に会って心から、
喜んでいる風だった

則光の妻という身分でいる時は、
会えないが中宮御殿に勤める、
少納言のおもとなら、
男客が訪問することもできる

要するに私にとっては、
感じの悪い男ではなかった

何度もいうようだが、
男というものは、
女もそうだけれど、
千差万別なのであろう

その千差万別が、
私には面白く興深い

内裏の登華殿の細殿、
私たちの局(部屋)がある

西廂の前は、
清涼殿へ通う男たちの、
通勤路である

局で女房たちがいっぱい集まって、
話に興じている前を、
小ぎれいな召使いの少年や、
青年の従者が通ってゆく

それらを見るのも、
心おどるものである

大きな包みや袋に、
主人の衣類などを包んでいる

その端から、
指貫の緒などが、
のぞいて見えたり、
弓矢、楯などを持ってゆく

「どなたのなの?」

私たちは声をかける

この答え方で、
主人の人柄やしつけ方が、
あらわれる気がするのも、
面白い

「〇〇さまのでございます」

と答えていくのは、
率直でくせがなくていい

変にひねって、

「お当てになってください」

などとキザにいったりする、
世間ずれ、女ずれした青年は、
いやらしい

彼らを使っている主人も、
大方、気取ってキザな男だろう、
と思われたりする

といって、
おどおどして、
真っ赤になって返事もできない、
という従者も面白くない

「あなたたちが集まっている前を、
通るなんて、そりゃあ、
若い人にしてみれば、
死ぬ思いなのよ、
きっと」

中宮はお笑いになる






          


(次回へ)

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