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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

11,姥湯ざめ ⑤

2025年04月03日 08時50分23秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・サナエは眉間のたて皺を深くしつつ、
私に縁談の斡旋を頼んでいった

どうしてたて皺を刻みつつ、
結婚話が出来るのか、
私には不思議であるが、
あの厳粛な顔には、
後ろ暗いことを頼んでいるのではない、
という思い入れかもしれない

マサ子の結婚式の日は、
十二月初旬の暖かい快晴の、
上々のお天気であった

大阪キタのホテルで、
三百人ばかりの人数、
向こうの人数よりこっちの方が多いという、
得意先、取引先の人間が多くて、
私は顔も知らない

親戚もみな代替わりしており、
長男は私に招く人をえらべ、
というが、
旧い家筋は招くとなると、
引きずり引っ張って、
大阪市民半分くらいが、
親類になってしまいかねない

「あんたと治子さんで決めたらええがな
治子さんの親類もあることやし」

と私は任せてしまう

親類というのは、
どんどん入れ替わって新しくなるもので、
これは新類と称すべきであろう

古い親類は縁が薄くなってゆくほうが、
自然である

それより私は、
披露宴で同じテーブルにしときましたで、
という「たつ源」の若旦那に会うのが、
楽しみであった

部屋の隅はかすむような大広間で、
披露宴がはじまる

私は若草色の重いデシンの、
ロングドレスをまとっている

相席は年輩の人ばかり
あと三人は男たちで、
長男の仕事の関係らしい

ややおくれて、
モーニングの長身の老紳士が、
孫らしい青年に案内され、

「お久しぶりですなあ・・・歌子さん」

と坐った

これが「たつ源」さんなのか

あたまは白髪になって、
頬がこけているが、
おだやかな物腰

私がひそかに案じていたように、
もうろくはしていないらしい

「私を覚えてはりますか・・・」

となつかしそうにいう

「はあ、それはもう・・・」

といったが、
実をいうと私は、
おぼろげな記憶しかないので、
こんなに変貌した老紳士に、
重ねあわせることが出来ないのである

「もう五十年になりますか、
いや、もっとになりますなあ」

金屏風の前の花嫁花婿は、
何度目かのお色直しに立って、
席は無人だというのに、
誰かのスピーチや拍手はえんえんと、
つづいている

そしてまわりの席では、
誰もスピーチなど耳も貸さず、
めいめいおしゃべりに夢中である

「おたがいにこうして、
五十年六十年たってめぐり会うて、
よかったですなあ
『まねき屋』さんの前、
よう通りましたで
大きな呉服屋さんでしたなあ」

「まねき屋」というのは、
私の実家の屋号である

「あんた、
清水谷高女へ行てなはった」

老紳士は、
ゆっくりナイフとフォークを扱いつつ、

「きれいな女学生はんやった
いまもおきれいでっけどなあ」

そのもののいいぶりは、
私が子供のころ聞いた、
商売人たちの語調そのままでなつかしい

「歌子はん、
いうお名前は早うから知ってましたで
『まねき屋』のいとはんいうたら、
あのころ近所の若いもんの間で、
評判でしたわ
袴はいて自転車乗って、
通うてはりましたなあ」

「はっさい(お転婆)もんでしたよってに」

と私は笑ったが、
私は『たつ源』の若旦那の名前なんか、
知らないのである

言葉を交わしたこともなかったのだから

「お宅は、
空襲は二十年のいつでした?」

「ウチは一月三十日の夜中でした」

とすぐ答えが返ってくるのも、
戦中派の戦友同士の仲であった

二十年というと、
昭和二十年のことで、
敗戦の年である

「歌子さんは?」

「ウチは三月十三日、
やっぱり夜中、
怖うおましたなあ
背中の荷物や防空頭巾に火がついて」

「ウチは焼夷弾でやられました
兵隊にはとられずすみましたけど、
親父もお袋も、それから姉やらも、
そのとき死にましたけどな
防空壕へ生き埋めになりました」

たつ源さんは淡々という

「おたがい無事で生き延びて、
よろしゅうおましたなあ」

「祝杯をあげなあきません」

たつ源氏は夫人を五年前に亡くしている

私も亡夫の十七回忌をすませ、
独りもの、双方独りであることを知る

「私、歌子はん好きでしてなあ」

突然、たつ源氏は、
空襲や生き埋めの話と同じように、
淡々という

「歌子はんに焦がれとりましてなあ
歌子はんみたいな人を、
嫁はんにほし、
そう思うとりました・・・」

「まあ・・・」

「歌子はんの姿を、
店からよう見てました
お姿見かけるとすぐ店を出て、
用ありげに歩いてみたり・・・」

「そんなことありましたか
気ぃつけへんかったわ・・・」

「あのころの若いもんは内気で」

とたつ源氏は、
その内気を今になって、
いつくしむようにいうのである

「ところがあんさんは、
船場の問屋はんへ、
もらわれてしまいはった
辛うおましたで
誰にもいわへんことですけどな」

「いやあ・・・私、
いまそんなことうかがうとは、
思いもしませんでした」

私はワイン酔いのせいか、
心地よく弾んでくる

たつ源氏は、
その告白を何のケレン味もなく、
気どりなくしゃべっている

「酒もいけず、
煙草も飲まず、
趣味いうてない人間だしよって、
気まぎらすすべもなし、
毎日ふさいどりました」

「お酒はいまも、
あがらはらへんのですか?」

「いや、失恋の痛手から、
飲むようになりまして、
今も毎晩、五、六勺ほどの晩酌をやります
お猪口に三、四杯で、
ええ心持ちになりますのや」

「ほな、私と同じですわ」

「歌子はん、
いけますのか、
いっぺんどこぞでお供させて、
頂きとうおますな」

「ほんまに・・・
ゆっくり昔話しとうなりましたな
天満の天神さんの氏子仲間・・・」

「そうだす」

たつ源氏は、
かの「比翼会」で会った、
むさくるしいオジンや、
私に身のまわりの世話をさせるべく、
結婚を迫った老紳士のようではない






          


(次回へ)

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