・そして休みが終わり、
再び宮仕えに出る日がくると、
私の心身にはみずみずしい、
元気が湧いてきた
たぶん私はこの後も、
三條の私邸へもどり、
やがて則光の邸へは、
足を向けなくなるかも、
しれない
宮中暮らしは、
面白いことが多い
ことに夜は
夜行の近衛舎人が、
一刻ごとに時刻を奏する声も、
ほのかに聞こえる
そういうとき、
静まりかえった宮中の、
深夜の静寂、
清涼殿の渡殿の西廂から、
笛の音が流れてきたりする
主上がお吹きになって、
いるのだった
深夜、若き主上が、
眠れぬままに吹きすまして、
いられるめでたさ
(ああ、宮中にいるんだわ)
と深い満足のうちに、
眠りに入るのは、
幸福なものだった
宮中のしきたりも、
めあたらしい
参ってすぐのころ、
豊明の節会がある
やがて御仏名の日がくる
十二月である
仏名には、
地獄絵の屏風がひろげられ、
中宮がごらんになる
私は地獄の絵など、
気味悪くて、
わざと見ないでいる
「少納言、
ごらんなさい
後世のために、
見ないといけないのよ」
と仰せられるが、
私は小部屋に隠れて、
寝たふりをしていた
私は血みどろの針の山や、
大釜で煮られる罪人やらの絵を、
見ると動悸がはげしくなって、
胸が悪くなるのだ
中宮は私をおからかいになって、
どうかして見せようとなさる
雨が降って退屈だというので、
上の御局に殿上人を呼び、
管弦のお遊びがある
面白い音楽会になった
琵琶は道方少納言、
笛は行義蔵人、
経房の少将は笛
琵琶が弾き止んだとき、
伊周大納言が誦し出された
「琵琶
声やんで
物語せんとすること遅し」
それは白楽天の、
「琵琶行」の一節である
あまりのゆかしさに、
私は起きだして、
そっとうかがっていたら、
「まあ、
地獄の屏風絵は見ないのに、
こういうことだと、
起きてくるのね」
と中宮がいわれて、
人々が笑う
でも中宮にも、
そういう心ときめきは、
おわかりになったと思う
「わたくしも、
本当はそうなのよ
地獄のうとましい絵など見て、
後世のために修行するより、
この世の美しさ、
めでたさの方に心ひかれるわ
きっと仏さまの、
バチがあたるでしょうね」
と仰せられる
「そんなこと、
ございますものか」
私は心をこめて、
申し上げる
中宮はお目を輝かされて、
「少納言、
わたくしを大事に思う?」
「はい・・・
それはもう・・・」
と私がいうなり、
台盤所(台所)の方で、
ひときわ高く、
誰かがくしゃみをした
くしゃみは、
うそをつくと出てくるもの、
と世間でいわれている
「あらいやだ
少納言はうそをついているのね
いいわ、それなら」
と中宮は怒ったふりをなされて、
奥へ入ってしまわれる
なんの、
うそであるものか
いったいまあ何だって、
この大切なときに、
くしゃみなど誰がしたのかしら?
にくらしい
とは思うものの、
まだそれを訴えるほど、
私は物なれていない
夜が明けたので、
部屋へ下ると、
使いがきた
中宮から美しいお手紙
うすみどりのしゃれた薄様に、
<いかにして
いかに知らまし
いつはりを
空に糾すの
神なかりせば>
まだ私がうそをついたと、
思っていらっしゃる
(むろん、
ご冗談で怒って見せて、
いらっしゃる)
私はもどかしいやら、
嬉しいやら、
口惜しいやら
お返しの歌を案じながら、
中宮に対する、
つきせぬ敬愛の心が、
湯のように身内を暖かく浸す
私は私の死に場所を、
今知った
それは則光のもとでも、
三條の一人きりの邸でもない、
中宮のお胸のうちである
(了)