・それから、蜻蛉は長い精進をしてみようと思い立ちます。
今までは数珠をまさぐったり、仏教書を読んだり、
お経を唱えている女をバカにしていました。
(みじめったらしいわ)などと陰口を言っていました。
ところが今では自分がそういうことに打ち込むようになりました。
せめてそういうことをして気持ちを安らげようとします。
そういうところへ兼家から、
「行っていいか」と手紙が来ます。
「へ~え、何ヶ月もお目にかからないのに、
どういう風のふきまわしなの」
というような返事を書いて大急ぎで父の邸へ行ってしまう。
兼家のあつかましいところは、夜になって押しかけてきます。
この父の邸は手狭な家なので、
夫婦げんかをするとよそへ聞こえるわけでして、
この辺の日記の描写は大変面白い。
父の邸で精進落としが済んで自邸へ戻ると、
またもや兼家の行列が家の前を素通りして行きます。
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・今度は何を思いついたか、
西山のお寺へ籠ろうと思い立ちます。
西山とは鳴滝の北の方と言われています。
そこから思わせぶりな手紙を兼家にやります。
「門の前を素通りされない世界へ行きます。
家をしばらく留守にします」
追いかけるように兼家から返事が来て、
「一体、どこへ行こうとするんだ。
いろいろ話があるからこれから行く」
この手紙を見て蜻蛉は急き立てられるように、
西山の寺へ出発しました。
山の寺へ着いたその晩の十時ごろ兼家がやってきました。
兼家が京からわざわざ追いかけて来たのです。
まさか、本当に尼にならないかと心配してのことでした。
十七才の道綱が石段の上のお堂の中にいる蜻蛉と、
石段の下の車の中にいる兼家との間を仲介して、
上と下を行き来します。
「ともかく早く帰れ、と父上の仰せです」
「せっかく来たのだから帰れないわ」
侍女の方が道綱の事を気の毒がっている。
兼家はとにかく「一緒に帰れ!」と言いますが、
蜻蛉も断然、気が強くて動きません。
とうとう息子は泣き出してしまいます。
蜻蛉のかたくなな態度、強情な心に、
兼家ばかりか道綱までが批判的になります。
今まで母の言うことは盲目的に従っていた道綱も、
母の生き方に不満を持つようになります。
昼は勤行、夜は本尊を拝み、
山中の自然は蜻蛉の心をなぐさめます。
そのうち、兼家にいい含められて家来がやってきました。
大変騒々しい男で、お寺やお坊さんにお布施をまき散らし、
蜻蛉に向かって、
「とにかくお帰りなさいませ。
しまいに誰も迎えに来なくなり、
一人で里へ下りられたら物笑いですよ」
と高圧的に言います。
蜻蛉の心はますますかたくなになってこもり続けます。
そのうち、父から手紙が来ました。
そのころ父は丹波守で京にはいませんでしたが、
「山に籠っています」と手紙を書きましたら、
「そうか、それもよかろう」という返事が来たのでした。
それでいくぶん気が休まりました。
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・ある日、山にざわめきがあって、
身分あるらしい男たちがいっぱいやって来ました。
さすがに蜻蛉も都の匂いに焦がれています。
それは思いがけない訪問者でした。
道隆、という十九才の少年で兼家の長男です。
時姫のところに出来た非常に若々しい美しい名門の男の子。
この道隆の娘が定子中宮で、清少納言の仕えた君です。
定子中宮もその兄、伊周(これちか)も美貌をうたわれた人々です。
その道隆がお見舞いに来ました。
道隆は道綱と違って大変世慣れて、如才もなく、
社交的でいい青年です。
道綱は母親の労苦につき合わされて育ったせいか、
も一つ気がきかなくて、父も始終気にしていました。
ぼ~~っとした少年だったのでしょう。
道隆は一人で自分の母とは違う別の母の所へ、
見舞いに来るくらいなので、世慣れていていろんな話をします。
道隆は少年らしい気持ちからやさしくなぐさめたつもりですが、
蜻蛉にすると、
(こんな子になぐさめられる必要はないわ)
とぷんとしてしまいます。
(なんてまあ、差し出がましい厚かましい子だろう)
と思ってしまいます。
道隆はいろいろなぐさめて、
「出来たら、ボクと一緒に帰っていただけませんか」
と言います。
兼家でもその家来が来ても帰らなかったものを、
どうしてこんな子と一緒に帰れるものかと思い、
道隆の方もしょうがない、感じで帰って行きました。
ただ帰りがけに道隆が蜻蛉に言ったことは、
「でもね、道綱くんがかわいそうですよ。
たまに京にいても夜になると山寺へ帰って、
お魚も食べられないから青い顔をして」
などと自分の異母弟のことを案じて帰って行きました。
よくわかっていただけに余計帰れなくなります。
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・今度は父がやって来ました。
任果てて帰京しその足で山へ来てくれたのです。
「山籠もりもいいと思ったけれど、
道綱が弱ってしまっているのが哀れだ。
山を下りなさい」
と言います。
父にそう言われるとがっくりと気が折れて、
(それもそうかしら)と考えます。
父は、
「じゃ、明日帰るんだよ。迎えに来るから」
と念を押して帰っていきます。
(次回へ)