むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「7」 ①

2024年09月25日 08時58分49秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・宮中暮らしほど、
面白いことがこの世に、
あろうか

そこにはすべてのものが、
あった

男も女も奢侈も栄華も、
権力も阿諛も粋も不粋も、
典雅も俗悪も

そしてその頂点に、
光り輝くのは、
若き主上と美しき中宮

定子中宮のいられる後宮は、
自由暢達だった

弁のおもとのいうとおりだった

中宮は、

「ぱっと目立つ」

花やいだものがお好きで、
あるらしい

人に内省を強い、
静謐を要求し、
悲観を教え、
その裏にあるものを、
考えさせるというよりは、

「率直で」

「単純、純真で」

「日を仰ぐような」

明るいところへ、
向き続ける花のような考え方が、
お好きなのだった

それこそ、
私自身の持っているものだった

私の父・清原元輔が持っていて、
私に伝えてくれたものだった

父は本音の真実を語り、
見透かすことを教えてくれた

洒脱でひょうきんで、
やさしく明るかった

私は中宮のおんもとで、
仕えはじめて、
父と同じ空気が、
この世にあることを知った

小左京の君の、
言いぐさではないが、
私はこの御所の食事が、
美味しくてならぬわけだった

陰気な小左京の君は例外で、
この後宮に仕える女房たちは、
みな中宮に感化されていた

そうして巨大な男の世界、
大内裏のうちで、
ここ後宮の登華殿ばかりは、
女の世界であった

私たちはおおっぴらに、
男をからかったり、
批判したり、
ちょっかいを出したり、
嘲弄したりした

ただそれは、
中宮の威を借りて、
男どもを軽んずる、
というのでは決してなかった

男たちに親和の感情をもてる、
その発見に狂喜して心たかぶる、
そういうものの照り映えなのである

私は男たちを、
おびただしく身近に見て、
興奮してしまった

男たちとものを言い、
返事をされる、
その楽しさに上ずってしまった

まして、

「中宮のお側近く仕える女房の、
少納言のおもと」

ということで、
しかるべき男たちに、
返答されると、
はじめの頃など、
有頂天になってしまった

何て面白いんだろう!
いろんな男としゃべるなんて

男ってまた、
何と面白いものなのだろう!

今までは、
則光の兄弟や客が来た時、
物越しに受け答えしたり、
そっとのぞいたりするだけだった

その男たちは、
全く下品で野卑で、
会話などできはしない

何かの行事で見る、
殿方はみな立派だったが、
それはよそながら、
ふり仰ぐだけだった

ところがいま、
それらの人々と、
じかにものが言える

すぐれた教養・見識のある殿方と、
おしゃべりしたりすることを、
心から喜んでいる

何度目かの里下りの時、
私は家の様子が違うのに気づいた

物の置き方、
戸の開け閉め、
更には東に新しい一棟が、
建て増しされていた

まだ出来上がっていないらしく、
職人が出入りして、
わずらわしかった

則光は忙しく指図していた

「建て増したの?
小鷹でも住むの?」

と私はきいた

「あれ、
言わなかったっけ、この前」

則光は、
うそをついているのではない、
しんからびっくりしそうていった

「来るんだよ
あいつが
邸を火事で焼いてしまって」

則光は口少なになったので、
私はべつの新しい女だと、
わかった

「そうなの
それじゃ、
あたしの帰る家は、
なくなったってわけね」

「なぜだよ
お前のものは今まで通り、
ちゃんと置いてあるんだから、
ここへ帰ればいい
あいつは東の棟に、
住まわせるから大丈夫だ」

「いやよ
家の中にほかの女の、
ぬくもりがあるなんて、
まっぴら」

私は思いがけなかったので、
少し語調が、
強かったかもしれない

それに続く則光の言葉も、
険をふくんだ

「何をいう
お前はろくに、
ここにいやしないじゃないか
女あるじのいない家が、
どれだけだらしなく、
しまりなくゆるんで困るか、
思ったこともないだろう
おれはあれこれ気苦労で、
疲れてしまった
外へ通うのも面倒だ
折からあいつの邸が焼けたのを、
いい機会に引き取ることにした」

私は則光の言葉に、
理があるぶんだけ、
腹を立てた

「あんた、
十年宮仕えしろ、
疲れたら、
いつだってやめればいい
といったじゃないの
だからあたしは出たんです
なのに、
一年半もたたないうちに、
もうほかの女を引き入れて、
あたしを追い出す魂胆なのね」

「のぼせたことをいうな
お前はもう、
内裏住みの方が、
魅力あるんだろう?」

則光はまともにそういう

あまり正面切っていわれたので、
私は冷静に引き戻された

「あたしにそんなこと、
いう資格はないってことなのね?」

「おれだって淋しいんだ
男の子は男親に寄りつかないし、
お前がいなくなってから、
毎晩、どうやって過ごそうか、
と思っていた」

「三番目の女のところへ、
行ったと思っていたわ」

「そりゃ、行きもするが、
毎日行ってられない
この邸を留守にできない
吉祥はよく寝込むし」

そういえば、
今日は吉祥は、
清水寺へ参ってるとかで、
姿を見せなかった

「吉祥はその女といっしょに、
清水寺へ行ったよ」

ふしぎや・・・
則光がこの邸へ、
新しい女を迎えると聞いても、
強烈な嫉妬は感じなかったのに、
吉祥がその女と共に、
清水寺へ参詣したと聞くと、
私は嫉妬した

吉祥への愛情は、
まだ残されているらしい






          


(次回へ)

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